史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

日暮里 ⅩⅤ

2010年11月20日 | 東京都
(永久寺)
 永久寺は上野戦争の際の戦火で全焼した。
 本堂の前には、山猫めをと塚と猫塔記が建てられているが、これは親交のあった榎本武揚から贈られた夫婦の飼い猫の供養塚である。碑文は福知桜痴。猫塔記の方は、魯文が主催した珍猫百覧会を記念したものである。


山猫めをと塚(左)と猫塔記


仮名垣魯文の墓

 仮名垣魯文は、明治時代の戯作者、新聞記者。文政十二年(1829)江戸京橋の生まれ。少年時代から式亭三馬や十返舎一九などの作品を耽読し、諸方を遊歴したあと、作家生活に入った。明治に入ると、当時の文明開化に浮かれる世相を風刺する「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」などの作品を発表し、一躍花形作家となった。更に「横浜毎日新聞」「仮名読新聞」「いろは新聞」「今日新聞」などに軽妙な文章を寄せ、人気を博した。明治二十七年(1894)、六十六歳で没し、当寺に葬られた。


猫塚碑

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