整体セラピストの独り言  ウエダ心理整体塾のブログ

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能と整体

2017-02-14 10:18:04 | 雑談
20年ほど昔のことになるか、能を観てある体験をした。

それは良かつたとか素晴らしかつたとか感動したとか、簡潔な言葉では言い表すことの出来ないやうな、内的な体験。

心とか感情といふより、身體の内側で何かが起こる。それがとても良い気分を誘う。そして心は、静かになる。

それが良くて、ほぼ毎月能楽鑑賞を楽しんだ。だが私にとつてはこの内的体験を求めていたので、能の曲のストーリーなど、解らなくても気にならなかつた。

そして何年かして意を決して、能を習うことにしたのだが、私がいざ謡つたり舞つたりしても求めている内的体験が得られないどころか、慣れない難しい動作のために肩を痛めたりした。

それでもあこがれの能楽師に身近に接することが出来る好奇心から、4年は稽古を続けた。

しかし私は、習つた仕舞や謡を家でおさらいすることもなく、いつまで経っても覚えられない。

なぜ習ったことをおさらいしなかつたのだらう?

おそらく先生からしたら、この生徒は何を求めているのか、何をしに来ているのか?熱心なのか、ただの冷やかしなのか、理解不能な生徒だつたに違いない。

それは私がそこに求めたのは内的経験であつて、仕舞や謡の芸を修めることではなかつたからだが。



その内的経験こそ、體が整ふといふ感覚経験であつた。それは整体を深く学んだ後日に知つたことであつた。

そして能に限らず、日本の伝統芸能はすべて、體が整ふといふ感覚経験を誘う。演者の體が整ふと、感応してその場にいる観客の體も整ふ。

だがこれは名人のなせる技であつた。



ともかく體を整へたいのなら、素直に體を整へることをすれば良かつたのだ。技芸などで體を整へるといふ応用編に挑むのは早すぎたし、それを求めるのは自分を飾りたい見栄があつた。

しかし能を習つて何も得ないわけではなかった。謡、仕舞の基本となる體の使い方を得た。

それは、すり足、正座、そして発声である。これは體を整へる基本動作でもある。

なので今でもほぼ毎日30分は稽古している。

今の私が目指すこと。

すり足は魚が泳ぐ如く流れるやうにしなやかに。正座したら微動だにせぬこと1時間、沈黙の世界。発声は場の空気が振動するほどに勢いがあり力強く、しかし透き通るやうに美しく。


今の私は、この基本動作の稽古で十分満足している。技芸に至るなど、まだまだ先のことだ。





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