江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ おいとこそうだよ(千葉県民謡)

2012年04月29日 | 江利チエミ(続編)

この曲は「歌われている地域」が非常に広いのが特色です。
宮城県から旧仙台藩の所領だった岩手県地方の民謡...とされる場合が多いのですが、諸説混沌としています。

おいとこそうだよ
 紺ののれんに 伊勢屋と書いてだんよ
    お梅十六 十代伝わる 粉屋の娘だんよ

 なるたけ朝は早起き
  のぼる東海道は五十と三次 粉箱やっこらさとかついで
    あるかにゃなるまい おいとこそうだんよ

...これは今でも宮城~岩手地方で歌われている「おいとこそうだよ」の歌詞です。
チエミさんも、この東北版のアレンジに近い歌詞、メロディで歌われています。

しかし、この「おいとこそうだよ」を調べると、非常に奥が深いのです...

東京堂出版発行の「日本民謡辞典」には、「おいとこ」という項目で、次のような解説があります。

>「宮城県仙台付近でうたわれる酒盛り唄。岩手、山形、秋田と東北地方で広くうたわれている。伝説的には、天保年間、印旛沼(いんばぬま)干拓工事の折に、そこで働く土工たちによって、うたわれたものが流行歌となって各地に普及したと伝えられている...」

>白桝粉屋(しらますこなや)おどりがおいとこのルーツ
宮城県迫町(はさまちょう)も「おいとこ」の盛んな町です。迫町森地区では平成元年から「伊達(だて)なおいとこ踊り宮城大会」を開催しています。
その大会の発案者である星勲さんの面白い調査があります。星さんによれば、仙台藩は下総(しもふさ)の国、つまり現在の千葉県に飛び地の領地を持っていた。そこから干拓工事に駆り出された人々が、「おいとこ」を覚えて国元に持ち帰ったことは十分に考えられる。というのです。

さて、それでは「おいとこ節」は、どんな歌詞なのでしょうか。再び民謡辞典を引くと、こう解説してあります。
>「この唄は、千葉県多古町(たこまち)に伝わる白桝粉屋(しらますこなや)と呼ばれる唄で、“おいとこそうだよ”とうたい出すところから、おいとこ節とも呼ばれている」
この歌詞で「白桝粉屋」とうたわれている「白桝」というのは地名です。現在の千葉県芝山町(しばやままち)白桝がそれにあたります。多古町のすぐ近くで、成田にも近いところです。
  (京成電鉄に接続する第三セクター/芝山鉄道の芝山です。)

芝山町は、「おいとこ節・発祥の地」をうたっている町でした。この町では「おいとこ」と言わず、「白桝粉屋おどり」として受け継がれ、今では県指定の無形民俗文化財になっています。
  ついに「おいとこ」のふるさとにたどり着いたようです。

若い僧侶が娘を見初め唄を作って流行させたもの。

その芝山町で伝えられている「白桝粉屋おどり」、つまり「おいとこ」の由来は次のようなものです。

>「江戸時代の半ばごろ、多古町の日本寺(にちほんじ)に、中村檀林(なかむらだんりん)という学問寺がありました。当時この檀林で学んでいた若い僧侶が、芝山町の白桝粉屋の美人看板娘の久子さんを見初め、唄を作って檀林内で流行させました。やがて修学を終えた僧侶たちはそれぞれの故郷へ帰り、仏の教えとともにこの唄が各地に伝わっていきました」白桝粉屋は、銚子から江戸へ抜ける、いわゆる江戸街道の道筋にありました。江戸街道は、さまざまな産物を運ぶ街道でもありました。この街道の人と物の流れの中に、印旛沼の干拓工事に駆り出された人々の一団がいたことは、想像に難くありません。

---->こうなると...この「おいとこそうだよ」は、江戸時代の「ヒット曲」ということとなります。
 
そして、もうひとつ見落としがありました。
それは、チエミのムード民謡[チエミの民謡集第4集] SKF149 (1962発売 1,300)...のクレジットです。
(第2面)1.おいとこそうだよ(1分57秒)...千葉県地方/宮川泰編曲 と、しっかりと「元々は千葉県の民謡」ということが記載されていました。

>おいとこの語源は諸説さまざまです。・・・「おいとこ」は、伝えられた地方に次第に定着し、やがて歌詞をその地方向きに変え、その地方の民謡として受け継がれ、発祥の地である芝山町を離れて、より多くの人々にうたわれるようになったと、芝山町の人々は言います。


ところで、「おいとこ」の語源については、不明な点が多いのです。これまでのさまざまな節を述べてみます。
 「オーイ、ドッコイショ」=土工作業の掛け声と受け声から
 「高砂そうだよ」=北房総地方の小念仏唄から
 「お江戸っ子」
 「佐渡方言説」=佐渡出身の僧侶が原作者か
 「オイ、ドッコイショ」=相撲甚句の掛け声から
 「おーい、いとこ」=従兄弟、親しい者への呼び掛けから

さて、白桝粉屋が、どうして千厩地方では伊勢屋になったのか、久子がお梅になったりしたのか、その訳は、今となっては知る由もありません。

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