透明タペストリー

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火の見櫓の台柱

2015-02-11 | A 火の見櫓っておもしろい 

 先日穂高まで所用で出かけた。その際、安曇野のヤグラー・のぶさんがブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」で紹介していた火の見櫓の台柱(@安曇野市穂高牧)を見てきた。



ゴミステーションの左に立っているのが火の見櫓の台柱(のぶさんのブログに掲載されている資料の呼称に倣った)。

花崗岩の柱で高さは人の背丈くらい。昭和三十二年十一月建之という刻字がなんとか読める。安曇野には花崗岩を用いた道祖神も多いが花崗岩は風化しやすいので、損耗しているものが少なくない。



この場所に元々3本柱の火の見櫓が立っていて、その柱脚を固定するための台柱で、3本の内、2本は撤去されてこの1本だけが残ったとのこと。台柱にボルトを貫通させるための孔が2つある。

火の見櫓の柱脚をこのように台柱で固定している事例として長野市小柴見の火の見櫓がある。


290 昭和16年建設





石の台柱にボルトを貫通させて、柱材の山形鋼(アングル)にひっかけて留めている様子が分かる。同様の事例は北安曇郡池田町にもある。それが下の写真。


299



鋼製の火の見櫓の柱脚を固定するために、このような台柱が必要なのかどうか。なぜこのような方法にしたのかは不明。コンクリートの塊状基礎に台柱の刻字が埋もれていることから、コンクリート基礎は後施工と判断できるが。

さて、台柱を用いている事例としてこれを挙げないわけにはいかない。大町市美麻(旧美麻村)の木造の火の見櫓。私の火の見櫓巡りはここから始まった。


001 (移設前、100504撮影)



3本の台柱のうち1本は木のまま、2本は石に替えられている。

さて、穂高の台柱だが、ここに立っていた火の見櫓は木製だったのか、それとも鋼製だったのか・・・。

昭和32年という建設年から判断すれば鋼製とするのが妥当のように思われる。昭和30年代に鋼製の火の見櫓が盛んに建てられた。

だが、台柱(石柱)を使った鋼製櫓は稀であろうこと、仮に使ったとしてもあくまでも補助的なものであって、高さもそれ程必要ないことなどから、人の背丈もある台柱を用いた穂高の火の見櫓は木造であったと考えたいが・・・。ボルト貫通孔の大きさもこの判断を補強するように思われる。鋼製の櫓ならボルトはもっと細いものを使ったのではないか、だとすれば孔はもっと小さいのでは。

木造の火の見櫓が前から立っていて、台柱を木から石に替えた年が昭和32年で、その年を刻んだということはないだろうか。だが、その際、建之と刻むだろうか・・・。


美麻では移設の際、その年を刻んだ石柱を使っている。

今なおここに木造の火の見櫓が残されていたとすれば、素晴らしい景観要素になり得ただろうと、のぶさんが書いているが、全く同感。北アルプスを背景に凛と立つ木造の火の見櫓・・・。

ここの火の見櫓の立ち姿を写した写真が見つかるといいのだが・・・。


 

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2 コメント

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木製か鋼製か (のぶ)
2015-02-11 18:00:56
言われてみれば鋼製のやぐらでも石の台柱を持つものがありましたね。
本文の池田町と長野市のものは自分も取材したのを今思い出しました
機会を見つけて地元住民などにヒアリングをかけたいと思います。
たとえ写真が発見できなくても60代以上の人であれば、
なんらかの情報は得られるのではと期待しています。
のぶさんへ (U1)
2015-02-11 19:19:22
立っていた火の見櫓が木造だったとしたら、
撤去されてしまったことは何とも残念ですね。
のぶさんの取材力に期待しています。

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