岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α13号」作品批評

2016年11月07日 23時35分26秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「星座α」13号 作品批評


 「理屈や説明を排するために」


 今号は粒揃いの作品が多かった。理屈や説明でなく、作者一人一人が情感を確かにかみしめている。情感であるから喜怒哀楽を先ず心に留めることだ。

 (異国より選挙の投票する歌)


 政治に関わることだが、異国に住む作者の望郷の念が表現されている。


 (朝日が一人の部屋に差す歌)


 作者は一人暮らしなのだろうか。その孤独感と尋ね来る人を待ちわびる情感が表現されている。


 (例大祭のポスターを貼る人の歌)


 下町であろうか。例大祭とは年に一、二回と決められた祭礼である。街の風物詩なのだろう。懐かしさが伝わる。


 (自分を悔いつつ言訳を探す歌)


 悔恨と悲哀の情である。作者の自己凝視もそこにある。巧みな心理詠だ。


 (熱い涙の流れ出る歌)


 解説の必要はなかろう。非常に主情的な作品である。余程作者の心に響く言葉を聞いたのだろう。

 (自分の発した言葉が返って来た歌)

 自分の発した言葉が自分に返ってくる。作者は救われた気持ちになったのだろう。


 (細かい雨が音もなく落ちる歌)

 場所の設定、対象の限定が効いている。叙景歌ではあるが、哀感が漂ってくる。

 
 (仏間に座り遺影に語りかける歌)


 挽歌である。結句の表現が効いている。


 【短歌は定形の抒情詩である。表現したい抒情が読者にストレートに伝わる作品が秀歌だと僕は考えて選歌している。モダニズムとは違う表現の特徴のある作品に毎回注目している。】



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