若葉と青葉と紅葉と・・・

少年時代の友達と楽しかった遊び。青春時代の苦い思い出。社会人になっての挫折。現代のどん底からはいあがる波乱万丈物語です。

若葉と青葉と紅葉と・・・・

2016-10-18 09:52:29 | 日記
第一話【小さな目】


私が小学校四生の時に、尻尾の先が白で毛色は茶の鼻の周りが黒い雑種犬ブキを放し飼いにしていた。
行動範囲が半径500メートルで私たちと飛び回って遊んでいた。
そして、田んぼの畦道で害虫よけの毒を拾い食いしてしまった。
苦しさを堪えてヨタヨタ歩きで夕方6時頃家に帰ってきた。
そして、グッタリと横になり口から泡を吹き苦しんでいた。
『ブキどぅしたんだろうね?』
『一人で遠くまで行って遊んでいたみたいだよ』
『お前。見ていなかったのか』
『うん』
『バカだね。鎖で繋いでいないから毒を食べてしまっんだぁ』
『どぅしよう』
『震えているから毛布を持って来て敷いてやりな』
『うん』
『何処かで毒を食べたようだな』と長兄が言った。
『苦しんでいるから水を飲ませれば吐き出すかも知れないよ』
『グッタリしているから飲まないよ』
『キミオ!お腹さすってやりな』
『うん』
『ブキ。ブキ。ブキ。ブキ』

すると、PM7時頃、私の庭の向かい側の都営住宅2-1号室の寺西おじさんが家に帰ってきた。
そして、垣根越しに扉を開けて入ってきた。
『どうしました?』
『ブキ!毒を食べたみたいなのですよ』とかぁちゃんが言った。
『どれ!診てみますか』と聴診器を腹に当てていた。
『大丈夫だよ!助かるよ』と私が言った。
『バカ!苦しんでいるのに、簡単に助かるなんて言うんじゃないよ』とかぁちゃんに怒られた。
そして、口から泡を吹いてぐったりしているブキを診察した。
『助かるかどうか分からないけど?注射を射って置きましよう』と言って腰に射ち応急処置をしてくれた。
苦しみは収まったが、10分後に死んだ。
『ダメだったみたいですね』と言って寺西のおじさんは帰った。
『キミオ!大川に流してきな』とかぁちゃんに言われた。
そして、ご座に包み新中川に捨てた。
『南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏』

寺西のおじさんは、サラリーマンだと思っていた。
そして、奥さんと長男左千夫くんの3人家族だった。
『どうして、こんな医療器具持っているんだろう?』と不思議だった。
おじさんを見た印象は、歳は30代、細身の170cmほどで、色白の顔は逆三角で眉が濃く長かった。
そして、目が細く一重瞼で銀縁のメガネをかけていた。
額は広く7本シワを刻ませ、髪はオールバックにしてポマードで固めていた。
眉間に2本縦シワを深く寄せて細長い鼻をしていた。
そして、長い鼻の下の上下の唇が薄く顎が尖っていた。
風貌はサラリーマンと言うより公務員のように見えた。
そして、特殊な仕事をしていたのでは無いかと?又、奥さんも品がよく、一人息子も『僕、僕』と言っていた。
勤め先は分からなかった。
バスに乗って会社に行っていた。
ある日、会社に出勤して定時を過ぎても帰ってこなかった。
この時分は『蒸発』と云う言葉が流行っていた。
『主人が昨日から帰ってこないのよ』と寺西のおばさんが、かぁちゃんに話した。
『何処か、緊急で出張にでも行ったのかしら』
『それなら、家に電話が入るはずなのだけど』
『会社には連絡したのですか?』
『えぇ!聞いてみたけど、定時で帰ったと言うのですよ』
『変ですね?』
『お酒は飲めないから、何かの行事がないと飲んで帰って来る事はなかったのですよ』
『女ができて逃げたのかね』
『真面目そうな人だから、それはないだろ』
『わからないわよ。男なんて家を1歩でたなら、何処で何をしているか判ったもんじゃないからね』
『そこまで疑ったらかわいそうだろう』
そして、生活に疲れて何処かに逃げてしまったのでは無いかと噂された。
今考えて想像すると、新中川の妙見島から東京湾まで3キロメートはル離れていなかった。
噂では、白いモーターボートが日本海に出没していた。
逃げるスピードが早く、水上警察の船では追いつけなかったと言っていた。
そして、謎のモーターボートは北朝鮮から来たのではないかとも噂されていた。
もしかしたら、拉致されたのでは無いかと、そんな気がする。 
【政治家は北朝鮮が拉致していたことを知っていたと思う。政治的な何かが動いて黙認していたと思う。そうでなければ、日本の技術は北朝鮮より劣っていなかったと思うからだ】
金正日が白馬に乗っているのを見ると、暴れん坊将軍を参考にしているような気がする。
生きているか?死んでいるか?分からないが、小泉元総理が拉致被害者を北朝鮮に返さなかったので、拉致返還交渉をしても相手にされなくなった。
日本人拉致被害者はキム一族に取って最大の金蔓だから返還交渉など約束しても守るわけがない。
関係諸国が完全に兵糧攻めをして食物が無くなった時に、身代金と交換しない限り帰ってくることはないだろう。

私たち中学生の間で金魚を飼育する事が流行していた。
そして、金魚産地の江戸川区春江町に買いに行っていた。
小学生の時に金魚屋の息子に長谷川健二がいた。
私と友達で毎日遊びに行っていた。
『アパ!金魚持っていく』
『金ないよ』
『いいよ、タタで上げるよ』
『それなら、もらう』
そして、丈夫で飼い易い和金を50匹貰って家に帰った。
『かぁちゃん。金魚をもらってきたからタライに入れていい』
『何匹もらってきたの』
『50匹だよ』
『いっぱい貰ったね』
『ガチャがくれたんだよ』
『家の人に怒られないのかい』
『おじさんも持って行っていいって言っていたよ』
『それならいいけど』
『餌がないとダメだね』
『何を食べるのかなぁ』
『明日行って餌を買ってきな』と20円渡された。
『うん』
『ガチャ金魚餌売ってよ』と20円出した。
『いらないよ』
『かぁちゃんが買ってこいと言ったからさぁ』
『そのお金でお菓子でもかいなよ』とガチャの中学生のお姉さんが言った。
そして、金魚の餌はタタでもらった。

長谷川健二は、成績は中の下で色が白く面長の顔で坊ちゃん刈りにしていた。
眉毛が太く二重瞼で目玉が大きくガチャ目だった。
鼻が高く長い鼻の下で上下の唇が厚かった。
無口で運動神経がなく、校庭で遊ぶことはなかった。
友達は私一人で、教室で漫画を見ているだけだった。
そして、付いたあだ名がガチャだった。
『ガチャと友達になると金魚をもらえるぞ』と馬鹿な私は、みんなの前で自慢した。
すると、クラスの連中もガチャの家に遊びに行くようになった。
そして、金魚をもらって帰ってくるので、後継の兄が怒り貰えなくなった。
中学生になり、クラスが変わると、私とガチャは遊ばなくなった。

狭い庭に池を掘り、和金・リュウキン・オランダシシガシラ・ランチュウなど、多種類の金魚を泳がせいた。
そして、ゴッチャまぜに育てていたので生まれてくるランチュウは尖って背びれが付いていた。
金魚の餌を捕るために、伝線して履けなくなった女性用のストッキングを編みにした。
そして、朝5時に起きて、用水路の角隅に集まっているミジンコを捕っていた。
毎日、池の中に手を入れて『パシャパシャパシャ』と水音を立ててから生きた餌を金魚に食べさせていた。
そして、金魚を呼び寄せるために何日か続けていた。
すると、水の中に手を入れるだけで、金魚が浮いてきて大きな口を開けて私の指を『パクパクパク』と甘噛みました。
嬉しくて、学校に行き担任の西川先生に、その話をした。
『それはいいことだねぇ。明日からでいいから金魚観察日記を書いてみなぁ』と報告を期待された。
『分かった』と毎日書き始めることにした。
しかし、近所に悪い奴がいて、各家庭で飼育していた金魚池に毒を放り込んで行き殺していた。
そして、私の家にも夜中に来て金魚は全部殺されてしまった。
『先生!金魚、全部死んだ』
『どうして?』
『わからない?池の中に毒を入れられたみたい』
『犯人は見つかったの?』
『うぅん』と首を横に振った。
『残念だね』と同情してくれた。
こう言う人でなしは、ろくな死に方をしないと思った。
しかし、金魚がかわいそうで悔し涙が止まらなかった。
つづく
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