史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

湯梨浜

2016-10-14 22:19:42 | 鳥取県
(西向寺)


西向寺


因藩勤王二十二士之碑

 湯梨浜町松崎の西向寺本堂の前に因藩二十二士之碑が建てられている。幕末の松崎領主和田邦之助が藩内の勤王派を支援していた関係から、昭和二十七年(1952)この場所に建碑されたものである。石碑の前面には因藩の勤王派二十二士の名前が刻まれ、裏面には勤王派の事績が簡単に記されている。この碑文によれば、文久三年(1863)、攘夷親征の大詔が煥発されると、鳥取藩では藩を二派に分かれることになった。当時、在京の勤王派藩士は、君側の奸を除くことを急務と考え、京都本圀寺において黒部権之進ら数名を暗殺した(本圀寺事件)。この後、新庄は金策に出て帰らず、また奥田は自刃したため、彼らを除く二十名を「二十士」とも称する。二十士は鳥取を脱し、長州に逃走を謀ったが、出雲手結の浦にて復仇に遭い、詫間樊六、太田権右衛門、吉田直人、中野治平の四名はそこで討たれた。松江市鹿島町手結の禅慶寺に彼らの墓がある。
碑文に刻まれた二十二士の氏名は以下のとおりである。

河田景與 河田景福 足立正聲 中井範五郎 太田権右衛門 中野治平 詫間樊六 吉田直人 佐善修蔵 奥田萬次郎 加須屋右馬允 伊吹市太郎 清水乙之允 吉岡平之進 加藤助之進 澁谷平蔵 澁谷金蔵 永見和十郎 大西清太 山口謙之進 新庄恒蔵 塩川孝治

(羽合臨海公園)
 日本のハワイである。といっても、常夏の島でもなく、ワイキキのビーチがあるわけでもないが、ここには温泉がある。


橋津台場跡

 鳥取県沿岸の台場跡の二つ目は、橋津台場跡である。羽合臨海公園内にある。
 文久三年(1863)、大阪の天保山砲台を警備していた鳥取藩の警備隊がイギリス船に向けて発砲するという事件が起きた。報復を恐れた藩では、急遽大誠村瀬戸(現・北栄町瀬戸)の竹信潤太郎に相談し、農民の協力を得ることに成功し、由良台場、橋津台場を次々と築造し、同年末までに藩内八箇所の台場が完成した。このうち由良台場はほぼ完全な形で残っているが、浦富、橋津台場はおおよその原形ととどめている。橋津台場は、築造当時の図面が現存していない上に、波の浸食により約三分の一が流出していて本来の形状が長らく不明であったが、明治二十五年頃の図面が見つかり、由良台場と似通った形状であったことが判明している。


明治百年記念 因幡二十士来舩之地

 本圀寺にて黒部権之介らを暗殺した因藩二十士は、その後黒坂の泉龍寺、荒尾家に幽閉されたが、幕府が第二次長州征伐の兵を起すことを知った彼らは脱出して長州へ向かった。彼らは橋津から出航した。この石碑は、明治百年、即ち昭和四十三年(1968)に羽合町によって建立されたものである。


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