整体師の独り言  ウエダ心理整体塾のブログ

野口整体と心理技法による健康指導 京王線稲田堤徒歩5分 tel 044-944-5156 

止観の行

2017-07-13 12:43:31 | 身体の技法
平安時代の頃、日本に仏教が入つて間もない頃は、座禅や瞑想のことを「止観(しかん)」と称していた。

そのことは以前から知つていたが、止は集中であり観は内観であると信じていた。

しかし最近、少し違ふ解釈になつた。

違ふ解釈になつたきっかけは、言霊を知り、それを身体感応で経験したことから。


止とは文字通り、止めることである。

何を止めるのか?

それは思考である。それは座禅や瞑想など、心を見つめる方法はいくつかあれど、共通して言われているから、基本中の基本と言へやう。

思考が常に動いている人は、自分を見つめても受け容れられないと悩んでしまい、心が動揺し、誰か他者(神)に救いを求める。

そこで幸いに他者からの霊言(具体的アドバイス)を得られ、問題が解決したとしても、思考は常に動き、解らないことには動揺してしまう心の性質は、変わらない。

そこが変わらないのなら、心の成長と結びつかない。

そこが商売的な人生相談の限界。



だから思考と同時に止めるものは、心の揺れ動きである。

だが止めるのはそこだけで、他の処は動いてなくてはならない。

特に身体を流れる氣の流れは、止めてはならない。

その氣の流れが、その時その場に応じた臨機応変な、感覚的、直感的判断をもたらすから。

しかし強い精神統一は、氣の流れをも止めてしまう。

すると心を固めてしまう。

固めてしまうと、心を変容させることが出来なくなる。

だから止めるのは、下腹の一点、腰椎3番に感応する処のみ。

それが出来るためには腰の力とハラの感覚が必要となる。

だから「止の行」とは身体的なもので、正座すり足、五体投地、山歩きなどがそれに応る。





そして観。

観とは見つめることだが、それをつい先日まで、目で見ることだと勘違いしていた。

目で見るのは、物体である。しかし物体を動かす氣や心は、目では見えないのであつた。

そこに気がつかなかつた。

それに目で見やうとすると、見たものについて考えいろいろ空想してしまう。

ならばどこから観るのか?

私が掴んだ感覚では、喉である。頚椎6である。

そして心全体が身体に投影する処はお腹なのである。

だから喉からお腹へ照明を当てるやうな感じにすると、心が観えてくる。

そこからさらに、身体各部をリサーチしてゆくと、体性感情が観えてくる。

それが「観の行」。


そして氣を動かし心を動かすのが「聲」。これも頚椎6からの発聲である。

それが言霊の原理であり、祝詞、読経の原理である。



この記事を、身体の技法のカテゴリーに入れたのは、昔の日本人は心を観ることも身体を通していたことに気づいたから。

前記事に紹介した夫婦も、共に止観の行を修していたなら、もつと違つた展開になつたことだらう。












ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 無意識の復讐心 | トップ | 行か、業か »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL