Twinklestar-river-nouvelle blog

つれづれに映画や日々感じたことを書いていきます。

映画「ミリオンズ」

2008-12-23 00:46:30 | 映画 Films lately watched s.2008

ミリオンズ

監督:ダニー・ボイル
出演:アレックス・エテル、ルイス・マクギボン、ジェームズ・ネスビット、デイジー・ドノヴァンほか
脚本:フランク・コットレル・ボイス

ストーリー
舞台は英国北部マンチェスターと北西部リヴァプールのあいだの町。小学生のダミアンは母を亡くし、兄と父と共に新築の家に引っ越してきた。引越しのダンボールを使って、線路脇の空き地で秘密基地を作ったが、ある日、大金がはいった鞄が飛び込んできた!信心深く聖人博士でもあるダミアンと、現実的な兄アンソニーは、それぞれお金を守りながら、通貨切替でポンドが不要になる前に使いきろうとあれこれ考える。
通貨がポンドからユーロに切り替わる直前の数日間に、大金を手にした幼い兄弟が出会う「奇跡」と「希望」を描いた優しい映画。

コメント
Millions。 2004年 英=米映画
トレイン・スポッティングの監督が、自分の子供も見れる映画を作ったとのことらしいです。優しい映画。
大金とどう向き合うか、という道徳的な話を、押し付けがましくなく、ナチュラルに描いています。
高級住宅地ということですが、ゲームやテレビなどを購入できる少し余裕のある一般庶民の家族の物語(階級設定はやや米国的?)。それでも線路や電車が物語に絡んでくるのは、もしかしたら英国の誇り? いえ、米国にも子供達と線路が関係している映画は沢山ありますからね。まあなんというか、「トレイン・スポッティング」や「リトル・ダンサー」のように、ことさら英国階級社会がうるさく描かれていませんので、それほど社会的意識を高くもって見なくても大丈夫。心の映画です。
キリスト教の聖人が出てきます。ダミアン少年が話しかけているのをみると、絵画などでおなじみの方々と、自分もお話した気分になれます(わりと気さく)。クリスマスの降誕劇も楽しかったですね。ロバをひいてあるくキリストの父・ヨセフに扮するダミアン少年。ヨセフ本人(?)に演技指導を受けてました!
信じる心をもっていれば人は強くなれると死んだママは少年に言いました。信じる心があるから聖人がほんとうに見えてるのだろうなぁと思いますが、端から見ればおそらくただの幻視なのでしょうね。このあたりは、英国を代表する詩人であり銅版画家(?)であったウィリアム・ブレイク的だなぁと勝手にこじつけたりしてみます。ブレイクも神様の幻視を見たそうです。
公式HPを見ていると、監督は「…(前略)… 英国は過去に縛られがちだ。前に進むことや、新しい世界に飛び込むことを躊躇し、抵抗する。でも、物事には別れを告げなければいけないこともあるし、それは決して悪いことではない、ということをこの作品で描きたかったんだ。…(後略)…」と語っているようです。でも故郷北西部への愛は確かに感じますが、もっと広く普遍的な現代の英国人、ないしは現代人へ開かれた映画づくりになっていると思いました。
そういえば、ここでふと思い出すのは、むかし池田潔という人が書いた『自由と規律』という本です。うろ覚えですが、たしか冒頭あたりに、英国鉄道が王立から(国営から?)国営へ(民営へ?)変わったときの英国人たちの反応が書かれていました。鉄道はまさに英国人の誇り。合理化すべき現状は理解できても伝統的な忠誠心から国民は猛反対し、デモなどが激しかったということです。しかし、英国で学んでいた池田が見たのは、厳戒態勢で迎えられた合理化初日の列車運行時に、あれほど反対していた人々が気持ちをすっかり切り替えて新しい歩みに花を掲げ、手を振ってその発車を見送ったことでした。池田は英国人の伝統主義的な部分と、一旦結論が出されて、そこに合理的な理由が見出せれば、あれほど固執していた伝統主義をひるがえして新たな手法を受け入れられる合理的思考を感じ取った…というようなことが書かれていたように思います。
苔生さぬよう常に転がりつづけるその精神、英国にありですね。ボイル監督の気持ちもそんなところにあるのでしょうか。

ところで、先ほども述べた降誕劇のとき、「ラパパンパン」という歌を子供達が合唱しています。これは20世紀のアメリカ生まれのクリスマス・ソングで、70年代にビング・クロスビーとデビッド・ボウイのコラボしたことで世界的にも有名な曲だそうです。
曲の内容は、イエス・キリストの誕生を祝うための贈りものがない貧しい少年が、代わりにドラムを叩いて贈りものにしたというもの。だからドラムの音がメロディーの背景に流れます。同じような逸話はフランスにもあるそうで、パリのノートルダム大聖堂の信心深い修道士が、何か捧げたいが貧しさのため捧げるものがなく、得意のジャグリングをマリア像に捧げたそうです。周囲からは神への冒涜だと非難されてしまいますが、修道士のもとに聖母マリアが光臨し、微笑んで祝福したという話があるそうです(この二つはネットサーフィンで得た情報です。正しいかどうか分かりませんので皆さんでもいろいろ確認してみてくださいね)
でもなんだかいいお話!映画にもマッチしてます。

それでは、どうかみなさんも良い年末を。
とりとめのないことばかりですが、これからもなにかと書いてみてます。
考えが練れてないことも多いですが、どうか来年もお許しを。
年内あるいはお正月休みに時間があれば、また記事upします。

 
 
2008.12.22


福井県立美術館 北美・北荘の作家達 と 国立近美所蔵品

2008-12-13 23:46:34 | 展覧会 Art Exhibitions


常設展の「北美・北荘の作家達」を見てきました。福井県であった前衛絵画取り込みの動きです。シュールレアリスムやアンフォルメルなど、いちはやく世界の美術潮流を取り込もうとして、阿部展也や岡本太郎はじめ日本の現代美術の牽引者である作家たち、そして評論家たちが福井に呼ばれたそうです。なんとなく知っていただけだったので、参加した福井県の作家たちの作品を見て、興味深く感じました。

企画展では国立近代美術館のコレクション展が開催されていましたので、ちらっと流し見してきました。日本の近代洋画と現代絵画への流れをさらりと見せてくれています。
洋画受容の最初期にあたる五姓田の作品はなかったですが、黒田清輝らの外光派らの作品などで始まり、明治から大正の洋画家たち、それからエコールドパリの画家たち、シュールレアリスムの画家たちなどです。
メモがてら記憶に残った作品について少し。

●藤田嗣治「自画像」 

乳白色の白色で、面相筆の細い輪郭線、猫がいてフジタがいて、小さい作品ですが、フジタの作品を堪能できて喜びを感じる一作です。
●里美勝蔵の「女」 
肉感のある人体と構図、激しい色彩と筆致。なにより女の頬の肉付きと無造作にこすりつけられたような赤い線がすごかったです。いままで見たことあるのは風景画が多かったので、小ぶりながら力強いこの作品は印象に残りました。
●岡鹿之助「冬の街」 
これが絵画でいいのか分かりませんが。かすれたような筆遣いと温かい色調で描かれた、絵本の挿絵を思いおこすような冬の色彩と街の風景。むずかしいことぬきにちょっと心引かれる絵です。先般東京であった回顧展になぜいかなかったのか、ちょっぴり後悔しました。
●東郷青児「サルタンバンク」
題名は道化の一種。金属のオモチャのような造形ですが、陰影のグラデーションを見ていると、つい先日見た源頼朝像の帽子の表現を思い出してしまいます。なんだか共通点があるようにも思えますが、いいのかなぁ?
●野田英雄
孤独、でも三人の人が淡い色彩で描かれています。この人の絵はいつも絵の具づかいが特徴的でいつも気になります。
●北脇昇「空港」
小さい絵なのですが、紅葉の種のようなものや、木切れのようなものが画面に浮かんでいて、それが自然なようでいて実は不自然な並べ方になっていて、なんとなく無人の空港のように見えます。無人感が不思議な感覚をもたらします。ちょっと面白かった。
●古賀春江「海」
有名な絵画。フランスではじまり日本では詩人らによってもたらされたシュールレアリスム的な方法が用いられたかなり初期の例だそうです。
本格的なシュールとは異なる解釈と方法だけれども、海を想起させる物体があちこちに並べられていて、日本のシュールの早いサンプルだといえるそうです。出品されていませんが、嶋田しづさんのフランス時代の作品を思い描いてしまいました。
●瑛九「午後(虫の不在)」 
絵の具の点々。明度の高い色、低い色(青、黄色)など、いろんな色彩の点々が集まり、画面全体に動きがみえるという絵なのです。しかしそれだけではない(…と勝手に感じている)。色のバランス、動き、すべてが絵に溶け合って、音楽のような、踊りのような、全体的にゆるやかなのですが、すこし煌めきのようなものもあり、大地のように落ち着いてゆったりとしていながら、波の渦のように回転している…。銀河のようなところもあるかもしれません。とにかく感覚的にひたっていたいような素晴らしいバランスの絵です(バランスといいきっていいのかどうか分かりませんが…)。
タイトルがまたすごい。「午後」。私は午後の要素を絵のなかにさがします。点々だけだけど、色や動きのなかに探してみる。季節はいつなんだろうかとか、一気に思いがうずまく。「虫の不在」。この詩的な響きはなんだろう!なぜ虫はいないのですか、と訊きたくなってしまいます。これは森の中ですか、土をながめた絵なのですか?なぜ黄色がまぶしくちりばめられているのですか?-などと、画面のなかを思いが彷徨っっていきます。
絵の描き方も、タイトルも、私がここでいうほど思わせぶりではない、さりげなく素のままであったのでしたが、なんだかいろいろ考えたり感じたりして、長い時間をこの絵のまえで過せてしまえそうでした。いかに自分なりの答えでよいからといっても、そう一発で思考の果てにたどりつくはずもなく、美術館って、こういう絵がいつも飾られていて、ときどき行って自分なりの答えを探す時間をつくったりしたいところだなぁって、思いました。
●草間弥生「残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)」
1950年の初期作品です。クサマは、銀色の細胞形巨大クッションのようなインスタレーションや赤や緑色のドット模様の南瓜などの印象が強いですが、いささか商業的な趣きにもなってるようにも(勝手ながら)感じていました。初期作品、なるほど。こういう原点があるところに、すべてを許してしまおうと思いました。細胞のようなカメラのファインダーをのぞいたような、向こう側には小さく外の自然界がひろがり、青空が小さくのぞけ、枯れ木の黒いシルエットが具体的に分かる現実的な造形でした。むろん枯れ木は黒くて些か不気味で、でも小さいのでさほど気にならないのですが、やっぱりちょっぴりシュールです。その手前にひろがる細胞のような眩暈のような赤い細胞のような造形も、やっぱりシュール。細胞膜の数箇所に襞のヨレのようなものがギザギザと描かれていますが、これがヨレなのか、向こう側に見えるのと同じ「木」が生えているのか、にわかに判別できません。ニュースによると、なにやら脳の中の信号をとらえることで、見た夢を映像化できる最新技術ができるとか何とかですが、まさにこの絵も頭の中を覗かれたような、夢か幻影の世界ですね。クサマの真の実力を見せていただいたような気がして、印象に残りました。(あれ、なんだかナニサマ発言ですね-汗)

 

2008.12.13 up



平常展ファイナル 

2008-12-12 22:55:36 | 展覧会 Art Exhibitions

京都国立博物館に行ったので、耐震化リニューアル工事のため休館する平常展を見てきました。谷口吉生の建築ということを一瞬忘れていましたが、ちょっぴりしみじみとしますね。。ファイナルなので、源頼朝像や明恵上人像など国宝もめじろおし。あらためて、国の宝ってすばらしい!と感じました。

紀貫之の石山切(歌を書いたもの)を見たのも、もしかしたら初めて?
(正しくは「貫之集巻下断簡〈石山切>」)
いろいろ素晴らしいものを見せていただいたけれども、やはりすごいのは源頼朝像。
これは教科書などにも出てくるけれど、鎌倉幕府を興した有名な人だから国宝なのだとずっと思っていました。しかし、これは「絵」として素晴らしかったです。
顔の描き方ひとつとっても技術が高いことが分かるそうです。とくに口元の描き方でその絵師の技量が分かるそうで、素人目にも迷いのない、それでいてブレもない完璧なラインがひかれていました。
また、究極的なかたちの取り方。とくに衣服の形がすごいです。平面的で抽象的な図形みたいに描かれているのですが、これがなんともいえず完璧な配置と形。それでいて、お帽子(?)は陰影があり立体的に見えます。この全体的な対比も面白いですね。
また、黒だと思っていた衣服には、生地の模様が描かれていました。図形っぽくみえるのですが、ちゃんと質感がでています。それから、襟の内側からみえる朱色。そのほかは抑制された暗色が使用されているのですが、この微妙な色彩のバランスがなんともすごい。絶妙なバランスと緊張感。絵そのものから放たれる高貴を感じました。もしかすると、こんなにすごい絵を見たことがないかもしれません。
今年は、徳川美術館で東山御物の水墨画などを沢山拝見して、すごく感動したのですが、それでもひょっとして、これが世界の絵画No.1かも!という気がしてきました。西洋の絵画も素晴らしいけれど、これほどNo.1を感じたことはなかったかもなぁ。

すこし記憶をたどってみてもいいかなと思いました。
それにしてもまさに眼福。素晴らしい絵を遺してくださった先人のみなさま、どうもありがとう。といいたいと思います。

 

2008.12.12



展覧会「Japan 蒔絵」

2008-12-09 00:01:04 | 展覧会 Art Exhibitions
     
 
京都国立博物館で見てきました。10世紀の古い漆工品からマリー・アントワネットはじめ西欧諸国の王侯貴族に愛された漆製品まで、ありえないほど広くて長いスパンでもって漆をとりまく古今東西の様相を見せてもらいました。
このあと、東京のサントリー美術館へも巡回するようです。
日本初公開だけでなく、世界初公開のものもあります。ふつうならば一堂に会することがありえない幅広い展覧会ですヨ。
歴史をとびこえ、国をとびこえ、「ジャパン」と呼ばれた漆工品のロマンを感じました。空前絶後の規模、見ごたえあります。

展覧会構成はこのようになってます。世界に愛された漆、ということですね。
章立てだけみてるとつまらない印象ですが、見ればとても興味深いラインナップです。

  第一章「中世までの蒔絵」
  第二章「西洋人が出会った蒔絵―高台寺蒔絵―」
  第三章「大航海時代が生み出した蒔絵―南蛮漆器―」
  第四章「絶対王政の宮殿を飾った蒔絵―紅毛漆器―」
  第五章「蒔絵の流行と東洋趣味」
  第六章「王侯のコレクションと京の店先」
  第七章「そして万国博覧会」

第一章
日本の古い漆器のコーナーです。10世紀の古い漆器は貴重で、かなり古くて、最初の原状から遠く離れてしまっているとは思いますが、存在そのものが素晴らしいと思いました。素朴な技法ですが、格調と大らかさがあります。

第二章
海外との交流がめばえた安土桃山時代の「高台寺蒔絵」のコーナーです。梨地といって、金粉を節約するためにギッシリと蒔かないで、粉の密度を変えて、漆の地が見えるような技法が使用されています(模様が見た目に、梨の皮みたいな感じなのでしょうね)。ところがこれがとても綺麗で、まずデザインが優れているのです。古いものに比べれば、図柄が大きく全面に描かれるようになり、それでいて優美なリズムを生み出す曲線的な配置になっています。また、草をあらわす繊細な細い線が、大柄の菊や桐の図案のあいだにあることで全体に図案の強弱のバランスが生まれています。この強弱は主だった図柄に施されている梨地の密度や、粉の種類や、色を少しずつ違えることによっても工夫され、絶妙なリズムを生み出していました。感動的です。
図柄も線も大変に繊細で卓越した技術で描かれ、もとよりよくデザインされているので、なんともいえない美しさがありました。全面的に金色が施されていながら繊細さを保ち、これぞ漆だと海外の人たちも思われたのでないでしょうかね!?
金粉をふんだんに使った格調高いも漆器も素晴らしいのですが、すこし格がひくいのかと思っていた高台寺蒔絵も、本物をみれば違いが分かる人になれた気がします。芸術ってすばらしい!

第三章
ポルトガル人たちは、日本の漆製品を見て、自分たちの旅道具を漆で豪華に仕立てたそうです。洋櫃といって、いわゆる海賊船がしずめた宝箱のような形のようなボックスや、折りたたみ携帯机のようなものを頼んだようです。西洋の形に西洋の金具などを付けて、不思議と調和していて面白いです。日本人が虎を知らなかった時代の豹のような虎も可笑しいですが、蓋の内側に、唐草を背景としてその中に浮いたような人物が描かれていたりする珍しいレイアウトされている洋櫃もあり、図柄の不思議さも興味深いです。
「南蛮漆器」の時代です。

第四章
デンマーク王室とオランダ人のコレクションを、ポルトガル人の漆器と区別して「紅毛漆器」と呼んだそうです。これらは、合理的で経済的なオランダ人の工夫なのか、漆の黒い背景を活かし、中央に絵画的な図柄を金蒔絵で描いたものが多くなります。ポルトガル人たちの漆器は全面的な装飾も派手やかで貴重な材料を多用した亜細亜的な雰囲気がありましたが、こちらの紅毛漆器になると、抑制されたデザインがやや日本的にも感じられました。単に節約のためというよりも、国民性というかオランダ人たちの好みもあったのでしょうね。高台寺蒔絵が「デザイン」なら、南蛮漆器は「工芸細工」で、紅毛漆器は「絵画」だといっておきましょう。
ふんだんに金蒔絵や螺鈿(なないろの貝をはめこむ)の装飾をほどこすよりも、すこし哲学的な沈思というか、水墨画みたいな雰囲気もあります。

マリー・アントワネットのコレクションは、かねてから写真でみることが多く、繊細な装飾技術に興味がありました。実際はとても小さくて、豪華絢爛というよりは精巧な愛らしい愛玩品という趣き。輸出漆器というと、西洋人向けに変則的に工夫されてしまって本来の漆器とはやや異なるもの…というイメージがありましたが、このコレクションは技術的にもデザイン的にもあるていど本格的な日本の香り(どんな香りよ?)がしました。当時の欧州で本格的な「日本」に出会うこと自体が貴重でしたでしょうから、お目の高さと貴重品を所持できる立場はさすがにハプスブルク出身のフランス王妃だわと勝手な想像をふくらましていました。けれども所蔵品そのものは、日本の京の店先に売られているものと同レベルのものだそうです。そういわれてしまうと、なんだか価値がさがるような気もしますが、やはり日本人も手にとった本格的なものを持っていたというしかありません。
品物そのものは、やはり精巧な技術で小さく愛らしく美しいものが多いです。なにやらこの当時、日本国内の漆器は受託生産だけでなく、裕福な市民の手にはいるように予め製作したものを店に用意して販売していたことがわかってきたそうです。
いいかえればアントワネットのコレクションは、ポルトガル人たちのように注文生産ではないのですね。そのぶん、とても本格的な日本のものを所持していたということになります。それらの小さいものは、ほとんどが沈箱と呼ばれるお香を入れておく小さな小箱をいれる手のひらサイズのボックスでした。おままごとのような、雛飾りのような、お香をいれる箱であるところもなんだか優美な感じですね。
母マリア・テレジアから持たされたものとのことで、鹿と童子が歩く姿を描いた蒔絵など、親心も伝わるような選択でした。そのこともしみじみと感じられて素晴らしかったです。

京博では、ちょうど中間あたりに、絶対王政期の豪華な漆コレクションが並べられました。これぞ宮廷という感じの、技術的にもサイズ的にも高品質ものもです。
ポンパドゥール夫人旧蔵(もとは別の方の所持)の箱や、マザラン家伝来の櫃まで、日本の国宝級のレベルだそうです。確かに見事でした。いわゆるほどほどの輸出漆器ではなく、バッチリすごいものがあちらの宮廷に渡っていてよかったなぁとも思いました。
また同じコーナーには、英国のバーリーハウスの漆器家具も当時の室内が想起されるような展示で、きれいなライトを浴びて漆黒と金蒔絵が黄金色に輝いていました。西洋人は、陶器でも漆器でも、金具や足をつけたりと、マウントして使用することが多いそうです。ここにもマリー・アントワネットの使用したアロマ壺(?)が飾られていました。これは、母から受け継いだことで有名なコレクションとは異なり、同時代的に使用していたもののようです(だからロココ風なのかな?)。
個々の品質はほどほどなのかもしれませんが、レイアウトと全体の雰囲気がやはり豪華さを生み出す使い方がされていたようで、華やかなものに仕立て変える西洋人の感覚が面白いし、これはこれで素敵だなぁと思いました。

スエーデン王室やドイツ諸侯など、数々の宮廷に伝わる品々も興味深かかったですが、さらに一部屋貴重な体験ができるのは、英国のバーリーハウスのコレクションです。伊万里のコレクションでも知られるところらしいですが、日本の漆器を収集している西欧宮廷コレクションのなかでは、フランス王室とデンマーク王室と並んで多くの数を有しているとのことでした。書斎の展示棚に近い再現展示になっており、また、黒いティーポットなどを見ていると、こういうものがウエッジウッドの漆黒のシリーズにどれほどの影響を与えたのかなぁと、興味深い思いをしました。
ウエッジウッドのシリーズが(どんな名称だったか思い出せませんが)いつ発売されたのかは忘れましたが、女性の手が白く見えて素敵であると人気になったらしいです。今復刻してますよね!?

第六章
私が見たとおりに章立てがあるのか分りませんが、今回の展示では「ジャパニング」と呼ばれる西洋人が考えた擬漆技法の品物が出ていて面白かったです。本来は美的にも正統性も異なるため、美術館に飾られるべきものではないのかもしれませんが、いちど見てみたかったので面白かった。ニスと絵の具を使用して、同じような風合いを目指していたのですね。これもポンパドゥール夫人旧蔵のライティングテーブルだったように思います。明治になって英国に渡った柔道家が漆職人としても活躍したように記憶していますが、フランスでしたっけ?でも、少なくとも、今回の展覧会には、フランスの職人の擬似漆製品で有名な一族の品物が出品されていました。

このあたりの、西欧諸国に伝わる漆の状況は、日本の鎖国とか貿易とか、歴史的状況に呼応して変化しているようで、なかなか広い視野から見れる展覧会なのであります。

第七章
最後のあたりは、かすかかすかにしか覚えていないかも…。約250点を見てきたのですもん。あとでリストを見て復習しておくことにしましょう。
万博といっても、柴田是真の作品が2点ほど面白かったです。あとは…

そういえば、絶対王政のところだったか、美しい蒔絵の、おトイレ・ボックスもありました。え!(そう、ここは驚くべきところです)


さてさて、そんなところです。私の認識や情報がまちがっていたらすみません。
詳しくは公式ホームページへどうぞ。そこから各美術館のHPに飛んだほうがより分りやすいかもしれませんね。
会期や会場で多少異なるかもしれませんが、出品リストがあるので、初公開作品がどれか分りますよ~。

 

2008.12.10 up

明るい小川

2008-12-02 23:27:13 | 日記 ひとりごと


急に気になりだしたバレエ公演
(終わったのもふくめ)


 

ナチョ・ドゥアト スペイン国立ダンスカンパニー
『ロミオとジュリエット』
「ドラマ、 身体、音楽の甘美な饗宴ナチョ・ドゥアト珠玉の名作、遂に来日」

…だそうです。11月24日に終わりました。

  

ボリショイ・バレエ団
『明るい小川』
作曲 ドミトリー・ショスタコービッチ
振付 アレクセイ・ラトマンスキー
ソ連時代のコルホーズ(集団農場)で繰り広げられる不倫愛のドタバタ顛末。
ロンドンで大人気となった演目だそうです。「明るい小川」はコルホーズの名前。
オペレッタの『こうもり』のような軽やかな、しかしながら、ソ連の共産主義下の物語だそうです。途中、男装のバレリーナあり、女装の男性ダンサーあり。
写真付きの解説が2008年日本公演の公式ホームページ(日本語) にありますので、
よろしければご覧ください。(まるで、まわし者?)
ロシア語というのは、どことなく革命の形をしているなぁと。なんていうか旗に書かれていると、たとえ穏やかな文句だったとしても(私にはどうせ読めないのですが)、スローガンに見えてしまいそう。舞台衣装も共産主義テイストで、しかしながら舞台用にアレンジされていて、なんだか味があるように思えます。
ショスタコービッチのバレエ音楽は他にもあるようで、かなりレアですがバレエの振付もなされている模様。やはり共産主義下の労働者が主役のようです。少しのぞいてみたいような気もしますね。
時代も国も違うところから見てると、なんだか可笑しいのですけど、たぶんあくまでも国内用のバレエだったはず!?
まぁ、むずかしいことは考えずに見るのがいいんでしょうね。ダンスは超一流どころですから 

これは東京文化会館で、もうすぐ公演があるようです。

 

クラウドゲイト・ダンス・シアター
『WHITE』
東洋人のバレエです。禅のような太極拳のような、仙境の天女たちが舞うようなダンス…だと勝手に想像をふくらましてます。
他の演目でビデオも出ていますが、今回はどんなのでしょう。
といっても、まだビデオも一度も見たことがないのです!(意味のない威張り)

これは3月にBunkamura オーチャードホールにて公演があります。
ウェブサイトはこちら
楽しみですね