岩田亨の短歌工房 -短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

短歌、日本語、斎藤茂吉、佐藤佐太郎について考える

永井路子・小論

2012年02月27日 | 作家論・小論
 永井路子の作品のなかで初めて読んだのは「炎環」だった。歴史小説が好きで、吉川英治、海音寺潮五郎、司馬遼太郎、山岡荘八などを読んでいたが、永井路子の作品はどこか違った。


 :リアリティ:

 どの作品も主人公を偶像化せず、冷静な目が光っているように感じた。鎌倉時代のほか、戦国時代の作品もある。主人公は時の権力者であったり、それに連なる階層の人々。だがいわゆる英雄は出てこない。人間くさい。それが妙にリアルなのだ。強さも弱さも持っていて、公的立場と私的生活のあいだでの葛藤もある。


 :歴史的正確さ:

 小説だから、当然フィクションはある。だが史料の裏付けをしながら、正確に伝えようとする意思が感じられる。例えば、源頼朝の弟の源範頼。平家追討の軍を率いて滅亡に追い込むのだが、平家滅亡ののち頼朝に殺される。なぜか。鎌倉幕府の御家人体制確立のために、そうせざるを得なかったのだ。それが短編のなかで、見事に描かれる。だから義経が頼朝によって死に追いやられたことにも同情しない。


 :時代像の鮮明さ:

 そうなると、当然描かれる時代像が鮮明になる。荒唐無稽でなく、まるで歴史書を読んでいるような錯覚に陥る。だがその錯覚は歴史的事実とそう遠くない錯覚だ。論文ではない。たしかにドラマが展開するのだが、事実に沿っている「匂い」がする。


 僕がこう感じるのは、大学で歴史学を学び、中世についても専門書を何冊か読んだからだろう。文学作品が歴史を学問として学ぶのに際しての助けになる場合は多々ある。

 近代の地主制度について理解するには、長塚節の「土」と小林多喜二の「不在地主」を読むのがよいと紹介されたことは、すでに記事にした。そういう特徴が永井路子の作品には溢れている。

 僕は今、短歌を詠んでいるが、もともとの専攻は「東洋文化」。そのなかで特に日本史を学んだ。このブログに「歴史に関するコラム」があるのは、そのためである。そしてそれが僕のオリジナリティだと感じている。

 その歴史と僕の短歌をつないだのが、永井路子の作品だったように思う。以前、永井路子が、中世史の研究者と親しかったと聞いた。その研究者の著作や論文集は今でも僕の本棚に並んでいる。

 どうやら僕の感じた「匂い」は、的外れではなかったようだ。

付記:< カテゴリー「歴史に関するコラム」「身辺雑感」「短歌史の考察」「短歌の周辺」「作歌日誌」「作家論・小論」「紀行文」「斎藤茂吉の短歌を読む」「写生論アラカルト」「茂吉と佐太郎の歌論」「岩田亨の短歌自註」 >をクリックして、関連記事を参照してください。
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