明け方に押し寄せた帝国軍は、正午前には村を蹂躙しきっていた。
勇猛を自負していた青年団も、鍬や鋤を取り上げられ、血だるまのままトラックに乗せられた。労働施設に送られるのだ。
女子供は別のトラックに詰め込まれる。彼らには別の運命が待っている。
老人だけが取り残される。絶望と諦めの顔で。
「まったく、偉そうに抵抗なんてしちゃって。こんな生産性の低い農村にいたってどうなるでもなし。いい出稼ぎの話を持ってきてやったんじゃない」
ハスキーな声。女幹部が細い煙草を咥える。将校帽のつばでマッチを擦る。短い金髪が紫煙に揺れた。
「まあでも、都から遠いだけあって、可愛い娘が多いわね。都に近い町なんて、器量よしはみんな献上させられてきたから、ろくでもないのしか残ってないもんね」
女幹部はハートマークの描かれたトラックを見つめる。中から、不安そうな顔がこちらを見返している。
「ふん、辛気臭い顔」
幹部はコートの肩をすくめた。二メートル近い長身。羽織った軍用コートの下では、黒革のボンテージドレスが肌を締め付けている。
「ええい、離さんか! このすっとこどっこいども!」
振り返ると、後ろ手に縛られた爺が、兵隊に食ってかかっては銃床で殴り倒されている。肌着とすててこ姿の、赤ら顔の痩せた爺だ。
「何よ、この汚い爺は」
「は。なんとかいう田舎拳法の遣い手だそうです」
兵隊の軍靴は泥と血で汚れている。
「この縄を解かんか! こんな老いぼれ一人が怖いか!」
爺は兵隊の汚れた軍靴に噛み付き、歯で編み上げ紐を解こうとする。その顔を踵で踏みしめられる。
「へーえ、お爺さん強いんだ? ちょっと見てみたいわね。そら、自由にしておやり」
「馬鹿め! 撃鉄拳は弾をも避ける! 後悔させてやるわ!」
拘束を解かれ、跳ね起きた爺は、即座に珍妙な構えを取った。何か、影絵でもやりそうな手つきだった。
「じゃあ避けてみてよ」
女幹部は拳銃を取り出した。回転弾装。金色の銃身。
「来い! 牝犬め!」
ぱん。
脳漿が飛び散り、泥と混ざった。その上に、爺が仰向けに倒れこんだ。
「先生ー!」
労働施設行きのトラックから、絶叫が上がった。後部扉で、暴れる青年が兵隊にどつき回されている。
「先生ー! 畜生、殺してやる! あ痛て! 殺して……痛い! やめて!」
手枷をはめられた青年が、複数の兵隊に殴られている。他の村人は虚ろな顔で眺めている。誰も助けに出ようとはしない。
「なによ、爺のバカ弟子?」
「お、俺は天下無双の拳法天狗の一番弟子、マイクル・スダコーブニヤだ!」
トラックから顔を出し、またすぐ引っ込む。呻き声。
「あはは、そら、そいつもここへ連れてきな」
血だらけの青年が引きずり出され、女幹部の足元に放り出された。その顎を蹴り上げる。青年――マイクル――はひっくり返った。
「手枷を解いておやり」
「地獄で泣け! 牝豚!」
枷を外され、飛び起きる。
「一発しか撃たないわ。避けたら逃がしてあげる」
「一発外したら、貴様の命は無いと思え!」
青年が奇妙な構えを取る。影絵でもやりそうな、手つき。奇妙に緊張した指先。
「奥義! 超・集・中!」
マイクルの脳を、冷たい雷が打った。脳髄が燃える。石炭のように。
突然、全ての雑音が間延びして聞こえる。空を飛ぶ鳥が、その速度を落とす。空気中の湿気が、肌の産毛に絡みつく様を感じる。
女幹部の口元が動いた。遅すぎて、何を言っているのか分からない。
彼女の構えた銃口がひどくゆっくり揺れている。彼女の脳が人差し指に指令を送る経路が見える。
完璧だ。
ここに来て、俺は奥義をものにした。先生……俺、免許皆伝ですよね……。もう弾丸は俺には当たらない。
俺の勝ちだ。
マイクルには、女幹部の瞳孔がはっきりと見える。その幾何学模様のサークルが見える。
彼女の、胸のポンプが血液を全身に送り込む様が見える。その胸を締め付ける革のドレスの、加工される前の生前の生活が見える。野生の牛……。
胸が、ゆっくりと膨らむ。それが貴様の最後のポンプ活動だ! その柔らかな乳房のすぐ向こうに治まった、人肌に温まった物体のさらに奥に、心臓がある。それがもうすぐ止まる。
女のノドボトケが動いた。緊張しているのだ。貴様は気付いていないが、貴様の体は、すでに俺を恐怖しているのだ。
女の喉の上、口元に徐々に力が加わる。脱毛し過ぎて、肌の中に毛根が潜り込んでしまった口元が引き締まってゆく。引き金を引く直前。俺にはよく分かる。分かりすぎるほど。
でも、なんかちょっと変じゃない? あれ、え、もしかして女じゃ……
ぱん。
脳漿が飛び散り、マイクルは身を捩りながらひっくり返った。
女幹部は足でマイクルの体を仰向けにし、もう一発撃ち、その顔を吹き飛ばした。
兵隊達が彼の死体を、爺や、他の死体が積み重なっている穴へ投げ入れた。火をつける。煙は黒かった。
トラックは列をなして走り出した。煤けた村と、立ち尽くす老人達を残して。
その様子を見下ろしながら、爺はため息をついた。
やっぱり超集中は難しいもんじゃて。
ですねー。
だが撃鉄拳が銃に劣っているわけじゃない、わしらが未熟だっただけのこと、わしらが男女の別を超越できなかっただけじゃ。わしもお前も、もはや乳には惑わされなかった。あと一歩じゃった。最終段階で蹴つまずいた、それだけのことじゃ。
ですよねー。
二つの魂は黒い煙とともに雲を越えて、そして、もう、なんだかわけわかんなくなった。
おしまい
勇猛を自負していた青年団も、鍬や鋤を取り上げられ、血だるまのままトラックに乗せられた。労働施設に送られるのだ。
女子供は別のトラックに詰め込まれる。彼らには別の運命が待っている。
老人だけが取り残される。絶望と諦めの顔で。
「まったく、偉そうに抵抗なんてしちゃって。こんな生産性の低い農村にいたってどうなるでもなし。いい出稼ぎの話を持ってきてやったんじゃない」
ハスキーな声。女幹部が細い煙草を咥える。将校帽のつばでマッチを擦る。短い金髪が紫煙に揺れた。
「まあでも、都から遠いだけあって、可愛い娘が多いわね。都に近い町なんて、器量よしはみんな献上させられてきたから、ろくでもないのしか残ってないもんね」
女幹部はハートマークの描かれたトラックを見つめる。中から、不安そうな顔がこちらを見返している。
「ふん、辛気臭い顔」
幹部はコートの肩をすくめた。二メートル近い長身。羽織った軍用コートの下では、黒革のボンテージドレスが肌を締め付けている。
「ええい、離さんか! このすっとこどっこいども!」
振り返ると、後ろ手に縛られた爺が、兵隊に食ってかかっては銃床で殴り倒されている。肌着とすててこ姿の、赤ら顔の痩せた爺だ。
「何よ、この汚い爺は」
「は。なんとかいう田舎拳法の遣い手だそうです」
兵隊の軍靴は泥と血で汚れている。
「この縄を解かんか! こんな老いぼれ一人が怖いか!」
爺は兵隊の汚れた軍靴に噛み付き、歯で編み上げ紐を解こうとする。その顔を踵で踏みしめられる。
「へーえ、お爺さん強いんだ? ちょっと見てみたいわね。そら、自由にしておやり」
「馬鹿め! 撃鉄拳は弾をも避ける! 後悔させてやるわ!」
拘束を解かれ、跳ね起きた爺は、即座に珍妙な構えを取った。何か、影絵でもやりそうな手つきだった。
「じゃあ避けてみてよ」
女幹部は拳銃を取り出した。回転弾装。金色の銃身。
「来い! 牝犬め!」
ぱん。
脳漿が飛び散り、泥と混ざった。その上に、爺が仰向けに倒れこんだ。
「先生ー!」
労働施設行きのトラックから、絶叫が上がった。後部扉で、暴れる青年が兵隊にどつき回されている。
「先生ー! 畜生、殺してやる! あ痛て! 殺して……痛い! やめて!」
手枷をはめられた青年が、複数の兵隊に殴られている。他の村人は虚ろな顔で眺めている。誰も助けに出ようとはしない。
「なによ、爺のバカ弟子?」
「お、俺は天下無双の拳法天狗の一番弟子、マイクル・スダコーブニヤだ!」
トラックから顔を出し、またすぐ引っ込む。呻き声。
「あはは、そら、そいつもここへ連れてきな」
血だらけの青年が引きずり出され、女幹部の足元に放り出された。その顎を蹴り上げる。青年――マイクル――はひっくり返った。
「手枷を解いておやり」
「地獄で泣け! 牝豚!」
枷を外され、飛び起きる。
「一発しか撃たないわ。避けたら逃がしてあげる」
「一発外したら、貴様の命は無いと思え!」
青年が奇妙な構えを取る。影絵でもやりそうな、手つき。奇妙に緊張した指先。
「奥義! 超・集・中!」
マイクルの脳を、冷たい雷が打った。脳髄が燃える。石炭のように。
突然、全ての雑音が間延びして聞こえる。空を飛ぶ鳥が、その速度を落とす。空気中の湿気が、肌の産毛に絡みつく様を感じる。
女幹部の口元が動いた。遅すぎて、何を言っているのか分からない。
彼女の構えた銃口がひどくゆっくり揺れている。彼女の脳が人差し指に指令を送る経路が見える。
完璧だ。
ここに来て、俺は奥義をものにした。先生……俺、免許皆伝ですよね……。もう弾丸は俺には当たらない。
俺の勝ちだ。
マイクルには、女幹部の瞳孔がはっきりと見える。その幾何学模様のサークルが見える。
彼女の、胸のポンプが血液を全身に送り込む様が見える。その胸を締め付ける革のドレスの、加工される前の生前の生活が見える。野生の牛……。
胸が、ゆっくりと膨らむ。それが貴様の最後のポンプ活動だ! その柔らかな乳房のすぐ向こうに治まった、人肌に温まった物体のさらに奥に、心臓がある。それがもうすぐ止まる。
女のノドボトケが動いた。緊張しているのだ。貴様は気付いていないが、貴様の体は、すでに俺を恐怖しているのだ。
女の喉の上、口元に徐々に力が加わる。脱毛し過ぎて、肌の中に毛根が潜り込んでしまった口元が引き締まってゆく。引き金を引く直前。俺にはよく分かる。分かりすぎるほど。
でも、なんかちょっと変じゃない? あれ、え、もしかして女じゃ……
ぱん。
脳漿が飛び散り、マイクルは身を捩りながらひっくり返った。
女幹部は足でマイクルの体を仰向けにし、もう一発撃ち、その顔を吹き飛ばした。
兵隊達が彼の死体を、爺や、他の死体が積み重なっている穴へ投げ入れた。火をつける。煙は黒かった。
トラックは列をなして走り出した。煤けた村と、立ち尽くす老人達を残して。
その様子を見下ろしながら、爺はため息をついた。
やっぱり超集中は難しいもんじゃて。
ですねー。
だが撃鉄拳が銃に劣っているわけじゃない、わしらが未熟だっただけのこと、わしらが男女の別を超越できなかっただけじゃ。わしもお前も、もはや乳には惑わされなかった。あと一歩じゃった。最終段階で蹴つまずいた、それだけのことじゃ。
ですよねー。
二つの魂は黒い煙とともに雲を越えて、そして、もう、なんだかわけわかんなくなった。
おしまい
先生も僕もあとちょっとでしたね。残念です。
でもせっかくやっと透視ができたのに、そんなトリックがあったら、私でも度肝を抜かれてしまいことでしょう。
それは仕方なかったのです。
自然の摂理でしょう。
コメントありがとうございました。チャキオさんに褒めていただくととっても励みになります。なんか、心地よくお腹が減っているような幸福感を覚えます。
自然の摂理……そうですよね。
人間はエゴい生き物です。この地球を、自分の手でどうにか出来ると思っている。壊す事も治す事も出来るみたいに、偉そうにさ。
あと、夢は叶うとか……神様じゃないのに勝手なこと言うな!
僕と先生は、どんなに努力しても撃ち殺されていたと思います。哀しくなります。
って寄生獣だったかしら。
見えすぎちゃうのも良し悪しです。
茶帯クラス止まりの超集中を教えてもらいたいですが、継承者はすでにいなさそうですね。
ですねー。
歴史に埋もれた徒花を描くアヴダビさんに乾杯。
なんかエッチな匂いがしますね。さすが海太郎さんです。
見えすぎちゃうのは本当に困りものです。僕はね、モザイク賛成派なんです。もっとぼかしてほしい。行間を読む僕の能力を使わせてもらいたいです。
丁寧な描写が世界観をうまく説明していて、
それだけにラストでぶっとふきだしてしまいましたよ。
これは反則ですねー。先生も僕も哀れですな。
いやあ、これがギャグなのかは、まだ分かりませんよ~。ふふ。
先生は哀れでした。
拳法の師弟というと、僕はすぐに昔のジャッキー・チェンのカンフー映画を思い浮かべてしまいます。ああいう映画がまた作られると良いのになあ。