透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

来し方の想い出の本達

2017-08-05 | A 読書日記

「趣味はなんですか」と訊かれると困ってしまう。
特にこれといって趣味をもたない私は仕方なく「読書です」と答えることになるのだが、読書は趣味といえるのかどうか。それは食事をするのと同様に、人の基本的な営みではないのか。

小学生の頃どんな本を読んだのか、ほとんど思い出すことが出来ない。学校から帰るとカバンを放り出して外で友だちとビー玉などをして遊ぶ毎日だったから、本はあまり読まなかったのだろう。

それでもコナン・ドイルの「シャーロックホームズの冒険」やヴェルヌの「十五少年漂流記」や「地底旅行」「海底二万海里」などは今でも覚えている。

松本清張の「砂の器」を読んだのは確か中学2年生のときだった。こんなに面白い小説があるんだ、とその後清張作品に熱中するきっかけになった。「ゼロの焦点」「球形の荒野」などが印象に残っている。

学校の図書館で借りて読んだ「波」は山本有三の作品、暗い内容だったと思う。「罪と罰」は中学生の時読んだほとんど唯一の海外作品。この本は今でも自室の書棚にある。



高校生の頃。大江健三郎、安部公房、三島由紀夫らは当時人気があったと記憶している。同級生は中学生の時、漱石や鴎外などを当然の如く読んでいた。日本の近代文学を読んでいなかった私は劣等感を抱いた。

「さびしい王様」を英語のK先生から借りて読んだことを覚えている。厳しい指導で有名だったK先生も、北杜夫のファンだったのかもしれない。
読了後、同書を買い求めた。「他人の顔」の解説を大江健三郎が書いていることに気がついた。

もし安部公房が早世していなければノーベル賞を受賞したかもしれない。そうすれば大江健三郎の同賞受賞はなかったかも・・・。



学生の頃の思い出の本は倉田百三の「出家とその弟子」、福永武彦の「忘却の河」。



「木精 或る青年期と追憶の物語」北杜夫のこの小説に出会ったのは二十代の時。いままで繰り返し何回も読んだ。

ノーベル賞受賞を機に大江健三郎の初期の作品を読み返したのは三十代。当時子どもがまだ小さかったこともあって、「個人的な体験」には感銘を受けた。



ロビン・クックの医療サスペンスや「ジュラシックパーク」のマイクル・クライトンの作品は四十代にほとんど読んだ。

村上龍、司馬遼太郎・・・。

立花隆は「超」勉強好き人間。氏の文章は論理的で読みやすい。「臨死体験」や「脳死再論」などを興味深く読んだ。

柳田邦男、・・・。

藤村の「夜明け前」を読んだのはそれ程前のことではない。加賀乙彦は日本の近代小説の白眉だとベタぼめだが、週刊誌に「お言葉ですが」を連載した高島敏男は、へたくそな小説であんなものを名作だと言う人の気がしれない、と手厳しい。小説の評価は人によって様々だ。



「痴人の愛」や「暗夜行路」、「黒い雨」などを読んだのも実は四十代。これらの作品はやはり高校生の頃読んでおくべきだった。いや「暗夜行路」はもっと若い頃一度読んでいるような気がする。



北杜夫が敬愛していたトーマス・マンの「魔の山」は、なんとも冗長で分厚い岩波文庫の上下巻を読了するのは大変だった。ちなみにこの長編小説を翻訳した望月市恵は北杜夫も尊敬していた松高の名物教師(私の記憶が確かなら)。

服部真澄の「龍の契り」「鷲の驕り」はサスペンス。この頃読んでいない。

藤沢周平「橋ものがたり」、吉村昭・・・。

最近は川上弘美。彼女の描くふわふわ、ゆるゆるな世界に魅了されている。もっとも「真鶴」で彼女の描く世界の雰囲気は変わったが。

小川洋子、南木佳士・・・。

そして今(07年)は村上春樹。暗喩を多用するこの作家は読み手に解釈を委ねる部分が多いような気がする。海外に多くの読者を得ているのもこの辺に理由があるのかもしれない・・・。この結論は早計かな。

これからは・・・

書棚に並ぶ本たちは私の来し方の想い出を留めている。

**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。
その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。
だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけるものらしい。**

                                                  「
幽霊」北杜夫 


 070624 再掲              


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