岩田亨の短歌工房 -短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

短歌、日本語、斎藤茂吉、佐藤佐太郎について考える

横溝正史のミステリーの時代性

2012年02月08日 | 作家論・小論
 高校時代、横溝正史に凝ったことがある。と言っても「文庫本全巻読破」などというものではなく、文庫本数冊とテレビシリーズ(=金田一耕助:古谷一行)を毎週みた程度。「趣味が悪い」と家族には評判が悪かった。読んだのは「八つ墓村」「悪魔の手毬歌」「犬神家の一族」だったと思う。

 角川春樹事務所のプロデュース、監督・市川崑、主演・石坂浩二で映画化されブームだったので、どんなものかという興味のなせる業だった。


 だが改めて考えると横溝作品には、いくつかの共通点があった。


・連続殺人事件:

 被害者は一人ではなく、3人もしくは4人である。一見なんの脈絡もない連続殺人の被害者のつながりを、からんだ糸をほどくように、探偵が解明して行く。ストーリー展開の面白さがあった。(「人が殺されて面白いも何もない」というのが僕の家族の大方の意見だった。)


・遺産相続:

 物語展開の中に大抵、資産家の莫大な遺産を誰が相続するかが絡んで来る。「悪魔の手毬歌」が例外的なもの。(映画で主演した岸恵子はここが気に入ったという。そのせいか、映画の「悪魔の手毬歌」は悲しい終わり方をし、原作とはかなり違う。)


・家制度:

 その相続が問題となるのには、「家の存続」というテーマがある。そしてたいていの作品では「家長」の権限が強い。家同士の確執もあることが多い。それも新興勢力の家と没落した旧家と。


・復員兵:

 物語の「狂言まわし」は金田一耕介だが、隠れた「狂言まわし」は復員兵だ。怪しいと思わせつつ、復員兵が必ずしも犯人ではない。だが復員が事件の引き金になることが多い。


・旧家・名家の没落:

 相続問題の起るのは資産家の家だが、没落しつつある家が重要な舞台設定だ。中には華族(子爵家)の場合、跡取りが戦死した網元とその一族、農村の落ちぶれた庄屋・跡継ぎのない村の旧家、事業に失敗した旧家。その旧家の陰の部分が事件の鍵となる。


 こう見て来ると「戦争」が重要なテーマとなっている。それも終戦直後の「人間の心のすさみ」を背景としている。そしてアメリカの占領政策が進展していくにしたがい、シリーズは終わりへと向かう。

 いわゆる戦後民主化の中で、家制度・戸主権・華族制度はなくなり、農地改革によって、耕作に従事しない地主もいなくなった。だが古い因習は特に地方に残っていた。そこに事件が起る。時代を投影している。その意味で横溝作品には「時代性」がある。

 横溝正史の作品は大衆小説だが、「時代」をしっかりと捉えている。「新しい時代の要求に合わせて、問いなおす」ことをすぐれた仕事と岡井隆は言うが(岡井隆編集「集成・昭和の短歌」)それは横溝の作品にも言える。

 ところで金田一耕助は名探偵なのだろうか。次々と殺人が起こり最後の最後に種明かし。

「僕がもっと早く気付いていれば、第二、第三の殺人は防げたかもしれない。」

 これが半ば決まり文句だ。名探偵ならもっとはやく気づいてもいいと思うのだが。


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