史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

氷川台

2016-12-10 09:41:55 | 東京都
(広徳寺)


広徳寺

 「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、会津藩佐川官兵衛の弟、佐川主殿の墓が広徳寺にあると記載があるので、広徳寺を訪ねた。かつて広徳寺は下谷にあったが、関東大震災で焼失し、その後の区画整理によって大正十四年(1925)から墓地をこの地に移し、別院となした(練馬区桜台6‐10‐19)。昭和四十六年(1971)には本坊も移され、現在のたたずまいとなった。


立花宗茂の墓

 広徳寺には小堀遠州、立花宗茂、柳生三厳など史上有名な大名の墓が並ぶ。
 しかし、いくら墓地をしつこく歩いても目当ての佐川主殿の墓は見つからない。佐川主殿は別称又三郎。先備甲士。鳥羽伏見役後江戸残留。慶応四年(1867)三月二十二日、日本橋料亭にて幕府歩兵と争い死亡。三十四歳。


柳生家の墓

 柳生家墓地には、初代柳生宗矩、二代柳生十兵衛三厳、三代柳生宗冬、四代柳生宗在の墓が並ぶ。


近衛秀麿の墓

 近衛家墓地には近衛秀麿(1898~1973)の墓がある。近衛秀麿は、時代は幕末とは異なるが、我が国の音楽史に重要な足跡を残した人である。父は貴族院議長、公爵近衛篤麿。祖父は近衛忠房。兄に首相近衛文麿がいる。渡欧して作曲と指揮を学び、帰国後新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を結成し、自ら正指揮者に着いた。欧米のオーケストラにも客演して日本の作品を紹介するなど、日本の交響楽運動の草分け期に尽くした。

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