岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

納沙布の流氷の歌:佐藤佐太郎の歌

2012年05月04日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・流氷のたゆたふ黒き潮流氷にたゆたふ黒き潮納沙布の海・

「冬木」所収。1962年(昭和37年)作。

 破調の歌であり、佐太郎には珍しい。5音・9音・5音・9音・7音。しかも結句をのぞく「5・9/5・9」がリフレインとなっている。「の」と「に」の違いがあるのみ。三行書きにしてみる。

 流氷のたゆたふ黒き潮

 流氷にたゆたふ黒き潮

 納沙布の海

 まるで自由詩だ。「たゆたふ」を「漂う」にすれば、口語自由詩になる。(「たゆたふ」については、別の作品の自註で「『ただよう』でもよい。無理に文語にしなくてもよい。」と言っている。「作歌案内」)

「の」と「に」との違い。「潮」と「流氷」と、どちらがどちらに「漂わされている」のか、一面の海に流氷が漂っていればわからない。「の」だと「潮」が主体で、「に」だと「流氷」が主体。

 科学的に言えば「海」に「流氷」が「漂っている」のだが、それは理屈。実際に見たところを詠んだのだろう。

 佐太郎の自註。

「崎の潮は動き、流氷も動いている。潮を主にしていえば、流氷にしたがってただよっている。流氷を主にして見れば、潮は氷にあたって動いている。『の』と『に』という二つの助詞をつかいわけただけの遊びのようだが、そこに興味の中心があるのではない。少しの言葉で多くのことを言うのは表現のよろこびでもある。こういう手法はまれにあるからよい。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)

 こういうのを「破調が効いている」というのだ。言葉をかえれば「必然性のある破調」といえよう。




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