ここのところ従軍慰安婦についてのブログ記事が多くなっていますが、学習院大学近代史研究会で日本の近代史を学んできたものとして、安倍首相や橋下大阪市長をはじめとする「靖国派」らによる歴史の偽造を許せない! という気持ちが強く溢れているからです。
下記の事実を確認しながら、歴史の偽造をすすめる自由社・育鵬社の教科書を採択させない市民の運動の大切さを確認したいと思います。
また、「強制された従軍慰安婦はいなかった」と歴史を偽造している人たちは、同じように、「沖縄で軍の指示による自決はなかった」「南京大虐殺はなかった」「日本の戦争はアジアを解放する正義の戦争だった」などと、信じられないことを言っています。
歴史の偽造を許さず、過去の戦争の過ちはしっかりと反省し、友好の未来を切り開いていきましょう!
さて、上の写真は、5月16日の日刊ゲンダイの記事です。
私がこの間ブログに書いていたことが、こういう形で報道されていたのですね。今日知りました。
さらに次は、太平洋戦争にかりだされた兵隊さんたちが見た従軍慰安婦たちの姿の証言です。
■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年
須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」
1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所
スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……
「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。
しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。
■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年
スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島
(慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……
私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」
彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……
将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。
こうした証言が、「日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態」というサイトに集められています。
従軍慰安婦は、自由意思によるお金もうけの売春婦ではなかったことが、多くの元日本兵の体験談から語られています。
安倍、橋下らによる歴史の偽造を許さない、貴重な資料です。どうぞご確認ください。