復帰45周年に思うこと

今日は沖縄復帰の日。
朝からその特集がテレビで放送されていました。
復帰して45年経った今なお、過重な基地負担を強いられているにもかかわらず、その負担を県民に押しつけている他府県の無関心さとそれに憤りや悲しみを抱いている県民、というトーンだったようなものではなかったでしょうか。確かに多くの県民感情としてはそうかもしれません。

ただ、他府県民が沖縄に理解を示すにはどうすればいいのか、簡単ではなく、難しいことでしょう。

ではどうすればいいのか一日中、自問自答していました。

そこで行き着くのは、「他人は変えられないけれど、自分は変えられる」ということです。具体的に何を変えるのか、というのは、沖縄がもっともっと他都道府県、いや世界の出来事に思いを馳せ、役に立つ存在になるよう行動することです。
つまり、沖縄以外の悲しい出来事に寄り添い、共感し、関わる(支援も含めて)ということを積み重ねていくことでしょう。私たちにそのことが出来ていたのか、振り返ってみる必要がありますね。

例えば近年において、東日本大地震の被災者や被災地、福島第一原発事故の被害にあった住民、熊本大地震の被災者など、それぞれ他府県で起きた天災人災に思いを寄せているのか、そのために何ができているのだろうかと考えると、私自身何も出来ていなくて恥ずかしくなります。

私たち沖縄が、自身で背負いきれない大きなものを押しつけられているからこそ、他の地域の同様の問題に共感し、問題解決に関わり、力になっていくのか、という部分がもっともっとあっていいはずです。

つまり、沖縄自身がどこかの誰かのために役に立つという発想と行動が必要なのかもしれません。世界の平和、人類の繁栄、そしてそれを支える持続的な地球環境、そういう大きなビジョンに沖縄がどれだけ行動できるか、国内の問題にどれだけ関わるか、それを積み重ねて多くの方から信頼と評価を勝ち得たときに、はじめて全国的な共感が広がっていくものだと信じています。

いつ実現するのか分かりません。私たち沖縄が県外に目を向け、世界に思いを馳せ、地球という存在に感謝をして、行動して生き続けることによって、世界にとってかけがえのない存在になって初めて基地問題は解決することになるでしょう。それまでは一つ一つの出来事に大く喜んだり、悲しい出来事に激しい怒りを露わにすることなく、沖縄県民が遠い遠い道のりを歩んでいくんだという覚悟と決意が求められているのかもしれません。

少しまとまりがなく、長文になってしまいました。読んでいただきありがとうございました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 御茶屋御殿は...