UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

遠い日の想ひ出:赤い柿の実、そしてグラタン事件・・・

2016-12-08 00:07:24 | 日記

昨日も穏やかな一日でした。まだ残っている赤い柿の実が青空を背に元気です

まだ残っているなあ、とぼんやり眺めていましたら、柿の実を題材にした詩を思い出しました。詩人の石垣りんさんが随筆「詩の中の風景」(1992、婦人の友社刊)で紹介していた大木実という詩人の作品(昭和21年)です

《猿蟹合戦》

柿の木のしたに 弟はいる
柿の木を仰ぎ
「早くおくれよ」と
繰り返しながら

柿の木の枝に 兄はいる
兄は柿の実を食べている
ふところに
赤い柿の実がのぞいている

「早くおくれよ」と
その声は泣き声になる
「ほうれ やるぞ」
兄はひとつ投げてやる

嬉しそうに駆けだしたそのときの弟の姿よ
そして拾いとり兄を仰いだそのときの悲しい眼よ

-弟よ
いちばん小さい いちばん色の悪い実を投げた
私は猿蟹合戦の猿のように賢く意地悪い兄であった

この詩人はこの詩を作ってから四半世紀後、昭和46年に次のような作品を書いています

《樹のしたで》

樹はたっている
ここにこうして
子供たちの生まれる前から
樹はみてきた
夏は涼しい陰をひろげ
本を読んだり遊んだりした子供たちを
樹は知っている
ひとりの子供が泣いたことを
ひとりの子供が怒ったことを
樹よ
樹よ
遠い日の涼しい風よ
あのとき怒ったのは僕だ
あのとき泣いた弟はもう帰らない

この詩を読んでいて、GGIも遠い日のことを想いだしてしまいました。こういうことってよくあるんだよなあ・・・

それは同じく、戦後のまだ誰もが貧しかった時代のことです

ある日、わがマザーがどこかから習ってきて、今まで口にしたことにない「グラタン」なる大ご馳走をつくりました。マザーがガスで加熱するオーブンから、できたての湯気のたつグラタンを取りだします。

飢えた子ども5人、すなわち3人の兄、GGI、妹がアツアツのグラタンをよだれを流さんばかりに注視いたします。マザーが、公平に別けられるように、ナイフで軽く線を入れます

最初にナイフを入れて取るのは長兄です

衆人環視のなか、はじめ長兄は慎重のようでありました。ところが、最初境界線に沿ってナイフを垂直に立てたものの、そのあとナイフを隣の区画へ向けて斜めに深く入れました、自分の取り分を多くするためであります

悲鳴があがりました

「ワアッ、兄貴、ずるい!」

遠い日の思い出であります、あれから半世紀以上が経ちました。長兄は元気です。長兄の弟の一人はもう帰りません・・・・

今日の写真はまだ元気に輝いている柿の実君たちです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

コメント
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