うどんジムは、総論として、単純に大きな会社の従業員は、会社が大きいというそれだけで、高い給料をもらう意味があると思う。
これには、一見、異論を唱えたくなりませんか?
もちろん、要素の一部ですし、総論としてですが、大きい会社の人は高い給料をもらってないと、結果として国民が困るだろうと思います。
これは、なぜでしょうか?
同一労働同一賃金の原則とか聞いたことがありますが、どんな仕事をしているかで給料が決まるというのはちょっと非現実的でしょう。
年末のオフィスの大掃除で、下っ端が上役よりも同じ時間当たりで大活躍したからといって、そこの部分、上役よりも報酬をたくさんもらうとかありえんし。
責任の重さとかいうなら、メジャーリーガーが大統領や大臣よりも給料が高いのはおかしいし、たいへんなきつい仕事だからというなら、すごく汚いトイレの清掃のバイトの人と大企業の社長でどっちたくさんもらうべきでしょうか?
会社の利益にもよるし、市場的な労働力の価値にもよるのでしょう。
さて、うどんジムは、就職を自分が今まで磨いてきた能力や生活をかけて、給与をはじめ、生きがいやキャリアやステータスなどの報酬を長年にわたって得るという、投資になぞらえることができると思う。
また、なぜ、北極や南極に近い国は世界的に見て、どこも大国や豊かな国で、赤道に近い暖かい国には、石油や天然ガスが出るようなとこ以外に豊かな国や教育レベルが高い国がないのか(シンガポール除く)?
まあ、最近は、ベトナムやタイやマレーシアなどもがんばってると思うが、寒い国で最も豊かでない部類にロシアなどがくることを思えば、寒い国が暑い国よりも圧倒的に豊かなことは間違いないと思う。
なぜ、食べ物が豊富に年中ある暑い国は豊かでなく、雪深かったり、寒冷な国はどこも豊かなのか?
時間がないので、途中ですし、ここは仮説なのですが、寒い国が豊かということは、企業が大きければそれだけで給料が高くないとマズいという理由とつながります。
農耕や収穫ができない季節がある地域では、おのずと蓄えること、良くない時期に備えて組織や体制をつくること、貯蔵などの大規模な設備をつくることなど、技術や社会的なノウハウが高度化していくというのはないだろうか?
暑い国では、保存が効かず、また、目の前にいつも食べ物があるから、社会が高度に組織化されたり、大規模な設備をつくる必要がない。
必要がなければ、みな、人の下で働きたくないし、食べて、歌って、恋をして、日々を過ごすことになる。
もし、しんどい仕事だからといって、誰もが屋台を引いたり、うどん屋をはじめて、トヨタや東京三菱銀行とかと同じ給料をもらえるなら、誰も人の下で働きたくなんかない、それでは労働力が高度に有機化してノウハウが蓄積した大企業はできない。
国が栄えるためには、大企業に人を集めることが条件になる。
でないと、大きな設備や高度な研究の成果はできない。
だから、総論として、大きな企業の従業員は、小さなところのそれよりも優遇される必要が出てくる。
そう思うから、うどんジムは、店で休み無し、寝る時間も短く、身を削ってうどん屋をやってても、大企業や市役所の人よりも給料はもらうべきだとは思わない。
よほど成功してればともかく、普通にうどん屋が市役所や銀行の人よりも給料がたくさんもらえる社会なら、たぶん、日本は先進国の地位にはいられないどころが、経済は壊滅するでしょう。
よほど少数精鋭なら別だが、概して小さい企業が大きい企業並に給料をもらえるのは国民のためにならないわけで、同程度の労働なら、企業が大きいというただそれだけの理由で高い給料をもらっていないと小さい企業の従業員も含めて国民が困るわけです。
税や年金の制度とか様々な社会制度の変遷は、そういう政策的意図のもとに大企業や都市住民を優遇することと符合してないだろうか?
また、終身雇用が社会への帰属意識を高めたり、そこから来る安心感が、消費意欲に良い影響を与えたかつての日本的経営の良さを見直す動きがあるが、それが正しいなら、就職という事実上の人生最大の投資の利回りは安定している方が国の経済のために良いということにならないでしょうか?
所得階層は固定されるべきだと言ってるわけではありませんよ。
ただ、そうなりがちなのは、批判されるべきことばかりでなく、そうなるべき側面があるからそうなっているだろうとは言いたい。
こちらはついでですが、四大文明が、すべて大きな川の近くで興ったというのは、洪水で人が死んだり、農地が流されるから栄えたという見方はないのでしょうか?
人の命が脅かされるから、治水など大きな仕事のために、人々は王などに強力な権力を与える必要ができる。
だから巨大な構造物もできる。
それを後世の人が文明と呼んだりする。
また、農地が流されるような試練があるから測量や天文学や貯蔵のためのノウハウなどが必要になるとかないのだろうか?
そういえば、中国の最初の頃の舜とか兎とかの時代って、治水の話がよく出てきたような気がする。
文明とは河と戦いながら共存することから始まったのでは?
そして、もっと後の世では、河が寒さにとって代わられるようになったのでは?
そして、それらは、必然的に組織を大きくすることを必要とした。
この必要性について、大企業の給料は、中小企業の給料より高くなるということと原理が通ずると、さっきから、同じようなことを言葉やシチュエーションを変えつつ何度もひつこく書いてます。
これには、一見、異論を唱えたくなりませんか?
もちろん、要素の一部ですし、総論としてですが、大きい会社の人は高い給料をもらってないと、結果として国民が困るだろうと思います。
これは、なぜでしょうか?
同一労働同一賃金の原則とか聞いたことがありますが、どんな仕事をしているかで給料が決まるというのはちょっと非現実的でしょう。
年末のオフィスの大掃除で、下っ端が上役よりも同じ時間当たりで大活躍したからといって、そこの部分、上役よりも報酬をたくさんもらうとかありえんし。
責任の重さとかいうなら、メジャーリーガーが大統領や大臣よりも給料が高いのはおかしいし、たいへんなきつい仕事だからというなら、すごく汚いトイレの清掃のバイトの人と大企業の社長でどっちたくさんもらうべきでしょうか?
会社の利益にもよるし、市場的な労働力の価値にもよるのでしょう。
さて、うどんジムは、就職を自分が今まで磨いてきた能力や生活をかけて、給与をはじめ、生きがいやキャリアやステータスなどの報酬を長年にわたって得るという、投資になぞらえることができると思う。
また、なぜ、北極や南極に近い国は世界的に見て、どこも大国や豊かな国で、赤道に近い暖かい国には、石油や天然ガスが出るようなとこ以外に豊かな国や教育レベルが高い国がないのか(シンガポール除く)?
まあ、最近は、ベトナムやタイやマレーシアなどもがんばってると思うが、寒い国で最も豊かでない部類にロシアなどがくることを思えば、寒い国が暑い国よりも圧倒的に豊かなことは間違いないと思う。
なぜ、食べ物が豊富に年中ある暑い国は豊かでなく、雪深かったり、寒冷な国はどこも豊かなのか?
時間がないので、途中ですし、ここは仮説なのですが、寒い国が豊かということは、企業が大きければそれだけで給料が高くないとマズいという理由とつながります。
農耕や収穫ができない季節がある地域では、おのずと蓄えること、良くない時期に備えて組織や体制をつくること、貯蔵などの大規模な設備をつくることなど、技術や社会的なノウハウが高度化していくというのはないだろうか?
暑い国では、保存が効かず、また、目の前にいつも食べ物があるから、社会が高度に組織化されたり、大規模な設備をつくる必要がない。
必要がなければ、みな、人の下で働きたくないし、食べて、歌って、恋をして、日々を過ごすことになる。
もし、しんどい仕事だからといって、誰もが屋台を引いたり、うどん屋をはじめて、トヨタや東京三菱銀行とかと同じ給料をもらえるなら、誰も人の下で働きたくなんかない、それでは労働力が高度に有機化してノウハウが蓄積した大企業はできない。
国が栄えるためには、大企業に人を集めることが条件になる。
でないと、大きな設備や高度な研究の成果はできない。
だから、総論として、大きな企業の従業員は、小さなところのそれよりも優遇される必要が出てくる。
そう思うから、うどんジムは、店で休み無し、寝る時間も短く、身を削ってうどん屋をやってても、大企業や市役所の人よりも給料はもらうべきだとは思わない。
よほど成功してればともかく、普通にうどん屋が市役所や銀行の人よりも給料がたくさんもらえる社会なら、たぶん、日本は先進国の地位にはいられないどころが、経済は壊滅するでしょう。
よほど少数精鋭なら別だが、概して小さい企業が大きい企業並に給料をもらえるのは国民のためにならないわけで、同程度の労働なら、企業が大きいというただそれだけの理由で高い給料をもらっていないと小さい企業の従業員も含めて国民が困るわけです。
税や年金の制度とか様々な社会制度の変遷は、そういう政策的意図のもとに大企業や都市住民を優遇することと符合してないだろうか?
また、終身雇用が社会への帰属意識を高めたり、そこから来る安心感が、消費意欲に良い影響を与えたかつての日本的経営の良さを見直す動きがあるが、それが正しいなら、就職という事実上の人生最大の投資の利回りは安定している方が国の経済のために良いということにならないでしょうか?
所得階層は固定されるべきだと言ってるわけではありませんよ。
ただ、そうなりがちなのは、批判されるべきことばかりでなく、そうなるべき側面があるからそうなっているだろうとは言いたい。
こちらはついでですが、四大文明が、すべて大きな川の近くで興ったというのは、洪水で人が死んだり、農地が流されるから栄えたという見方はないのでしょうか?
人の命が脅かされるから、治水など大きな仕事のために、人々は王などに強力な権力を与える必要ができる。
だから巨大な構造物もできる。
それを後世の人が文明と呼んだりする。
また、農地が流されるような試練があるから測量や天文学や貯蔵のためのノウハウなどが必要になるとかないのだろうか?
そういえば、中国の最初の頃の舜とか兎とかの時代って、治水の話がよく出てきたような気がする。
文明とは河と戦いながら共存することから始まったのでは?
そして、もっと後の世では、河が寒さにとって代わられるようになったのでは?
そして、それらは、必然的に組織を大きくすることを必要とした。
この必要性について、大企業の給料は、中小企業の給料より高くなるということと原理が通ずると、さっきから、同じようなことを言葉やシチュエーションを変えつつ何度もひつこく書いてます。