岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

斎藤茂吉の歌論を参考に:短歌と思想

2012年01月23日 23時59分59秒 | 私の短歌論
「あなたに思想性があるなら、それにふさわしい表現方法を持つべきです。」

こんな無礼極まりない葉書を受け取ったのは、今から10年ほど前だった。「『社会詠』と称する凡百の作品」(「短歌」2011年6月号、「オリオンの剣」書評)をこてこてと並べる雑誌に作品発表している人からのものだった。その雑誌にはとある著名人の歌が巻頭に飾られていた。はっきりとは憶えていないが確か次のような作品。

・90歳のわが母手習始めたり反戦平和の党に投票せんと・

 選挙宣伝のスローガンだ。いや政党名がはいっていないから選管の標語か。いや「反戦平和」の語がはいっているから選管では使えないか。

 「このような作品が人の心を打つとは思えません」という返事を書いたか、書こうと思ったか忘れた。これがもし治安維持法下の日本で公表されたのなら、掛け値なしに立派なものだが。

 思想詠にこっている人から5首ほど書かれた葉書を貰って「添削を」頼まれたこともあった。「手のほどこしようがないよ。まるで選挙のスローガンだから。」家で話していたら、家族の者がそのまま正直に返事を書いたものだから、その人からは二度と葉書が来なくなった。

 これが社会詠の現状だとは思いたくないが、僕が実際に経験したことだ。

 さてその思想について茂吉は次のように言う。

「詩人でそして思想家である方がなほ好い。己がデエメルの語を連想したのは、『思想』を浮かばせることの困難な短歌の体にあって、その制作実行上の覚悟において大切なことを含んでゐるからである。」(「堂馬漫語」)

「(当時プロレタリア短歌を標榜していた石榑茂の歌は)最も小ブルジョア的な、ままごと恋愛、駈落(くらく)思想の映画化で、『自分達だけの家』の中には、腰の細い妻君が南洋舶来のメロンでもむいてゐるところとしか受取れぬ。」

「君が真にプロレタリアートとして生を終はろうとするなら、なまくらでなしに、真のプロレタリアートとして実相観入を実行するがよい。」(「歌壇万覚帳」)

 斎藤茂吉はマルクス主義ぎらいで知られるが、ここでは思想の内容ではなく、その不徹底ぶりを批判しているのだ。とりわけ石榑茂(=五島茂)が覚えたての批評語、プレハーノフやブハーリンの発言の引用を安易に使っていることに批判の矢を向けている。

 一方の佐太郎はどうか。

「短歌が現代の複雑な思想・感情を盛り得ないようにいうのは完全な見方ではない。思想・感情を盛り難いという事はいえるけれども、不可能なことではない。現代の秀れた歌人はそれを実行している。」(「純粋短歌論」)

 第5歌集「帰潮」には、朝鮮戦争に題材をとった作品があり、その後も大気圏での核実験、遺伝子組換えなどに対する危惧を作品化している。短歌は政治論文ではないから、「白黒曖昧だ」「毒にも薬にもならない」という批判は当然ある。がそうした論難は短歌の性格をわきまえない論だ。

 思想を持たない人間はいない。岡井隆はクリスチャンの洗礼を受け、若いころのはマルクスを読んだという。(岡井隆著「私の戦後短歌史」)だがマルクス主義だけが思想ではない。カント、ヘーゲル、サルトルなどの西洋思想だけでなく、仏教、神道といった宗教思想もある。それが個人の世界観・価値観・人生観などを形成する。哲学や宗教にかかわりのない人も、世界観・価値観を持たぬ人はいない。これも広い意味での思想と呼べる。

 その価値観・世界観がもととなって外界を認識する。短歌作者はその価値観・世界観によって事実や物ごとを切り取り5句31音の定型に納める。だから「ものの見方が定まっていない作者の作品はすぐわかる。文体の新しさのみに目をやり、あるときはA、あるときはBと作風がころころかわる。なにより作品に「重み」がない。

 だから自分のものの見方に基づく作品が作れれば、それが即ち「新」である。なぜなら、人間のものの考え方や価値観は時代とともに新しくなって行くからだ。

 それには先ず自分のものの見方を明確に認識せねばならない。それをもとに捉えたものを作品化すれば、個性的な新しい短歌が生まれる。このブログに「歴史に関するコラム」「身辺雑感」「紀行文」があるのは、僕の「ものの見かた考えかた」を確認し深める意味を持っている。

 岡井隆は「連作によって『思想』を表すことが出来る」というが、一首でも「世界観」という「思想」をあらわすのは可能だ。





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