整体セラピストの独り言  ウエダ心理整体塾のブログ

身体的心理技法による健康指導 京王線稲田堤徒歩5分 tel 044-944-5156 

身体も夢想する?

2017-05-20 15:19:45 | 身体の技法
それでは、私たちの身体は現実に生きることを望むか?

あるひは夢想に生きることを望んでいるか?

つまりは、どちらのモードの時に、元気が湧いてくるか?


それは当然、現実に決まっているでしよ。

確かに、働いて、お金を稼いで、そのお金で好きなことをして、欲しいものを手に入れて、と現実的なことを想像し、想像したことを行動に移しているとき、私たちの身体は活気がみなぎるだらう。

そして周りの人々と仲良く、睦まじく付き合ひたいと望むだらうし、関係の雰囲気がさうであれば息が楽で身の動きも軽やかとなるだらう。



ところが現実には、誰とも考えや気持ちが共有出来るわけではなく、合わない人とも付き合つてゆかなくてはならない。

そこで様々な関係の諍いが生じる。

その痛い経験が記憶に残り、身体に刻まれると、現実をのびのびと楽しく生きられなくなる。

そして現実的な行動は、あたらず触らず、自分を殺し、事務的に機械的に行動する。

その心の奥には、出来ればこうしたかつた。ああなりたかつた。かういう人生を夢見ていた。と過去の夢が潜んでいる。

さういう状況、心境の人の身体は、果たして現実で活き活きとなれるだらうか?



プロセスワークでは、身体症状は身体の観ている夢であると説明する。

確かに、私の場合も、アトピーの背後に「暴君」が夢想されていた。

そしてまた、「教祖」も夢想されていた。

「暴君」と「教祖」? 相容れないやうだが、両者に共通する想いは、「世の中を良くしたい、変えたい」といふ願いであつた。そして過去世おいて挫折した、望み半ばでいのちを断たれた記憶がある。

しかしその望みは無くなることなく、新しい生命に受け継がれ、アトピーといふ形で現れていた。そしてまた、勝負事はすべて負ける形にも現れていた。



あるセラピストは、生命の働きは「本音、気持ち」であると語る。

本音、気持ちとは、心の奥にある要求、叫びである。

その要求が私たちの生命、原始感覚を働かす。


身体症状にならなくとも、長く続く趣味的行動、風俗での性的な遊び、そして男と女の社会的には許されない関係、さういうことに私たちがはまってしまうのは、そこに本音、気持ち、夢想が投影されているからではなからうか。



身体症状に投影されている夢想に気づくためのワーク。

その症状を受け容れる。

その症状を「視覚。聴覚。触覚、嗅覚、運動感覚」のどこで経験しているかを確かめる。

その感覚経験を深めてゆき、そこに漂う雰囲気に気づき、その中に深く入つてゆく。

その雰囲気から何を想像するか?
















コメントを投稿