うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

雑想からの仮説 給料の多さは何によって決まるのか?

2007-06-30 22:25:35 | Weblog
うどんジムは、総論として、単純に大きな会社の従業員は、会社が大きいというそれだけで、高い給料をもらう意味があると思う。

これには、一見、異論を唱えたくなりませんか?
もちろん、要素の一部ですし、総論としてですが、大きい会社の人は高い給料をもらってないと、結果として国民が困るだろうと思います。
これは、なぜでしょうか?

同一労働同一賃金の原則とか聞いたことがありますが、どんな仕事をしているかで給料が決まるというのはちょっと非現実的でしょう。
年末のオフィスの大掃除で、下っ端が上役よりも同じ時間当たりで大活躍したからといって、そこの部分、上役よりも報酬をたくさんもらうとかありえんし。

責任の重さとかいうなら、メジャーリーガーが大統領や大臣よりも給料が高いのはおかしいし、たいへんなきつい仕事だからというなら、すごく汚いトイレの清掃のバイトの人と大企業の社長でどっちたくさんもらうべきでしょうか?

会社の利益にもよるし、市場的な労働力の価値にもよるのでしょう。


さて、うどんジムは、就職を自分が今まで磨いてきた能力や生活をかけて、給与をはじめ、生きがいやキャリアやステータスなどの報酬を長年にわたって得るという、投資になぞらえることができると思う。

また、なぜ、北極や南極に近い国は世界的に見て、どこも大国や豊かな国で、赤道に近い暖かい国には、石油や天然ガスが出るようなとこ以外に豊かな国や教育レベルが高い国がないのか(シンガポール除く)?
まあ、最近は、ベトナムやタイやマレーシアなどもがんばってると思うが、寒い国で最も豊かでない部類にロシアなどがくることを思えば、寒い国が暑い国よりも圧倒的に豊かなことは間違いないと思う。

なぜ、食べ物が豊富に年中ある暑い国は豊かでなく、雪深かったり、寒冷な国はどこも豊かなのか?

時間がないので、途中ですし、ここは仮説なのですが、寒い国が豊かということは、企業が大きければそれだけで給料が高くないとマズいという理由とつながります。

農耕や収穫ができない季節がある地域では、おのずと蓄えること、良くない時期に備えて組織や体制をつくること、貯蔵などの大規模な設備をつくることなど、技術や社会的なノウハウが高度化していくというのはないだろうか?

暑い国では、保存が効かず、また、目の前にいつも食べ物があるから、社会が高度に組織化されたり、大規模な設備をつくる必要がない。
必要がなければ、みな、人の下で働きたくないし、食べて、歌って、恋をして、日々を過ごすことになる。

もし、しんどい仕事だからといって、誰もが屋台を引いたり、うどん屋をはじめて、トヨタや東京三菱銀行とかと同じ給料をもらえるなら、誰も人の下で働きたくなんかない、それでは労働力が高度に有機化してノウハウが蓄積した大企業はできない。

国が栄えるためには、大企業に人を集めることが条件になる。
でないと、大きな設備や高度な研究の成果はできない。
だから、総論として、大きな企業の従業員は、小さなところのそれよりも優遇される必要が出てくる。
そう思うから、うどんジムは、店で休み無し、寝る時間も短く、身を削ってうどん屋をやってても、大企業や市役所の人よりも給料はもらうべきだとは思わない。
よほど成功してればともかく、普通にうどん屋が市役所や銀行の人よりも給料がたくさんもらえる社会なら、たぶん、日本は先進国の地位にはいられないどころが、経済は壊滅するでしょう。

よほど少数精鋭なら別だが、概して小さい企業が大きい企業並に給料をもらえるのは国民のためにならないわけで、同程度の労働なら、企業が大きいというただそれだけの理由で高い給料をもらっていないと小さい企業の従業員も含めて国民が困るわけです。
税や年金の制度とか様々な社会制度の変遷は、そういう政策的意図のもとに大企業や都市住民を優遇することと符合してないだろうか?

また、終身雇用が社会への帰属意識を高めたり、そこから来る安心感が、消費意欲に良い影響を与えたかつての日本的経営の良さを見直す動きがあるが、それが正しいなら、就職という事実上の人生最大の投資の利回りは安定している方が国の経済のために良いということにならないでしょうか?

所得階層は固定されるべきだと言ってるわけではありませんよ。
ただ、そうなりがちなのは、批判されるべきことばかりでなく、そうなるべき側面があるからそうなっているだろうとは言いたい。

こちらはついでですが、四大文明が、すべて大きな川の近くで興ったというのは、洪水で人が死んだり、農地が流されるから栄えたという見方はないのでしょうか?

人の命が脅かされるから、治水など大きな仕事のために、人々は王などに強力な権力を与える必要ができる。
だから巨大な構造物もできる。
それを後世の人が文明と呼んだりする。
また、農地が流されるような試練があるから測量や天文学や貯蔵のためのノウハウなどが必要になるとかないのだろうか?

そういえば、中国の最初の頃の舜とか兎とかの時代って、治水の話がよく出てきたような気がする。
文明とは河と戦いながら共存することから始まったのでは?
そして、もっと後の世では、河が寒さにとって代わられるようになったのでは?
そして、それらは、必然的に組織を大きくすることを必要とした。
この必要性について、大企業の給料は、中小企業の給料より高くなるということと原理が通ずると、さっきから、同じようなことを言葉やシチュエーションを変えつつ何度もひつこく書いてます。

明日は初の日曜営業

2007-06-30 21:52:12 | Weblog
7、8月は日曜日も営業することにした。
営業は11:00~13:00ごろです。

この2、3日前にやっと、開けられる体制が確実になったので、まったく宣伝ができてない。
下手したら、10人ぐらいしか来ないかもしれない。

もちろんわかりませんが、うどんジムの実際の予想は、25人ぐらいというところです。
40人を超すことはまずないでしょう。

で、ほんとのとこどれぐらい来ないと利益が出ないかと考えると、40人ぐらい来たら、やっと利益がゼロ円になるといったところでしょうか。
つまり、明日は、開けただけキャッシュマイナスになるでしょう。
うちは明日、人件費を約4,000円支出するので、これがないところは10人ちょっと来ればいいわけです。
そりゃ、利益がゼロのポイントだから、そこをクリアしたって意味はないけど、10人ちょっとなら、来るわ。
40人が利益ゼロのポイントなら、うちの立地なら、休みなしにしてやる価値は常識的にはないだろう。


日曜日、開けても開けなくても変わらない、光熱水費の基本料金の部分と日割り家賃を営業日数で割るか割らないかで、採算ラインが変わってきますが、割ると55~60人ぐらいでしょうか。
40人というのは、割らずに純キャッシュで、考えた場合です。

うどんジムは、日曜日は2時間だけ営業しながら、いろいろ、実験的なことをやろうと思ってます。
ここでは利益は大幅なマイナスでなければ、少しぐらいマイナスでもいいと割り切ることにしました。
また、やや日曜は価格を低めに設定しようと思ってます。
平日と同じものを日曜日に安くするのもどうかと思うので、平日にないものを気持ち、平日よりも安い価格設定にしようと思ってます。
明日は、実験的に巻寿司を取ってるとこから、バッテラをとって置いてみようと思う。
セルフうどん屋で、パッテラなんか見たことある人はいないと思うし、あまり合わないのだと思うけど、反応を確かめてみたい。
長くは置いとけないけど、11時~13時の営業でなら問題はないはず。

社保庁のニュースでちょっと思う

2007-06-26 20:19:06 | Weblog
ほんとのところ社会保険庁のニュースにはあまり興味がない。
とはいえ、年金はFPの重要分野だから、関心を持ってないと。

うどんジムは、社会保険庁のボーナスの自主返納とか、政治家がやるのもよくわからないけど、一般職員にやらせるのはもっと疑問だと思う。

選挙前に批判にさらされているからとか政治的な思惑も絡めてするのであれば、なおさら。
やらない理由であれ、やる理由であれ、「批判されるから」といって、道理やルールを外す人は、批判が及ばなかったりばれない所では、当然ルールを破ると行動で語ってるのと同じだと思う。
批判されるからといって、批判をかわすために、本来法的に保障された一般職員の給与について事実上の強制となる自主返納を迫るというのであれば、こういうタイプの人は、批判されない所では、ミンチに別の物を混ぜるタイプの人だと自分で言ってるのと同じではなかろうか?

正しいかでなく、批判されるか、怒られるか、嫌われるかなどを行動の基準にするのは、何であれ良くないというか、方便として必要な場合もあるだろうが、危険であり、警戒はすべきだと思う。

うどんジムは、店の売り上げが悪くても、パートの給料は削らないし、その人が不祥事を起こしてお客さんを激減させたとしても、その人の給料を削ることはない。
それは法に反することであり、道理を外しているから。
場合によっては、何らかの求償はするかもしれないが、先に給料は当然に支払う。

公務員である社会保険庁の職員の場合は、これと比べてどう考えるべきであろうか?
税金によってまかなわれている給与だから話は別だろうか?
そうだからこそ、より法やルールに厳格にのっとって考えるべきではなかろうか?
公務員の給与は選挙や政治の道具にされるべきではない。

誰の何の責任をどのように取るべきなのか?
自主返納は、おそらく、上司から、半ば命令的な圧力をかけられ、返納しない職員は、しばらく上司に執拗に別室に呼び出されて迫られるだろう。

悪質な職務怠慢が慢性化した場で、無批判にそれに乗っかった職員には、責められるべきものがあるだろう。
しかし、予防的に職場の体制を整えたり、綱紀を正す責任は、誰にあって、事後的には、誰がどのように取るべきものだったのか?
最近に入ったような若手職員には、一体何の責任を取らせるものなのか?

また、そこで、体制を正そうと声を上げた者は吊るし上げられてわからないうちに左遷され続けて、それでも声を上げ続けても黙殺されたり、「変わり者」とか「空気の読めないヤツ」とか揶揄されるようなことはなかっただろうか?
そのようなところで、声を上げよというなら、たぶん、テレビの前で怒っている国民のほとんどは同じように上げられないだろう。

考えないといけない。社会保険庁の職員というのは、一般の国民に比べて決してモラルの低い人たちではない。むしろ高いぐらいだろう。
それでも、ああなる理由というのを真摯に考える必要がある。
彼らがモラルが低いからそうなるのだと思ったら、問題の本質を誤るだろう。

住民などの目の届かないところでルーズになった職場はパブリックセクターにもそれ以外にも少なからずあるだろうが、それを正す必要はあるにしても、それがゆえに、職員が給与を返納しなければならないものだろうか?

また、一般職員が責めを負うにしても、それは、生活給を削られる取り方が正しいのか?また、それは社会保険庁のモラルを高めたり、問題の解決につながるものなのか?

ただ、ペナルティーを科すだけが目的なら、まだ、社会奉仕活動として、河川敷や公園の清掃をやらせるとか、削るのでなく何か貢献をさせた方が良いのでは?
また、全職員の端末操作スキルの徹底的な向上を図るとか、目的に対応してたり、法的な権利を侵さないやり方でやるべきではないか?

補足 変化について & 高松空港の時刻表の広告

2007-06-24 22:01:40 | Weblog
前に、変化をすれば消耗すると書きました。
しかし、世の中が変化し続けているので、変化してないということは相対的に、世の中に対して変化してることになります。

だから、世の中の変化に適合して、変化し続けることが、実質的に変化してないことになります。
だから、企業は変わらなくてはいけないし、多くの企業が倒産するのでしょう。

じゃあ、変化しないといけないんじゃないか!
という人もいるでしょうが
やっぱり、変化はリスクであり、変化は避けるべきなんだという原理は、先にある前提だと思う。
この前提が先で、現実には、舞台が変化するから、しなければならない変化があるということだと思う。
また、予測を高めて、備えをせよということだと思う。


全然関係ないけど、9月23日(日)に、うちの主催で地元で将棋大会を開催する予定です。
また、こっちは可能性が低いけど、高松空港の時刻表に8万円弱出して、うちの広告を載せることを検討してます。
これに広告を出して、うちの売上げが増えるというのはちょっと考えにくいけど、高楊枝の精神で、地域を盛り上げるために少々なら自腹切りまっせ!という気分を高らかに宣言して、自分自身で盛り上がろうみたいな。
まあ、うちの売上げにつながらんだろうから、趣味ですね。
あんなとこに、自分の店のことが載って、その内容をデザインできるなんて、楽しいっすよ。
信州にスキーやスノボにでも行ったら、食費とかリフト代合わせたら、8万円ぐらいなると思う。
空港の時刻表ジャックは、それに負けんぐらいおもろいと思うし、まあ、営業の足しにまったくならないこともないだろうし、いちおう、税務的に経費になるし。

基本的に、香川の人が見るものだと思う。
また、飛行機に乗って東京に行く人が多いので、所得層は押なべて高く、大きな事業所に勤めていると思う。
うちの売上げにつながらないと思うと、思い切って、香川礼賛とかソウル線が苦戦しているので韓国に行きたくなるような名言をつくって、載せて、うちの宣伝は抑えるか、逆にうちの地図まで載せて、地図上の目印としてうちの近隣の事業所の名前をふんだんに載せて、近所の人に喜んでもらうかしようか。

8万は高いので、しない可能性の方が高いけど、ナイスアイディアができたら踏み切ろうと思う。

社長の味?

2007-06-24 21:37:17 | Weblog
うどんジムは、うちの営業に関してあんまり大言は言いたくないのですが、もともとのコンサル志向のゆえ、「あんなことをやってみたら、こうなった。」と言えるように人がやりそうなことはできるだけいろいろ経験しておきたい気はしてます。

世の中にK三兄弟とか、プロモーションや大言壮語で、有名になって儲けてる人がいます。
讃岐うどんのお店でも、ごくごく一部にそんなとこがあるような気もします。

うちは、先週土曜日7人目までのお客さんのうち、6人までがなぜかどっかのお店の主人や社長でした。
規模はともかく経営者。

そういえば、なぜか、飲食店主や社長のお客さんが多いんです。
飲み屋を3、4店ぐらい持ってるオーナーの方とか、何人かいますし、高松の人ならたいてい誰でも知ってるという地場の社長さんも何人かいて、週3回以上来られます。
食のプロやお金持ちで美味い店をたくさん知ってる人が中には近くでもないのにわざわざ来てくれるというのは、うれしいことでもあります。
こういうことは、自慢した方がええんだろうか?

「社長の味」とか「社長の多いお店」とか、何か、フレーズをつくって、プロモーションとかできないのだろうか?

あと、近くに新聞社やラジオ局もあるので、マスメディア関係のお客さんも多いと思う。

「業界人の集う店」とか。。。

あまり虚像っぽいプロモーションってしたくないんだけど、やっぱりやった人の方が成功してる人が多いと思う。
嫌われるとか中傷を受けるとか、そういうことが嫌で、目立つことをしたくないという人が多いと思う。
有名になると、それに伴って、実体を立派にしないと、誰かれとなく陰口を言われる可能性があって、それに応えられる自信を皆さん誰もが持っているわけではないでしょうから。

知らない人に陰口を言われたり、ネットで中傷されたりすることが気になるタイプはある意味、お金持ちになりにくいかもしれません。
逆に、家族の生活とかいろいろ責任を持っていたら、そんなことは構っていられません。
大言壮語的なプロモーションは、確かに陰口は言われやすいでしょうし、失敗したときには、ざまあみろ的に言われて目立つと思います。
しかし、うどんジムがいろいろ眺めた感じでは、大言壮語して、恐れも無く、「うちがナンバーワンだ!」みたいなことが言える人の方が商売はうまくいってるような気がします。
中傷や嫌われることは誰でもこわい。
ある意味、それをできる人ってのは、責任感があったり、人の評価を気にせずにペースを守れる人だったり、自立していると言えなくもないと思う。
大言壮語とか儲け主義になり切れるってのは、成功する要素だとは思う。
気持ちの半分はそういう人は苦手だけど、半分は尊敬してます。

15:30以降の売上げ

2007-06-24 20:52:08 | Weblog
これも、あえて、開業を考えてる方向けに、営業上プラスにならないことを書いてみます。営業的には何であってもうまくいかないことについて書くべきでないし、その理由についても説明はしない方が良いと思ってはいますが。

うちは、しばらく前から15:00までの営業を延長して、17:30ごろまでに延長して、実質、18:00過ぎまで営業してることもしばしばありました。

正直、うちの近くの飲食店で飲み屋じゃないところでは、夕方お客さんが瞬間で、5人以上入ってる状況ってあまり見たことがない。
うちは、夕方営業には絶対的に向かない立地だと思う。

うちも、15:00~15:30までは平均3人ぐらい来客がありますが、それを越えると4時代も5時代も6時代も7時代も1時間の平均来客数1~2人ぐらいです。
しかも、うちの場合は遅い時間ほど客単価が下がる傾向さえあります。

うちの前は自転車の通行者は多いのですが、オフィス街や丸亀町などからもう、数え切れないほどの飲食店を通過してきた人たちなので、あえて、うちに入る可能性はまずない。
また、近隣には、うちみたいに一人じゃなくて、数人のパートでまわしてメニューの種類が多いうどん店がいくつかあるし、大衆食堂や弁当屋やローソンがすぐ近くにある。

1時間に3、4人でも来れば、工夫してみる余地もあるけど、1時間に1~2人やゼロが普通だと、時間のあまりたってない玉をキープしようと思うと8、9割が廃棄になってしまう。
また、ガス代はうどんジム個人はあまり気にしてないけど、釜の火を弱火でもつけ続けていれば、喫茶の4、5倍のガス代がかかる。

家族労働があればまだ別ですが、うちのように家族労働がない場合は、どこに行く場合でも、急に何かが切れて、100mぐらいのとこに買い物に行く場合でもいちいち店を閉めないといけないし、店を閉めてからでないと、一人だと空いた時間に製麺を始められないので、全部片付けを済ませてから製麺をはじめると、夕方まで営業すると、午前2時よりも早く寝るのが難しい。
これで、何か、外出の事情でもできれば、いちいち徹夜に近い状況になる。
確かに、1時間に1、2人ぐらいしか平均来ないのだから、15:30頃から製麺を開始できる日も多いのだが、やっぱり、ぱらぱらでもいつ来るかわからないし、製麺が別室なので、お客さんがいる状態で別室にこもる気にはなれない。
できる日も多いが、ルール的に日常のものにできない。

うちで、だいたい、15:30分以降仮に19時ぐらいまでやっても、売上げは平均1,000円程度です。
昼は、1時間で、3~4万ぐらいになります。

最後の約3時間で売上げが180円とか、420円とかいう日もありますし、最高でもある日がダントツで6,000円ぐらい、その次の日で3,500円ぐらいです。

よそのことはともかく、香川でうどん店を開く場合は、立地しだいでは、夜は売上げがゼロに近いということも予想しておく必要があると思います。

うどんジムのように一人営業だと、15:00ぐらいまでに営業を終わらせないと、0時半ごろまでに寝るのは難しいと思う。
これが、売上げがすごく上がってる店で、13:00頃からもパートを十分雇えて、片付けや掃除も人にやらせてれば事情が違うかもしれません。
よく、洗い物をパートのいる時間にだいたい済ませておけばとか言う人がいますが、そんなのは当たり前のことで、釜や製麺機や排水溝や床や冷水機の掃除などは閉店しないとできません。
実際に、パートがいる時間にできる片付けはほんの一部に過ぎません。

香川では、14時とか15時に家族総出でやってても終わるうどん店が多いけど、早く終わらせて、ゆったりとした生活をしたいとかじゃなくて、営業的にも体力的にもそれが限界だからそうしてるとこが多いんだろうとやってみて思った。

駐車場があったり、街中でももっと街中だったり、もっと下町で競合する弁当屋やコンビニがないところだったらどうなるのかわからないけど、うちでは、夕方営業は不可能とうどんジムは判断しました。
撤退するのはいつでもできるので、まだ日は決めてませんが、15::30頃までの営業にしようと思います。
はっきり言って、もともと、採算は合わないと思ってましたが、客層が広がる可能性はあるし、1時間に1人のお客さんでも切ってしまうのは営業面じゃなくて、人情面で辛い、うどんジムは、店に出て接客するの好きなんですよね。
このぐらいの時間だとけっこう話もできるし。
そう、ゆっくり話しができて、また、こんな遅い時間でも来てくれる貴重な人を切るのが人情的に辛いんです。

ただ、寝る時間を削り続けて、夕方営業するのは、長続きさせることができないのは初めからわかっていたし、この売上げのために人を雇うことは常識的には絶対にできないので、短くしないと。
ちなみに、直近のうどん店も夕方営業をやめて短縮したようです。
それを取り込む可能性も考えたけど、よその1時間に2、3人のお客さんがみんなうちに来るわけがないし、家族労働が無いところは採算の必要ラインが上がるので、そこのお客さんが仮に全員うちに来たとしても採算はたぶん合わないでしょう。

日曜日の営業は近いうち、試験的にやる予定です。
やっと、日曜日の人員が確保できました。
人を1時間入れると、一般的に、4,000円の売上げが必要と言われています。
人時売上高とか言います。
うちの夕方営業では論外です。
うちの客単価が平日で380円前後なので10人強1時間に来ないとまずい。
日曜営業を人を雇ってやる限り、家族のいるところよりも採算ラインが上がるってのは、3、40人ぐらい余計に来ないと駄目なんですね。

これを85%ぐらいが働いてるお客さんのうちで、昼の2時間の間にクリアするってのはかなり確率の低い冒険ではあるんですね。
自分の休日を無しにして、採算の合わない可能性が高いことをあえてやってみるというのは、うどんジムにとっても、それなりに思惑があってのことなんですが、これを足がかりに祝日や年末やゴールデンウィーク営業などにもつなげていければと思います。

ネット上でFP事務所らしきものを

2007-06-20 19:01:43 | Weblog
まだ自宅にネットがないけど、秋にFP技能士の2級取れたら、ネット上でメールなどで簡単な質問に答えるようなネット上のFP事務所をつくろうかと思う。

このブログも体裁を変えないといけないのかな?
それともホームページの一部として、このブログを続ければすむだけのことなのかな?

サンポートに久々に

2007-06-20 18:52:55 | Weblog
e‐とぴあ・かがわ
に来ました。
ああ、久々に無料で、ブログが更新できる。

労働基準監督署に行ってたんですね。
この前に、わが愛する四国財務局が何年後かに行ってしまうというビルが建つのね。
いかにもという感じの更地になっとるし。

今、何だか、中国人と思われるお嬢さんが3人ほど近づいてきてます。

外国人の方が実家にメールを打ったり、メールチェックをするような、国際色豊かな場所になるだろうと思ってたら、なんと、ひざが20cmぐらいの隣に座りました。

もちろん、内容はわかりませんが、中国語の画面になってます。

この施設の アルファベットとハイホンがつく名前はネット検索しにくいからやめた方がいいというのと、外国人の方にとって利便性の高い国際色豊かなスペースになるだろうというのは、開業前からの予測が当たったような気がします。


さて、思い出したように
この前の自画自賛の名言というか、名表現「時代の精子」ですが
グーグル検索ではまだなかった。

大きな目的のために変化を起こすべく、激動の時代に
激しい競争や躍動の末、短命に終わる

坂本龍馬も平清盛もユリウスカエサルも
明治維新、対外貿易を意識した福原遷都、共和制から帝政など時代の大きな変化の触媒として、活躍した「時代の精子」だったかも。

「時代の精子」が検索でまだないのがうれしい。
マイオリジナルか?


それにしても、事業主が地域の一員や雇用主として責任を果たすのは、めんどいなあと思うことがここのとこ立て続けにある。
労災保険で1万5千円ほど、近所の外灯の費用負担で1万7千円ほど、大したことなさそうなことで、このぐらいの額を年中何かしら持ってかれてるような気がする。

労災保険って雇ってる人にはかかるけど、自分にはかからないんですよ。
まあ、自分にも別にかけようと思えばかけられるけど、最低限かける範囲は、労働者に対する雇用主としての責務を果たすためのものだからなんでしょうが。

雑感 動くこと 名言?「時代の精子」

2007-06-17 19:41:31 | Weblog
テレビ番組で、どっかの中学校のお受験の問題として

「なぜ精子と卵子で精子が動いて卵子はじっとして待っているのか?」
を理論的に答えよみたいな問題が紹介されていた。

これ、前にも書いたっけ?

「長期的に存続する側は、動き回って、栄養を消耗してはいけないからだ。」
という旨の解答だったと思う。

じゃあ、成長する企業は変化してないのか?
という、前投稿の問いと似た疑問が出てくると思う。

変化を呼ぶためには動かなくてはいけない。
時代や生産手段が変わるなら、それに合わせて変化しなければ、企業は持たない。

織田信長であれ、義経であれ、変化を呼ぶ者は、とにかく動き回って変化を好む。
言ってみれば
うどんジムの名言かもしれないけど

「時代の精子」で、時代に消耗される運命なのかもしれない。

ホリエモンもそうかもしれない。

しかし、幕府とか長年存続するものをつくる側は消耗してはマズい。

うどんジムは明らかに動き回るタイプで変化を好む。
しかし、店というのは、リスクを避けて永続させなければならない。
確かに、動けば消耗する。
脱サラして店を始める人に、寄らば大樹的な人間などそうたくさんいるわけがない。

この自分への戒めもこめて、今日は長々と、リスクや変化は良くないことで、予想外のことはとにかく避けるが良いと書いた意味はあると思う。

さて、多くの組織でも、変化に合わせて、プロジェクト的な組織やアドホックな組織ができる。
大企業においても、長期の存続を念頭におきながら、変化に対応する使い捨て的な「時代の精子」をしこんでいると思う。

うどんジムは動くし変化を好むタイプだけに、消耗を避けて、上手に切り離せる変化の触媒のようなものを作る必要があると思う。

マニュアル書き始め

2007-06-17 19:20:44 | Weblog
自店のマニュアル的なものをつくろうと思う。
こういうものは普通開示しない。

とりあえず思いつくとこから書いてみよう。

・釜の中で麺の入っている茹で網は、釜の右側奥から順に持ち手が手前に来るように置き、釜と垂直な向きに置かないこと。

・常連さんができても、こちらから世間話をしかけてはいけない。
聞かれたことや話しかけられたことに愛想良く、簡単に答えること。
常連客と店員が大きな声で世間話で盛り上がっているのを不快に思うお客様は少なからずいる。

・サービス券のサービス内容など、わかりにくいことがあれば、常にお客様有利に解釈すること。
つり銭が切れた場合は、金額を切り捨てるか代金をもらわないこと。

わかりやすくすることやつり銭の用意は、店側の責任で、仮に100人が1万円札を出された場合でも、お客様の責任にはできない。
切れたら切れたとこから「今回はけっこうです。次回よろしくお願いします。」という。

・つり銭は間違わない方が良いが、多くもらうぐらいなら、少なくもらうように間違うこと。50円多くもらっても大して得にならないけど、不快に思ってお客様が減った場合は、うちのお客様は年100回は来られるお客様が多いので、数万円以上を失う可能性がある。

・うちのお客様は年100回以上来られる方が多いので、誰であろうと概算、年数万円は使うと考えられる。
したがって、一回350円のお客様だと考えずに、数万円を使うホテルのお客様だと思って接すること。


まだまだ全然、マニュアルの形にはなってませんが、素材を増やして整理して、それらしいものにしていきたいと思います。



ついでに
エアコンの効果

店の中が涼しくなると、外が暑いときに下がりがちだった客単価が回復したように思った。
今まで、暑いときは、おにぎりの出が下がることが多かったが、エアコンを変えてからおにぎりの出が悪い日が一日もない。
店内に入って、注文するまでの短時間のことであれ、中を涼しくすると食欲に影響するのだと思う。真夏の客単価は昨年よりも上がると予想。

また、熟成時間や茹で時間に変化が出そう。
調整にちょっと時間はかかるけど長期的には良い方に安定すると思う。

リスクについて 4 マニュアルなど

2007-06-17 18:57:26 | Weblog
ブログを有益なものにするために

自分の財務、法律、不動産などのFP的なことと、うどん店の経営を通じた経営ネタについてが、もっとも、読む価値があるかと思い、リスクというものを理論的に考察しようとしています。

さて、うちのお店に来る人は、常連さんであろうと、評判を聞いた人であろうと、たいがいどちらかといえば、肯定的な評価を持って入って来ます。
初めての偶然的な通りがかりの人でさえ、入るだけで汚らしいという評価なら入らないので、最低限の評価はクリアしたといえなくはないでしょう。

客単価が高いお店ならともかく、うちのような客単価350~400円のお店では、普通にそれでいいという評価があれば、リピート率はかなりのものが保証されると思います。
これが高いお店で普通なら、そうもいかないでしょう。

つまり、味でも立地でも店そのものに加点事項があるなら、ほかに接客などで特別な加点がなくても、失礼さえなければ問題はないでしょう。
ところが、失点事項についてだけは問題になります。

マクドナルドでも、マルナカでも店員が、「今日はホット?寒いからねえ。」「今日はお肉たくさん買いますね。親戚でも来るの?」とかどんな常連さんにも絶対に言いません。

一方、料亭やラウンジでは、そういうことを女将とかママがいうでしょう。
これも数字的に根拠を持った裏づけはできそうです。

マニュアル的な対応はどちらかといえば良くない意味で言われますが、それでもマニュアルが作られるのは、予想外のことが起きるというのは、いいことはそれほどプラスをもたらさないのに対し、悪いことは壊滅的なダメージを与えかねないからだと思います。
そして、たいていマニュアルのあるところが売り上げも大きく長期にわたって存続します。
いいことも悪いこともできる限り、予想の範囲に収める必要があります。

変化が大きいといえば
知略がさえまくった
織田信長は現役バリバリで討たれ
秀吉は、朝鮮出兵で家を傾け

じっとガマンの
家康が260年にわたる支配体制を築いた。

義経も戦場でさえまくったけど
鎌倉から出なかった頼朝が勝った。

変化してサエて大成功してもなお、変化好きは長期の繁栄が難しい。

とはいえ変化しないと勝者や成功者になって抜きん出ることはできない。
そういう意味で、変化や変化を取り巻く状況を知り、予測を立て、コントロールする組織や体制をつくることが重要になり、それができたところが長期の繁栄をしているといえそうに思う。

さて、新人のパートさんが入ったことだし、そろそろマニュアル的なものをつくらないといけないなあ。
これは、自分が業務について、よく考える材料にもなるだろうし。

リスクについて 3 期待収益率と予想すること

2007-06-17 18:02:32 | Weblog
さて、プラスとマイナスが同じなら、変化が大きいことに絶対に手を出してはいけない。
変化は全体で均せば必ず損失が大きい。

たとえば、結婚とか就職とかマイホームを買うとか人生には大きな変化があります。
じゃあ、変化が悪なら、それらをしないのか?

上のような変化は、世間でよくあることで、その年頃ではそれをするという準備があるし、交際するとか、企業のことをよく調べるとか、金利や購入物件の環境など入念に調べるでしょう。

予想の範囲内で、対策を練っていて、通常それらをすることで、しないことよりも大きな収益というか効用や喜びが得られて、かつ、消費行動として仮に悪い方に出たとしてもそれそのものをしたいなどの事情があると思います。

リスクについて 2 予想外であることが悪い

2007-06-17 17:55:52 | Weblog
ある投資が、今すぐ1,000万円もらえる可能性と500万失う可能性が五分五分なら、ほとんどの人は、失う方をガマンできないので、手が出ません。

しかし、大きな余剰資金を持っていれば、たいへん利回りが高い投資なので、やった方がいいといえるでしょう。

株式投資なども、全体で見れば、郵貯よりも利回りが良いので、サイコロをものすごい回数振れば出る目が理論上の確率に近づくように、長く保有していれば、全体の利回りに近づくでしょう。
一方、余裕の資金のない人は、短期に手放す可能性が高いので、余剰資金のある人よりも損だけを多くかぶりやすい。
で、損をかぶったときは生活まで脅かす可能性が出てきます。
仮に、投資がうまくいっても貯金が増える程度で大した幸福にはつながらないのに。
いいときは余剰がある人もない人も同様に手放すチャンスがあるのだから、株式投資はお金持ちほど成功するというのは理論上間違いありません。
そう考えると、お金は高いところに流れるというのも理論上間違いありません。
確実に公式や図にすることができます。

お金持ちは損失を予想の範囲に納めることができ、予想の範囲である限り、悪く出ても追加出費や対応への走り回りの必要が少ない。

FPと経営に関する雑想 リスクについて 1 変化は悪いこと?

2007-06-17 17:44:27 | Weblog
今、1,000万円予想外にもらっても、贅沢に使わなければ、たぶん低利で預金して寝かせておくだけという方が多いでしょう。
活かし用がない。
一方、今、予想外に半分の500万円失ったら、どうなりますか?
かなり裕福な人でも、あわてふためいて金策に走ったり、支払いが滞ったり、親戚中に泣きついて辛い思いをしないでしょうか?
裕福でない人なら、少なくない人が学校を中退、進学を断念、離婚、病気になるなど家庭崩壊や自殺したいような境遇を味わいかねないでしょう。

良いことと悪いことが同じぐらい起きるということはとんでもなく不幸な状況で、何も起こらないことはとても幸福なことです。
というと、寄らば大樹の陰的で、ネガティブなように聞こえませんか?
でも、変化の確率と変化の振り幅が大きいということは、それだけで確実に大きな不幸の確率を増やすことになります。
これは、少々、変化の振り幅の平均が良い方に分布していてもいえるでしょう。

これは、理論上、異を唱えることはできないでしょう。
じゃあ、チャレンジすることが悪いことなのでしょうか?
もちろん、そうとも言い切れないのですが、すべてのチャレンジとか冒険は、平均した収益率は間違いなく悪いはずです。

4つほどある大きな理由の一つとしては、予想外に500万もらってもほとんどの場合活用できませんし、プラスアルファを生みません。
予想外のマイナスの方は、金策に走ったり、高利でしのいだり、マイナスアルファが着くことがほとんどです。
予想外のマイナスは日々の生活費を侵食するので、日常生活や人間関係や健康などにダメージを与えることが多いが、予想外のプラスは、日常生活にほとんど何のプラスももたらしません。

もっと別の例で言えば、50年寿命を余計にもらっても、幸せかどうかわかりませんが、50年寿命を奪われたら多くの人が生きていられません。

もうちょっと別の例で言えば、不動産を買って良くないものをつかんでしまった場合、たいてい値下がりしますが、仮に買値と同じ値段で売れたとしても、買ったときの諸税や登記費用やローンの保証料、売ったときも仲介手数料などが発生します。
つまり、何か大きな売買をすれば、たいてい売買行為そのものに多額の出費がくっつくので、変化は出費をともない、予想外の変化は予想外の出費を生みます。
それが、資金が苦しいときに泣く泣くの売却であったりすると、その付随する出費がまた重くのしかかります。

リスクとは一般的には、危険とか悪いことで言われると思う。

金融とか投資では、良い方でも悪い方でも変化そのもののことを言う。
リスクが大きいとは標準偏差が大きいこと。

標準偏差って、模擬試験とかの結果で出てきました。
いくら、満点をとっても、標準偏差が大きい試験でないと、高偏差値にはならないのは、ご存知とは思います。
標準偏差が大きい試験というのは、難問や標準的でない設問が多いので、高得点がとりにくく、たまたまそこを準備している人とそうでない人で実力が接近してても、差が出やすい試験でしょう。

国債や郵貯に投資した結果は満点とっても大したことがない(偏差値低い。50に近い)。
でも、インド株に投資して満点の成績ならすごいリターンがある(偏差値高い)。

そして、同じものを同じ金額買っても、貧乏人ほど損をする可能性が高い。
気持ちの問題や損してもガマンできるかでなく、損する可能性そのものが大きいと理論上必ずいえる。

金利や利回りが大きい金融商品が有利かどうかはわからないけど、金利を設定した時点で、設定した人が流動性リスクであれ、為替リスクであれ、リスクが大きい商品であると判断したことだけは間違いのないことでしょう。

最近うれしかったりワクワクしたこと。

2007-06-10 14:43:36 | Weblog
昨日、店に6馬力の天井吊のエアコンがつきました。
ちょっとだけ席の合間も広くなりました。

ベンチも設置できました。
今のとこ、座ったのはほとんど自分だけですが、信号待ちで半ズボンのこどもが座っていたのを発見し、意図したことが起こったのがうれしかった。



さぬきうどん100選がついに、配信になったとうかがい見てみました。
うわっ!あの日思いがけず生地が硬くて力が入り、しかも、カメラの前で上手にやらんといかんと思ったのもあって、焦ったのが、自分ではまるわかりだけど、いやあ、すばらしい。
目次の最初に持ってきていただいたこともあって、多くの方が見て下さっているようです。
ほんとうにありがたいことです。
ほかのお店の釜での作業や生地の様子なども見ることができ、さすがと参考にしたり、うちもまあまあできとるなあとか胸をなでおろしたり。
普通、なかなか勉強できないことが勉強できました。



いろいろと、地域活性化事業のようなことを考えるにあたり、実際に形になるかはわかりませんが、自分が手をつけさえすればある程度協力してくれそうな賛同者が弁護士や看護士など数人見つかり、有意義な話し合いができたように思えたこと。