史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「弾左衛門とその時代」 塩見鮮一郎著 河出文庫

2016-10-29 21:41:26 | 書評
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んで以来、弾左衛門のことが気になっていた。本屋の店頭でこの本を見つけ、迷わず購入した。
著者によれば弾左衛門は、「職名であるとともに人名」であり、弾左衛門とは制度であると喝破する。弾左衛門は、町奉行の配下にあって、江戸期十三代にわたって長吏とか穢多、非人と呼ばれる被差別民を統括する役割を負っていた。
我が国における被差別民の存在は、封建時代の所産であった。明治になって「外聞」を憚った新政府は、明治四年(1871)、解放令を発して被差別民という身分を一気に解消した。岩倉使節団が外遊にでる直前のことである。この時、弾左衛門は「醜名の除去は、一時に除去すると混乱するので、漸次に、徐々に除去すること、どのような順で除去するか」は自分にまかせてほしいとした。確かに解放令直後に農民による解放令反対一揆が起こっていることを考え合わせると、弾左衛門の懸念は当たっていたといえよう。一方で、平民化を求めつつも、被差別民の統括者としての立場を維持したいという弾左衛門の思惑もあったという。
いずれにせよ、改革を急ぐ政府は弾左衛門や大江卓の提案に反してラディカルで革命的な解放令を発布した。この結果、弾左衛門は穢多頭の立場を失い、穢多村が焼かれ、東京府内に浮浪人があふれ出した。我が国において、今日まで続く被差別部落の問題は、この時の処理が拙速に過ぎたため尾を引いているのかもしれない。
著者は「部落の所在を隠すのは(略)それが緊急的な避難措置であったのはよくわかるが、いつまでもそこに安住していていてはいけない。部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して、それでも差別がおこらないのが、わたしたちの目標」という立場である。主張は良く分かるが、現時点ではまだ理想に過ぎる。そこに至るまでもう少し時間が要るのではないか。

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