江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【最終章】 江利チエミファンのひとりごとブログ1周年/まとめ.

2006年05月07日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

ブログをはじめるにあたって、
 まず、私は年齢的に後発ファンだということ。
  江利チエミさんという人を個人的に存じ上げないということ。
    --->つまりは、そんじょそこらの普通のファンだということ。
                   これが本当に「不安」であり「気が引けた」のです。
しかし、知らないことが沢山あることは「調べればいい」「教えてもらえばいい」「引用すればいい」... 
  この「安易なノリ」だけでスタートを切りました。

先輩からの情報、消えてなくなってしまいそうな雑誌・本の記述.. ともかくそれを「記録として残しておきたい」と思いブログを書き続けてきました。
もともと、この「ブログ」すら、いったい何なのか?ということも把握していない状態でしたから、ブログなどとは「恐れ多い」たんなる私の「スクラップ・ブック」を図々しくもネット上に公開してきただけであります。

さて、今回は「最後」に、先般出会った本「恋の花詞集/橋本治(著)」との出会いで、確信めいた思いが生まれましたので、ここでまた、頭でっかちで、反芻にもなっていますが、まとめとして「江利チエミ論」を書いておこうと思います。  

―――――――――――――――――――――――♪

元来、日本人には江戸時代に発展した「三味線」によって「かなりアップテンポな音曲」が存在していました。
♪えらいやっちゃ えらいやっちゃ よいよいよいよい 踊る阿呆に見る阿呆・・・
そして、歌舞伎にも「かなりアップテンポな音曲」が、元々ありました。
「軽妙なノリ」という下地は、もともとの日本には存在していたのです。

しかし、明治政府の「西高東低」的な考えは「西洋音楽至上主義」を生み出し、日本の音楽はその音楽教育から急転回をしたのです。
綺麗なメロディライン、ドレミによる西洋音階によって「古来のニッポンの軽いノリの音楽は低俗なもの」「古いもの」と見られる傾向が強まります。

しかし、歌謡曲という「人為的に作られた流行り歌なるもの」が確立するにつれ、音楽学校出身系だけではなく、芸者出身歌手の台頭により、「ニッポンの軽妙なノリの大衆音楽」は再び日の目をみます。
メタ---としたクラッシック系 と 軽妙洒脱な音楽もできる芸者歌手系 が、流行歌をリードし、またこの2つのジャンルも次第に融合していきます。
エノケンのスラップ・スティック・コメディ(ドタバタ喜劇)も、川田義雄(後の晴久さん)はジャズと浪曲をミックスしたコミック・ソングも生み出します。

ところが、そんな大正という自由な空気をひきづった「豊かな歌謡曲」は、元々西欧諸国が戦争をしている間に「隙を見てマーケットを拡大した」というある種の「第一次世界大戦のよるバブル」が崩壊しだすと、日本は先進国では「とっくに時代錯誤」になりつつあった植民地政策をとらざるを得なくなり、新しいマーケット拡大と資源の供給のためにあの不幸な戦争にまっしぐらに進んでいきます。
太平洋戦争開戦・・・ここで「軍歌」「国策」による「流行音楽暗黒時代」を迎えます。
この「軍歌」を作った人も「心のそこから国威高揚」を願ってそれを書き上げたのではなかった・・・と思いたい。ゆえに「名曲は生まれなかった」と思いたいです。
この「暗黒の時代」に、「軽妙洒脱なノリ」の音楽は「仮死状態」になります。

そして終戦・・・
押さえつけられてきた民衆のパワーも解き放たれます。
笠置シヅ子、暁テル子・・・ こういったレビュー出身の名歌手が「今まで聞いたこともないような早いテンポの歌謡曲」を次々に送り出します。
東京ブギに買い物ブギ、ミネソタの卵売りに東京シュー・シャイン・ボーイ...
また、ニッポンの音楽にはもともとかなりのアップテンポのリズムと軽いノリがあったことを証明するように市丸さんまで「三味線ブギ」を歌います。
これらの「アップテンポ」の歌は、もちろん進駐軍が持ってきた「ジャズ」の影響によるものです。
ジャズももちろん「流行りました」が、歌は「歌詞がわからない」・・・ただ、ムードだけで聴く「本当の意味はなんだかよくわからないもの」であったわけです。

威勢がよくって明るくて洒落てて・・・
      でも、本当はよくわからないもの

それは、バタ臭い=バター臭い... それまで日本人の大人が嗜好しなかった「乳臭さ」=西欧文化の臭い(「匂い」ではない)の象徴のひとつ。 
 
この「ジャズ・ソング」をいっぺんに大衆のものにしたのが、やはり江利チエミだったのです。
江利チエミは、父が柳家三亀松師匠の伴奏もつとめていたという縁から「軽いノリ」の邦楽の素養も持ち合わせていたのです。また、母は元々は少女歌劇出身の軽演劇の女優・・・エノケンとも共演した名女優だったわけです。
「戦後の暗黒時代に多くの日本人が封印してしまった様々なジャンルの音楽」に、この少女は通じていたのです。
ただただ「洋楽にあこがれて歌手になった」わけではないのが、この江利チエミの類まれな部分です。ゆえにあの昭和27年一月のテネシーワルツは江利チエミが歌わずしてヒットはなかったのです。
  江利チエミでなくてはならない必然性すらあったのです。

これが江利チエミ・テネシーワルツが「ジャズ・ソング」としては記録的な「歌謡曲と本当の意味で肩をならべる」大ヒットにつながった一番大きな要因だと思います。

後に、さのさに代表される「チエミの民謡」で彼女は国民的歌手の仲間入りをした。ここで彼女は大人の歌手の仲間入りをした・・・という見方もあります。
しかし、私はこれには異論があります。
それ以前の「テネシー」から、彼女は国民的歌手への道を、「なんだか本当はよくわからないジャズソング」を歌っていた頃から歩んでいたと思うのです。
もちろん「ジャズソング」は、老若男女、日本全国通津浦裏までというわけにはいかなかった。しかし、「なんだかよくわからない歌を歌う江利チエミの歌」に知らず知らず日本人は惹かれていってはいたのです。
それは彼女が「日本人の持っている元々の軽妙洒脱な大衆音楽のテイスト」をも持ち合わせていたからです。
だから「さのさ」をリリースしたときは、「チエミのこの歌なら私も歌えるゾ!」という思いも重なって多くの大衆からの支持を集めたのだと思うのです。
そうそう・・・それから、三人娘映画に「サザエさん」です。ここで彼女は「コメディエンヌぶり」をいかんなく発揮します。
もちろん、これはお母さまの血・・・でもあろうと思いますが、彼女には「エノケンさんのドタバタ音楽喜劇」「水の江滝子さんの劇団・タンポポ」、さかのぼれば「浅草オペラ」のエッセンスが沁みこんでいたから・・・とも云えるのではないでしょうか?!
ゆえに、江利チエミの喜劇は「お下劣なもの」にならず「品が良かったのだ」と思うのです。
しかし、多岐にわたって成功を納めてしまったことが、彼女をタレント化させてしまい、いまいち焦点がぼけてしまった部分でもあります。しかし、彼女の一番の功績は、歌手としての足跡です。なかでも忘れてならない「足跡」は、洋楽と歌謡曲を「本当の意味で融合させたこと」です。
これを最初に自分のものにしたのは「江利チエミ」であると私は確信しています。
(このはなしは「はじめにリズムありき」というサブタイトルの章で書き込んでいます。
クリックしていただくとジャンプします。どうか読み返してやってください。)

乱暴な言い方になりますが・・・
美空ひばりさんにも何%かの「江利チエミの要素」が含まれていると思います。(ひばりさんの根底にある一番大きなエッセンスは「川田晴久さん」でありますが)
また、雪村いづみさんにも逆な意味で「何%かの江利チエミの要素」は含まれていると思います。
戦後の「ポップス系の歌をリズムに乗せて歌った歌手」には、みな何%かの江利チエミの要素が含まれているといっても過言ではない・・・わたしはそう思います。

江利チエミには、戦前の豊かなニッポンの歌謡曲のあらゆる要素がベースにあったと言えると思います。
この少女のフィルターを通ってこそ、テネシーワルツ/家へおいでよ は、日本人に広く受け入れられたのです。

------------------------------------------------------♪♪.

30年を駆け足で走り抜けた「江利チエミ」という歌手の、特に前半15年は「奇跡の足跡」といえるのではないかと思います。

この初期の「江利チエミ」の素晴らしかったこと・・・
  それが、いつまでも語り継がれ、CDがいつまでも発売されますように!!

このブログによっていろいろな知識を自分自身も得られました。
江利チエミさんはSPの時代にデビューしています。
 なくたった時も「CDの時代にはなっていなかった」のです。

録音の際にそれこそ「蝋盤」を使っていた?頃がデビュー時です。
テープ録音もほどなく始まるものの・・・
そのマスターテープも、糊がはがれて再生不能...ということも考えられます。
保管状況が悪く、放置しているために転写が起こっ
て「エコー状態」になって聴けてもまずい危険な状態になっている...という場合も。
 --->実際こういった状態のものから起こされたCDが発売された(他の)例もあるとか...

「宝をただのゴミに風化させないためにはデジタルコピーしかない。」
 --->しかしそのコピーチャンスは1回なのでしょう...失敗は出来ない!

「図書館の本を懸命にスキャンして、デジタル化して保存している」という話を学芸員さんに聞いたことがあります。
古書はページを一枚一枚めくる作業そのものすら「いちかばちか」という部分を含めた「気の遠くなるような慎重な作業」なのだそうです。
貴重な音源は「音源として残ってこそ」です。
どんなに「ザシザシしていたって」「ぼわ---んと共鳴がかかっても」・・・埋もれてしまうよりはマシです。
チエミさんの音源に「埋もれたまま」になっているものが多いこと・・・がとても残念でなりません。

 
自分のノート替わり、文献まる写しの小学生の自由研究のようでもあり、日記替わりのようなこのブログをご覧下さった皆様に、ここで厚く御礼申し上げます。 
江利チエミという歌手が居たことが、いつまでも話題に上がりますように!!

ということで、本編/江利チエミに続き、続編として綴ってきた「続/江利チエミ」もここで区切りをつけさせて頂きます。
           ありがとうございました。

今後のことは決めていませんが、「改修工事」が必要とも考えています。
また、再開の暁?は、そうそうこれ以上「書くこと(・・・というか、引用するもの)」も見つかりそうにありませんので「静かめに」マイペースで更新をしていこうと思います。
ともかくこの1年、ほぼ毎日(内容はさておき)書くことが出来てスッキリしました!!
    正直、今は憑き物が取れた・・・感じです(笑)。

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