史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

河原町二条

2016-10-29 19:13:53 | 京都府
(法雲寺)
 河原町二条の法雲寺は、文久二年(1862)七月、中老格長井雅樂殺害に失敗した久坂玄瑞らが、家老浦靱負に自首し、同年八月、謹慎のため入った寺である。ともに謹慎したのは、寺島忠三郎、野村和作(靖)、堀真五郎、福原乙之進であった。浦の家臣である秋良敦之助やその子息雄太郎、赤根武人、世良修蔵、松島剛蔵らが慰問のためここを訪れている。
 また、同年七月十七日、万延元年(1860)以来亡命生活を送っていた吉田栄太郎(稔麿)が伏見街道にて世子毛利定広に自首し、そのまま法雲寺にて謹慎した。


法雲寺

 当寺は、元治元年(1864)の禁門の変の戦火を免れた。明治元年(1868)十一月の伽藍は、中心部に本堂、それに接続して東側に書院、台所が南北に位置していた。現在も残る本堂、書院、台所は当時のままの建物である。
 稔麿は、同文久二年(1862)閏八月、久坂玄瑞も同年九月に謹慎を解かれ、法雲寺を離れた。


久坂玄瑞 吉田稔麿等寓居跡
 此南西 吉田稔麿所縁塩屋兵助宅跡伝承地

 法雲寺門前には、歴史地理史学者中村武生氏によって建てられた右の石碑が新しく建てられている。
 吉田稔麿が懇意にしていた塩屋兵助方もここから至近の二条寺町東入ルにあったとされる。塩屋は「正義之者」で、池田屋事件で稔麿が亡くなった時、その詳細を叔父里村文左衛門に伝えて、預かった用心金三十両も送り返している。

(日本銀行)


明治天皇行幸所織工場阯

 明治十年(1877)、明治天皇の関西行幸の折、明治天皇は一月二十八日から二月六日、さらに二月十六日から七月二十八日にわたって京都に滞在した。西南戦争のため、天皇の京都滞在は長期化したが、その間、中学校、女学校、女紅場、織工場等を視察した。織工場では、織機、綴れ織、機械縫い、西洋仕立等を見学したといわれる。


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