と~ま君のおじぃ~ちゃん生涯学習ごっこ日記 

九十九里浜で年金暮らしの爺。惚け防止のため簡易風呂からゴミ箱にもなるドラム缶のごとき生涯学習ごっこ生活を送っています。

寂しいけれども、我々全員がこの世からオサラバしなくてはならないのである。成果もへったくれもない。

2016年12月10日 05時26分13秒 | 老人大学ごっこ  ジジイの流儀2015年から2016年

この世は忍土である。然り。




確かに耐えがたいことが多くて、しかもそれに耐えて生きているのが、ボキのような庶民である。病気になっても然り。願い通りに人生が進展しないのも然り。希望と現実は常に相反している。

実感がこもっている、ボキの場合。病気になったし、願い通りに大学院を修了することもできなかったし。挫折とシッパイばかりである。ゼニもねぇし、おまけにカミの毛もない。ないないづくしである。こんなジジイになるとは、亡母も思ってもみなかったに違いない。

わははっはははっははははっはははっははは。

しかしである。だからこそ、楽しいのである。この世は忍土であるが故に。思うとおりにならんから、どうなるかわからんから楽しいのである。

クルマの運転のように、すべてをナビ任せにしていたら面白くもなんともない。ボキなんか、近道をしたりして、ナビといつも喧嘩している(^0^)。ボキのクルマのナビは、若い女性の声であるが、「残念ですねぇ~~~」「こっちの道の方がいいですよん」とか対話を繰り返しながら、運転しているのじゃ。もっとも大都会だけは、このバカバカしい対話ができないけど。道を知らないからである、こっちが。

そういうことである。

つまり、ナビがないとなかなか知らない道を運転していくことはできないということである。

昨日、孫に教えられた。

「バアバとジイジがいなくなっちゃった・・・・・・うぇ~~~~ん」と泣いたという事件である。昼食を一緒にアパートで食べて、彼は眠たくなっちまったのである。だから、寝てしまった。次男坊の方である。長男の方は風邪をひいて病院に行っていた。

で、目が覚めたら泣いてしまったのである。

これでもって、昨日も書いたが、いなくなってしまうバアバとジイジということに気がついたことである。いなくなることが前提となっている。寂しいけれども、我々全員がこの世からオサラバしなくてはならないのである。成果もへったくれもない。100%死んじゃっていなくなっちまうのである。これは耐えがたいことである。忍土である。

そして、これ以上の忍土はない。

100%オサラバしなくてはならないという前提が厳しいのである。

忍土である。忍土であるから、耐えなくてはならないわけである。

どうでもいいとは思っていない。どうせ死んじゃうんだから無為無策でじっとして呼吸だけしていればいいってぇ問題でもない。

メシ食って、ウンコして、後は寝るだけの生活では寂しい。もっとも、ボキの生活その程度でしかないけれども。

今日はこれからボランティアでやっている郷土史の会に出かけてくる。かなりレベルの高い会である。講演は一橋大学の教授である。これだけ見てもレベルが高いのは想像できるだろう。

ボキは、机を出したり、受付をやってくる。そして、多くの碩学たちにお話を伺い、参考にさせていただく。それだけであるが、感謝している。ボキのような悪業三昧・不浄のものでも、机くらい出せるからである。

塾でもそうだ。昨日も感謝しつつ、生徒と過ごしていた。ボキのようなアホ・基地外の類いでも、必要としてくれているからである。英語と国語を昨日は教えさせていただいていたが、勉強の苦手な生徒さんほどボキのところに来る。それが経営方針のようである。たった一つの光明である。おまえのようなモンでも、世の中にお返しをせよという教えである。

いつまで続くかわからんけど。

耐えられるだけ耐えていくしかないから。

 

Bye-bye!

 

 

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