u2の不定期更新日記

感じたことを思いつきで書いてみます。

白馬温泉滞在記 3

2007年10月30日 10時31分17秒 | 旅行
 白馬滞在最終日の28日は、台風一過で朝から秋晴れの快晴だった。 早めに朝食を済ませ、歩いて10分くらいのゴンドラ乗り場へ急いだ。白馬尾根にある八方池に行くためである。頂上に行くには、ゴンドラの他、2つのリフトを乗り継いでいく。途中の紅葉がちょうど見頃でなかなか壮観でした。ゴンドラ、リフトの料金は往復2600円だが、ホテルのフロントで2260円で買いました。頂上から八方池まで約1時間半くらいかかったが、八方池から眺める景色は素晴らしかった。前日までの雨で空気が澄んでいて、白馬三山を始めとする山々がくっきり観ることができた。また眼下に広がる雲海も実に雄大でした。この景色は観る価値はあると思いました。帰りは下りなので一時間くらいでリフト乗り場に戻り、再びリフト、ゴンドラを乗り継いで下まで降りました。ホテルには昼過ぎに戻り、最後の温泉に浸かり、二時過ぎにバスで新宿へ向かいました。途中中央高速の渋滞に巻き込まれましたが、なんとか2泊3日の白馬旅行を無事に終えることができました。

白馬温泉滞在記 2

2007年10月29日 15時07分00秒 | 旅行
 白馬滞在2日目は、この時期には珍しい台風が近づいていたので、一日中雨が激しく降っていました。仕方なくホテルの温泉に入り、後はゴロゴロして過ごしました。 今回は宿泊した樅の木ホテルについて書いてみます。樅の木ホテルは白馬の「和田野」地区の森の中にあるホテルで、長野オリンピック開催時にできたお洒落な感じのするホテルです。食事は朝食はビュッフェですが、夕食はビュッフェかフルコースディナーになっています。フルコースの方が格上で、プラス3500円とのことです。自分は格安ツアーで来たので当然ビュッフェでしたが、料理の品数や味とも満足できる内容でした。コースディナーを食べた人の話では、味はともかく、料理の進行が遅くあまり満足できなかったようです。ビュッフェの方も強いて苦言を言うとすれば、1日目と2日目の夕食の料理の種類が半分程度同じであったことです。 またホテル内には「小兵衛の湯」という温泉があります。アルカリ質の美人湯だという天然温泉ですが、湯量が少ないので、かなり加水していて、さらに加温されていました。温泉の効果がどこまであるかは疑問符がつきますが、内湯と露天風呂ともにきれい
で気持ち良く入浴できました。特に夜間にライトアップされた紅葉した木々を眺めながらの入浴は素晴らしかったです。 最後にホテル全体の感想として、ホテルが目指すおしゃれなリゾート施設と客層のギャップがすごく中途半端な感じを受けました。お洒落なリゾートを目指したいが、シーズンオフは宿泊者を確保するために格安ツアーの客を入れなければならない。そうするとリゾートの雰囲気を味わいに来た個人客の失望を買ってしまう。このギャップをどう埋めていくかに、このホテルの将来がかかっているような気がします。自分としては安い料金にかかわらず、良い部屋に泊めてもらい、食事と温泉を堪能できたので満足です。

白馬温泉滞在記 1

2007年10月28日 14時20分00秒 | 旅行
 10月26日から3日間の日程で信州の白馬温泉に滞在しました。 安いツアー参加なので、まず新宿へ行きバスに乗り、トイレ休憩と昼食の後、2時には白馬の樅の木ホテルに到着しました。残念ながらホテルに着いてすぐ雨が激しく降り出してきました。部屋はなぜか和洋の部屋がある通常1泊17千円の部屋でした。往復のバス代に2泊4食して2万円も払ってないのに申し訳ないくらいでした。雨が止まないので、温泉に何度も入り、夕食を食べ早めに寝ました。

薬害肝炎被害者リスト隠ぺいについて

2007年10月22日 10時34分10秒 | Weblog
 薬害エイズに引き続き、薬害肝炎被害者のリストが厚生労働省で長期間隠ぺいされていた。B型肝炎にしろC型肝炎にしても肝硬変さらに肝癌に進む可能性が高い病気で、早期の治療により、ウイルスの排除や病気の進行を遅らせるなどの対策を取らなければ、死亡してしまいかねない病気である。そんなことは百も承知の厚生労働省の職員に対して、何のために働いているのかをまず問いたい。国民の健康を守るはずの役所が、病気で苦しんでいる国民を見捨てたら、自分たちの存在理由などないだろう。国民に奉仕するのではなく国民を苦しめる公務員なんか要らない!とにかく人の命がかかっていることなので、昼夜休み無く一刻も早く苦しんでいる人に手を差し伸べるべきだ。その後で、この件に関わった公務員をすべて追放すべきと考える。

この季節になると…あとがき

2007年10月20日 15時36分10秒 | Weblog
 昨日まで3日間かけて、5年前に他界した父と行った最後の旅行について書いてみた。 父の人生は、小学生の時に北京で終戦を迎え、引き揚げてからは親戚の家に家族バラバラに預けられるような生活を経験し、就職し、結婚し、サラリーマン時代は今とは違い排外主義的な中国に長期間駐在し、定年になった後も団体職員を勤めるなどそれなりに波乱に満ちた人生だったと思う。 5年が経つと父の存在を示すものはほとんどなくなり、母と自分、妹がいなくなれば、思い出す人もいなくなるだろう。このごろつくづく思うのだが、人間は他人の記憶の中でしか生きられないのだ。その存在は記憶している人がいなくなれば、幻になってしまう。父のこともどこかに残して置きたいと思い書いてみました。 終わり…

この季節になると…3

2007年10月19日 06時33分42秒 | Weblog
 1泊2日の墓参りを終えて、帰宅した時は、父の状態はこちらが心配していたほど悪くならず、ホッとしたのだが、その旅行のあとすぐ急激に病状は悪化し、1ヶ月後には起き上がることもままならず、再び入院することになってしまった。その後無断で病院を抜け出す事件を起こしたりして、その年の暮れに自宅に戻ってきたが、すぐ年末には意識がなくなり、年が明けてすぐにこの世を去ってしまった。 確かに一泊2日の墓参りは父の体力を消耗させ寿命を短くさせたかもしれないが、墓参りができたことを繰り返し喜んでいたし、大好きな温泉に浸からせることができて、自分としては行かせて良かったと思っている。父とソリが合わなかった自分であるが、ささやかな親孝行になったのではないかと思っている。 たまたま何十年に一度のしし座流星群という天体ショーの日と重なった父の最後の墓参り旅行は、父母と行った最後の旅行となり、三人で旅館の部屋から眺めた流れ星の記憶とともに忘れられないものとなった。 この季節になるとあの旅行のことを不思議と懐かしく思い出す。あの夜、自分は流れ星にいろいろな願いをかけた。おそらく父母も願いをかけた
のではないかと思う。父があの夜、流れ星にどんな願いをかけたのか、自分があの世に行ったら、聞いてみたいものだ。

この季節になると…2

2007年10月18日 06時12分33秒 | Weblog
 夕食を終え、部屋に戻ると、布団がすでにしかれていた。さすがに寝るには早すぎるし、とは言って末期の癌患者がいるのにテレビを見る気にもならず、なんとはなしに電気を消して縁側にあるイスに3人とも座ることになった。その夜は星がきれいだった。しばらくすると一筋の流れ星が見えた。ちょうどしし座流星群が見れる日だったのだ。誰も何もしゃべることのない静かな石和温泉の旅館の部屋で、小一時間ほどで十数個の流れ星を観ることができた。親子3人の奇妙な流れ星観察も父が疲れたから寝るという一言ことで終わりになった。その後母と自分は再び温泉に入り眠りについた。 翌日、朝食前に父と温泉に入った。結果的に父にとってこれが最後の温泉になった。朝日がまぶしい風呂場で見た父の小さくなった背中を今も覚えている。朝食後9時過ぎに旅館を出て、昼過ぎには家に無事着くことができた。普段あまり運転をしない自分にとっては久しぶりのドライブで結構疲れたのだが、父は少し疲れた様子だったが、思っていた以上に元気だった。これなら春にもう一度遠出くらいできるのではないかと思うほどだった。 つづく…

この季節になると…1

2007年10月17日 08時28分03秒 | Weblog
 この季節になると、5年前に死んだ父を思い出す。 当時父は末期の癌で医者が手の施しようもない状態で、家で療養していた。満足に歩けない状態なのに、静岡県の富士山の麓にある墓参りをしたいと言い出した。どちらかと言うと墓参りなどにはあまり普段から熱心ではなかった父が急に墓参りに行きたいと言い出したことに、何か決意のようなものを感じ、母と自分の三人で車で墓参りへ行くことになった。家から霊園までは車で片道5時間くらいかかり、父の体力を考え、また父の温泉に入りたいという希望で1泊2日の行程になった。 朝6時過ぎに家を出て、休憩や昼食をとり、霊園についたのは午後2時くらいだった。墓参りを澄ました後、車の中で、「墓参りができて良かった」と父が何度も言っていたのが忘れられない。心配していた父の体調も比較的良く、夕方には山梨県の石和温泉に無事着くことができた。父は夕食の前に久しぶりに好きな温泉に浸かり、夕食も比較的よく食べ、かなり気分がようようで、何度も墓参りができて良かったと繰り返していた。 つづく…

ケニア旅行記 後日談

2007年10月05日 18時59分41秒 | 旅行
ケニア旅行後日談

 旅行記に書いたとおり、今回のツアーは旅行会社の実現不可能な日程編成や最終日程表やパンフレットの記載と異なる宿泊地、それらに伴い無理な日程を強いられ、肝心の国立公園でのサファリが不十分になるなど、あまりにも頭にきたので、関西空港に着くと同時に主催旅行社である株式会社エヌオーイー(新日本トラベル
)に対して電話で抗議するとともに、9月5日付けの文書で
 ① 目的地間の距離を無視した日程になっており、物理的に実施不可能なツアー  編成であったこと
 ② ツアーのメインであるはずのサファリが不十分にしか行われなかったこと
 ③ パンフレット及び最終日程表の記載と異なり、マサイマラでのロッジがマサ  イマラ国立保護区内に無かったこと
 ④ マサイマラでのロッジがパンフレット記載と異なりデラックスクラスでは無  かったこと
 ⑤ 添乗員が機能していなかったこと
以上5点について強く抗議をした。
 その後電話で担当者との数回の交渉を行い、自分としてははなはだ不満であるが、株式会社エヌオーイ側が全面的に非を認めていること、自分はこの件ばかりに関わっているわけにもいかず、ツアー終了後1ケ月くらいで決着させた方が良いと判断して、抗議した内容についての詳細な調査結果及び明確な謝罪を文書ですることで決
着をつけることになった。
  
 これを受けて9月28日付けで株式会社エヌオーイー リテール営業部長名での調査結果及び謝罪が文書にて届き、今回の件に付いては最終決着となった。

 自分としてはケニアまで行ってガタガタ道に揺られるばかりで十分サファリを楽しむことができなかったので不満は大いに残るが、今回の件で株式会社エヌオーイー(新日本トラベル)内の管理・チェック体制の見直しが行われるということで、今後ツアーに参加する人が自分と同じようなことに遭遇することは少しはなくなるであ
ろう。
 最後に旅行業界にいる人は、ツアー参加者にとってその旅行は一生一度の最初で最後の機会であるかもしれないということを、強く肝に銘じて仕事をして欲しいと思う。