岩田亨の短歌工房 -短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

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大日本帝国憲法のもとで民主主義は否定されていた

2017年08月22日 | 歴史論
 大日本帝国は1889年に制定された。制定当時から基本的人権と民主主義を著しく制限するものだった。まず民主主義が否定されていた。主権は天皇にあり大正デモクラシーの時期の吉野作造でさえ「民主主義」と言えずに「民本主義」と言った。基本的人権は「臣民権利義務」とされ「天皇から臣下に与えられた権利で法律によって制限できる」というものだった。


 だから総選挙は政府による激しい選挙干渉が行われ、大量の負傷者、逮捕者をだした。新聞も各種の条例で統制されており、もっとも顕著なのは、1919年の米騒動。これは全国に騒擾が拡大し軍隊が鎮圧にあたるほどだった。これが波及しないように政府は新聞で米騒動を報じてはいけないという報道管制をひいた。

 ほかに民主主義、基本的人権を抑圧した例をあげよう。


 ・1891年の足尾鉱毒事件。栃木県足尾の銅山から出される鉱毒が渡良瀬川、利根川の流域を汚染し、埼玉、栃木の広範囲の農地を荒廃させた。農民の被害は甚大だったが政府は「富国強兵」を優先し農民を救済しなかった。田中正造の明治天皇への直訴があったのはこの時期だ。共謀罪ならぬ兇徒聚集事件として農民たちを大量に逮捕している。


・明治末から大正にかけては労働争議が続発。この国の人々の基本的人権が著しく制限されていたからだ。大正年間には二度にわたり憲政擁護運動がおこされた。最初は軍閥政治に反対し、二度目は普通選挙法を求めてのものだ。民主主義が抑圧されていたのだ。


・1922年には日本共産党が非合法で結成。集会結社の自由はなかった。1921年のは水平社結成。明治以降の被差別部落にたいする差別解消が全く効果をあげていないことが確認された。また1911年には平塚らいてうらによって「青鞜」か創刊され女性差別解消の運動がはじまった。


・このような民主主義、基本的人権の著しい侵害は1825年の治安維持法の制定により一層厳しくなる。「日本資本主義発達史」の著者野呂栄太郎、「蟹工船」の作者小林多喜二が相次いで逮捕勾留され、野呂栄太郎は獄死、小林多喜二は1933年に拷問で殺された。滝川事件、天皇機関説事件など、大学の学問への干渉、弾圧が行われた。


 東京新聞8月12日の国際政治学者三浦瑠麗の、大日本国帝国憲法下で「1943年から1945年」のせいぜい3年を除いて極端な人権抑圧はなかったというのは明らかなまちがい。新たなる歴史修正主義と呼ぶべきものだ。
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