史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

浜松 Ⅱ

2017-12-10 08:38:05 | 静岡県
(西來院)


西來院

 毎月数回沼津事業所に足を運んでいるが、今回沼津行きが金曜日に当たったため、駅前で開かれた懇親会に出席した後、各駅停車で浜松に向かうことにした。各駅停車で沼津から浜松まで二時間以上もかかる。急ぐ旅でもないし…と言ってみたものの、さすがに二時間は長かった。
 夜中に雨が降ったようであるが、朝には止んでいた。この日は、静岡県西部を自動車で回る。冬の日は短い。効率よく回らなければならない。もちろん、昼食など取っているヒマはない。

 この日の最初の目的地は、浜松市広沢の住宅街にある西來院である。墓地には、戦国時代の悲劇の女性、築山御前の墓がある。築山御前は、松平元信と称した時代の徳川家康の妻で、長男信康、長女亀姫を生んだ。同盟関係にあった織田信長から謀反の疑いをかけられ、天正七年(1579)、長男信康とともに殺害された。行年三十八。家康はこれを哀れみ、懇ろにこの地に葬らせた。


築山御前の墓
(法名:清池院殿潭月秋天大禅定法尼)

 私の目当ては、築山御前の墓ではない。会津藩士北原雅長の墓がここにある。


北原雅長墓

 北原雅長は、天保十三年(1842)、会津藩家老神保内蔵助の次男(兄は神保修理)に生まれ、のちに北原家を継いだ。戊辰戦後には萱野権兵衛の自刃に立ちあった。後に長崎県吏となり、日下義雄長崎県知事に見いだされ、明治二十二年(1889)初代長崎市長となった。東京下谷区長を務めた後引退。その後は浜松で和歌に親しみ、大正二年(1913)七十二歳で没。京都守護職時代の会津藩の動向を記した「七年史」を残した。

(大聖寺)
 中区幸四丁目の大聖寺もやはり住宅に囲まれた場所にある。この墓地に清水次郎長の子分、小政(本名山本政五郎)の墓がある。


大聖寺

 小政は、浜松に生まれ、十一歳から次郎長が預かって育てた、生粋の子飼いの子分である。次郎長の教育の結果、「剽悍殺伐」と称されるほど、素早くしかも平然と人を殺す一匹狼に成長した。修羅場の次郎長を助けたが、次第に一家の秩序をはみ出し、暴走して重荷になっていく。「大政・小政」と並び称される大政は、組織のオルガナイザーであり、参謀といった円満さを備えるが、小政は激すると何をするか分からないという恐さがあった。


山本政五郎墓

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