と~ま君のおじぃ~ちゃん生涯学習ごっこ日記 

九十九里浜で年金暮らしの爺。惚け防止のため簡易風呂からゴミ箱にもなるドラム缶のごとき生涯学習ごっこ生活を送っています。

縁を切ってしまうのもまた一興なり・・忘れられてもまたよし。

2017年07月12日 07時17分29秒 | ジジイの流儀2017

学生時代の友人とか、ともかくこっちが親友と思ってつきあってきたニンゲンも、だんだんと離反していく。当然である。家族と会社が優先するからである。

さらに、会社の同僚とかになると退職したらまるでゴミのように扱ってくる。絶体に退職した会社なんかに陣中見舞いと称して行ったりしてはならない。迷惑なだけである。こいつはボキですら、厳格に守ってきたことだ。

つまりそれは縁を切った(切られた)ということである。サミシイけれどもしょうがない。そういうものである。いつま~~~でもしがみついていてはならない。

そもそもニンゲンは孤独である。孤独であることを受け入れないと外国に行っても生きていけない。つまり、語学の勉強をしに外国に行って、そこでもって日本人としかつきあわないのと一緒である。そんなことをしていたら語学もモノにならない。つまらない同族意識を捨てることだと聞いたことがある。

また、語学の勉強には、現地で彼女をつくるこったと言われたこともあったが、むろんボキには無理じゃ(^_^)。モテねぇ、ゼニねぇ、毛がねぇ、そんなことする気もねぇってもんじゃよ。

さらにある。

血族とか姻族のつながりも絶体ではないということである。相続とかでトラブルというか揉めるとつきあいが途絶える。必ずそうなる。そういう事例も多く見てきた。行政書士のライセンスも持っているので、知識としてある。だから、商売としてやったことはないが、事例は知っているからである。ちなみに行政書士は相続の仕事もできるので。

ボキの場合は、全部実弟に相続させた。事実、亡父亡母とも実弟が最期を看取ったのであって、それに感謝していたし。ボキの相続放棄である。もっとも、たいした遺産があったわけではないからでもある。

みっともねぇではないか。権利だからと言って、実の兄弟が相続で相争っているなんてことは。小物の証拠だよん。親からの相続財産でひと儲けしちゃおうなんて考えている奴は、「利のニンゲン」であり、無明を生きているだけである。

メリット優先主義というか利だけで動いているニンゲンというのは信用できない。まったくそう思う。こいつとつきあっていて、なんかメリットがあるからつきあうのだというのでは、根底にオノレ自身の「利」があるだけだ。つまり、「小人」である。

そんなアホとつきあっていたら、時間の無駄である。

そうなのだ。ボキは、もうすぐお亡くなりになる。無駄なことをしているヒマはない。年金で暮らしながらやっと生きているのだけれども。

小人から脱却していかなくてはアカン。

だから、つながりとか絆とかご縁とか・・・いまいち信用できないと感じているのだ。根底に孤独だというのがないと、これからの老後を生きていくのは辛いものになる。

アンタはアンタ。

ボキはボキ。

たまに思い出してくれればそれでよし。永遠に忘れられてもそれもまたよし。

そう思っているのだ。

(^-^)/

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