今日は八月十五日、終戦記念日です、
と書きますと現代史などにうるさい方などから「こら、終戦なんて歴史を誤魔化すようなことを言うな、あの戦争に敗けたのだ、あれはレッキとした敗戦だ、だから敗戦記念日と言え」などとお叱りの言葉がとんできそうであります。
しかしながら、GGIは当時御年4歳に過ぎず、この日の状況を記憶しているわけではありませんので断言はしかねるものの、当時の内地(本土)でこの日を迎えた大人の大半は「やれやれ、やっと厄介な戦争が終わった、今日からは警戒警報が鳴ったり空襲で逃げ惑うこともない、今夜から夜になっても堂々と電燈を灯すことができる」という安堵の気持ちを抱いていたことと思われますから、やはり、「終戦記念日」でありませう
GGIの長兄のように当時軍国少年であったり、現役の軍人であった場合は「敗けて悔しい、復讐だ、次は敗けないぞ!」という一念であったでしょうから、八月十五日は終戦なんかではない、断固として敗戦であると思ったことでしょうけれど、それはまあ少数派というべきでありませう。
昨年末に惜しくも亡くなった作家の野坂昭如は、様々な作家の敗戦日記あるいは終焉日記を読んで当時の日本人があの戦争をどのように考えていたのか、感じていたのかについて自らの思いを記した「終戦日記を読む」という本(2005、NHK出版、朝日文庫)を著わしています
この野坂氏の著作を読みますと、みなさん、少なくとも内地で八月十五日を迎え方の大半は、やはり厄介な戦争がやっと終わったという感が強く、敗けてくやしいという気配はほとんど感じられませぬ。
当時内地で暮らしていた大人たちの多くは、戦争による被害を何か天から降ってきたとんでもない災のようにしか、まるで大地震か台風などの天災による災禍の一種のようにしか感じていなかった気配がどうやら濃厚であることを踏まえて、野坂氏は「日本国民は、12月8日に呆然として、そのまま、呆然と、戦争のなんたるかを知らぬまま、知ろうともしないまま、戦争を他人事と受け取って、呆然と過ごし、8月15日、ようやく戦争を認識した」、そして「戦争に敗けて正気に戻った」と記しています。
このように日本人は八月十五日に「やれやれ厄介な禍が去った」とほっとするか、あるいは「敗けて悔しい」と思ったかのいずれかであるのですが、ひとり天皇だけはそうではありませんでした。
禍が去ったとほっと一息ついたわけでもなく、敗けて悔しいと復讐を誓ったのでもなく、終戦の詔書において
《惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善(よ)ク之(これ)ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所 堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス》と宣言して、
一瞬のうちに平和天皇へと鮮やかに変身を遂げたのです
(終戦の詔書の原文は以下のサイトから引用しました)
http://mainichi.jp/articles/20150801/mog/00m/040/004000c
終戦の日と申しますとセミの鳴き声が付きものでありますので、今日の写真はセミ君を撮ったものです。真夜中に網戸の宇宙で道に迷い、「ボク、道に迷っちゃった、どうしよう・・・あのセミ君が言っていたように右か左か、どっちかへ行けばよかったのかなあ」と泣いているリベラルのセミ君です。よろしければクリックしてご覧になり、セミ君を励ましてやってくださいませ
グッドナイト・グッドラック!