山本たかしの連絡帳

平成27年4月の平群町議会選挙で初当選しました。
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知覧特攻平和会館見学

2016年10月16日 | 日記
10月13日(木曜日)、14日(金曜日)の二日間で、個人的に知覧へ行きました。
目的は、先の大戦で特攻隊として旅立って行かれた御霊への鎮魂です。







平和会館内は撮影禁止の為、ご容赦ください。


全国より見学に来られた方々からの千羽鶴が飾られていました。


平和会館横に再現された三角兵舎。特攻の指示が出るまでここで待機されていました。






兵舎内部の様子。当時の状態が再現されています。特攻隊員の方々はここで遺書を書き残したり、お酒で気を紛らわせていました。










平和会館にある数々の石碑です。読む度に胸が締め付けられ、目頭が熱くなりました。




石原前都知事の石碑。


私の出身地である八尾市の大正中学校が植樹をされていました。




隣の公園です。平和な景色が広がっていました。




平成19年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に復元された一式戦闘機「隼」。


昭和49年に建立された「特攻勇士の像」。勇ましいのですが、どこかに哀愁が感じられます。




これは練習機だそうです。












背面や側面にもぎっしりと刻み込まれた特攻隊員の芳名。




観音堂に続く道には、全国の遺族・関係者・有志から寄贈された灯ろうが並んでいました。


沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄西南にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年
(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250㎏の爆弾を搭載した戦闘機で敵の艦船に
体当たりして沈める、パイロットは必ず”死ぬ・亡くなる”という「必死」条件の作戦でした。
全特攻戦死者1,036名のうち、439名が知覧基地から出撃しました。奈良県出身の隊員も1人おられました。
薩摩半島南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ)、通称薩摩富士を本土の最後の景色として逝かれました。
今回の知覧見学で、命の尊さや平和の大切さを再認識することが出来ました。
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