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再び、感じるについて

2017-06-15 14:35:34 | 雑談
前の記事は、何か私にとつて、歯切れの悪い、理屈っぽい内容となつた。

うーん、もつと優しくシンプルな表現が出来ないものか?

そんなことを考えた一週間だつた。


そこで再び。


天気予報では「今日は晴れ、明日も晴れ」であつても、今日の晴れと明日の晴れは同じ晴れでも微妙に違う。

どこが違うのか? 客観的には解らないし変わらない。

でも私にとつては、微妙なことだけど明らかに違う。

それは自然気象は、常に動いている、運動しているからであり、状態としては同じ晴れでも動きが違う。

同じやうに私の身体も常に運動しているから、昨日の身体と今日の身体は医学的には異常なしでも動きが違う。


その、動いているもの同士が出会うとき、近くに在るか遠くに在るか、近づこうとしているか遠ざかろうとしているか、で感じ方は違ってくる。


私が今日、あなたの身体に触れて感じたことと、明日あなたの身体に触れて感じることは違って当然であり、むしろ違わないほうが不自然ではないか?

私があなたの身体に触れて感じたことと、彼があなたの身体に触れて感じたことが著しく異なっていても当然であり、むしろ違わないほうが不自然なのだ。



だから感じるといふことは、感じるといふことに客観性はないのであり、客観性は基準にもならない。

あくまで、私と自然の関係、私とあなたの関係。



でもそんなことは、そんな違いは、働くことに、生活費を稼ぐことに、借金の返済に、立身出世に何の影響も及ぼさないから、たとえ違っていても、そこに不自然さがあつても、社会的には問題とされない。


だから現実生活とは関係のない、次元の違う、夢想の世界の話。




でもたとえ、現実的には無意味なことであつても、私たちが生きることには意味をなしてくる。

健やかに、愉しく生きるには、大いに意味をなしてくる。


うーん、まだだいぶ抽象的かな。

現実的に日々していることも、いつも会っている人の外見も変わらねど、そこに一点でも微妙な違いに気づけば良いのです。その違いは、こらちの状態の違いでもあります。


その感受性が私たちの日常を彩ります。





2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感じる (関孝之)
2017-06-20 20:43:28
感じないようにしようと抑えこむのでなく、とことん感じを味わって見ることにこの頃してます。何かしようとかしてやろうとかでなくただ感じに集中すると何か語りかけてくる感じがします。感じるっておもしろいですね。
Unknown (うえだ)
2017-06-22 15:50:24
自分の感性に自信がある人が一番危うい。

いくら感性があつても、日々同じ想いで過ごしていたり、ITに囲まれた中でそれに頼って働いていると、感じ方は想いの範疇となり、機械のような感じ方となる。


だから日々、必ず一点の違いを見つけることを心がけて、感性を磨く訓練を生活の中に取り入れませう。

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