セロ弾きばあちゃん

写真付きで日記や趣味を書く

小学生のような生活・水曜日

2015-03-26 16:35:15 | 日記

午前中はお手伝いをしました

まるで 小学生の日記のようですね

・・・・・・・

主人の会のプリントの校正

ワードが私の思い通りにならず 思いの外時間がかかりました

文字の頭が揃わないことがあるんですよね

皆さんは経験ありませんか

やっと揃った時の満足感   一人で「やったー」と小さなガッツボーズ

・・・・・・・・

   午後は 夜のコーラスに備えて音楽の時間   

帰ってきたら 主人が曰く

「小学生には 飲酒は禁止だけど・・・」

と 言われながら いっぱいのビールを頂いてしまいました

 ? 


小学生のような生活・火曜日は遠足と委員会活動

2015-03-25 13:28:59 | 日記

名残雪にしては焼石岳からの吹き下ろす風は冬のようだった

アノラックにリックを背負い郵便局へ遠足

4人の孫たちが生まれた水沢病院を通り過ぎ

後藤新平が正力松太郎(読売新聞社創設者?)から寄付を受け

日本で初めての公民館を建てました

この前を通り過ぎると

裁判所・検察庁

間もなく麹やさん

そこの横断歩道を渡ると大町郵便局

郵便物を出したら¥120との事

切手シートから¥50切手2枚と小銭入れから20円

私の手間取る のろさにも局の職員はにこにこしながら対応してくれました

帰りは市役所の前を通りました

小さな太陽光発電で「いわて国体まで558」との表示

地元の工業高校生の作品でした

 

教会・保育園

その向かい側には

昔は清水が湧いていたようです

お酒やさんもここの水で醸造していたとの事

強い風にもめげず 無事遠足は終了

午後は主人の会の総会資料作りのお手伝い

今日の私は 小学生の生活の目標?%実行できたかな

 

 

 

 


昨日の午後の授業

2015-03-24 08:53:01 | 日記

私の昨日の午後の授業は家庭科と道徳

釜石のお墓参りに行ったときに義妹に

「私にも作って」と言われ あまり毛糸で編みました

完成の充実感を味わいながら

横殴りの雪が吹く夕方

実家の墓参りへ行ってきました

父はお酒が好きだったのでつまみを供えてきました

姉の墓には好きだったチョコレートを供えてきました

今日はお彼岸の最後の日ですね


健康な脳を維持するために

2015-03-23 10:24:52 | 日記

今朝のラジオで言っていました

「健康な脳を維持するには小学生のような生活をすること」

なるほどね

規則正しい生活

3度の食事

学ぶ

友達と遊ぶ

登校下校の歩き

家族との団らん

 

私も少しでも小学生のような生活をしようと思い

先ず 登校の代わりにウオーキング

学ぶは・・・・・新聞を読み 読書をする

ブログを書く

遊びまわって歓声を上げたり笑いこけたり・・・これは難しいな~

私なりに 庭仕事をして 植物と戯れようかな

老人クラブの連絡書類を配りながらの友達交流

やっぱり 時間割を作った方が小学生の生活に近づけるかもね

 


20年前の思い出

2015-03-20 21:30:17 | 日記

20年前は色々なことがありました

阪神淡路震災・オームのサリン事件

我が家では主人の退職

娘夫婦が高知へ赴任

・・・・・・・・・

主人が退職した記念にフルムーンで旅行に出かけた時

東京駅は警察官が各所に立って物々しい雰囲気でした

大阪から神戸は屋根にブルーシートが張られ

印象深い思い出となりました

あれから20年

サリン事件から20年が過ぎたのですね

 


北国もすっかり春です

2015-03-17 16:45:26 | 日記

一挙に暖かくなり植物も私もうごめいてきました

早速 サギ草の植え替えをしました

すっかり凍り付いていた鉢の土も一挙に融け

鉢をひっくり返したら小さな球根が元気に出てきました

土の塊ぐらいなので見落としそうです

古い土を鉢に入れていくと結構 芽が出てきます

鷺が飛んでいるような美しい花を咲かせる植物

今年もその姿を想像しながら丁寧に植え替えをしました


大切な物

2015-03-15 09:35:06 | 日記

昨年の今頃 高知へ留守番に行った

その時読んだ本が百田さんの「永遠の0」だった

今年も2月に高知へ行った

偶然にも百田さんの本を買って読んだ

2~3ページしか読んでいなかったので今日短編を1作品読んだ

「魔法の万年筆」

ホームレスから貰った小さな鉛筆

傷心の女性がホームレスに1000円恵んだお礼に小さな鉛筆をくれたのだ

「魔法の万年筆だよ

願い事を3個だけ書きなさい・・・・」

余り信じなかったけれども3個の願いを書いたら現実になったというお話

私も ふと 思い出した

孫のK君が中学になるとき 机の整理を手伝ったら

小さな鉛筆が沢山出てき

サックをして使えるまで大切に使っていたのだ

記念に1本もらって筆入れに入れていた

もう受験も終わり夢も叶ったから書かなくてもいい

でもきっと 私の筆入れの中で願いを祈っていたのかもしれない

 

汚い消しゴムは私のもの

消しゴムをカバーしている紙が汚いのではずしてゴミ箱に捨てておいたら

テーブルに置いてあった

弟のM君が

「おばあちゃんでしょう。こんな風に粗末にしてはダメよ」

注意されてしまった

私は セロテープで繕い筆入れにしまった

今日 筆入れを整理しながら 

老いて孫に教えられ・・・・・か

ふふふふ・・・・・

 

 

 


今の時期はみんな忙しい

2015-03-14 10:43:24 | 日記

みんな忙しそうだね

卒業 巣立ちの準備

レストランは謝恩会やお別れ会の若いご父兄のお客さんでいっぱいだった

私たち コーラス仲間の食事会は

それなりの会話が尽きない

話題は共通

争いもなく 嫉妬もなく 共通の話題が何度でも繰り返されて

それでも 誰も忠告や批判する人はない

至福の時と言っては ちょっとあてはまらないかもしれないけど

幸せな人も 不幸せな人も

この時間だけは仲間といい時を過ごせるのだから

大切な時間であることは確かだ

大事な仲間たちだ


見つけた私の宝物

2015-03-12 11:30:09 | 日記

毎日 身の回りの整理しても一向にはかどらない

捨てようと思いながら

懐かしくなって 眺めたり読み漁ったり

結局 ほとんど前に進んでいない

平成13年に出版した合同歌集第14集に私は30首の短歌を載せている

その巻頭に私はこんなことを書いていた

小泉信三は 「我々両親は完全に君に満足し、君を吾子とすることを何よりの誇りにしている。

僕はもし生まれ変わっても・・・・・略

幾度でも君のお母さんを択ぶ。同時に、もしも吾子を択ぶということが出来るものなら

吾々2人は必ず君を択ぶ。」と。

私は加えて孫たちにもこのように思っている。

生まれてきてありがとうと感謝する・・・

と書いて

1番目の短歌は

人の道 見失いそうな時には 吾と共有の思い出開けよ

30番目は

絵を描く子 紙を切る子に 板彫る子 すやすや眠る赤ちゃんもいる

今は 懐かしい思い出になってしまった

今日も整理できないままに1日が過ぎそうだ