kill two birds with one stone で 目指せ 健康生活!

一石二鳥の人生を!と思いつつ、どうも無駄が多い人間の日々の出来事。食生活・体質改善に励んでます。

いろいろと難しい

2011年02月13日 | 思うコト
家族って意外に微妙なバランスの上に
成立ってるんだなぁと実感。

ちょっとそのバランスが崩れるととたんに全壊。

そんなものなのかも。
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一年経つのは、やっぱりはやい

2011年01月11日 | つぶやき
誰がなんと言っても時間は過ぎるのだ!

去年は私にとってはヘビーな1年だった。
私生活では1月の父の死にはじまり、数ヶ月の間をあけて、
父方のおばがふたりも亡くなってしまった。

亡くなったふたりのおば達は、
昔から私の事をよく面倒見てくれていた。

若かりし頃、仕事もせずにフラフラしている私を
よく注意してくれたっけ。

もう小言もいってもらえないと思うとサビシイです。

会社でもいいコトなしの一年。
なんかちょっと孤立した感じになってやりにくかったわ〜。


でも誰がなんと言おうと時間は過ぎる。
ぶ厚い雲がなんとな〜く晴れて来た。

そして今年から天中殺だっけ???

・・・・。
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MAMEWでメイクレッスンを受けてみた

2011年01月11日 | コト
昔からメイクしてもすっぴんでも
あまり代わり映えしない顔のつくりなので、

誰かにメイクの仕方を習ったことがないまま
この年まで来てしまった。

化粧も薄く、朝、家でしたっきりで、
会社では口紅すら直すこともなく夕方を向かえ、

夕方にしか会わない人は、私は「化粧をしない女」と
思っている人も多い。


しかし最近、年齢的にも大人(?)になって来たせいか、
若かりし頃に無謀に焼いた顔には薄くシミが広がり、
毎晩の夜更かしで目の下のクマは消えることがない。
それが肌をくすませ、

加えて年齢のせいか顔の輪郭がぼやけ、
左側の頬が下がり気味、それに目の大きさも左右対象じゃ
なくなって来てど〜もシャープさに欠ける顔になって来た。

それに最近禁煙第2回目をスタートし2ヶ月過ぎたのと
お正月のダラダラ生活で4kgも太り、尚のことだら〜んとした顔に。

でも自分が毎日している化粧は昔から同じ方法。

それも果たして自分にあってるのかも分からないまま月日は過ぎ、
どうも昔と顔の様子が違う・・・と。

そ〜んな事を思っていたときにMAMEWをネットで見つけ、
意外に家の近くにお店があると知り早速予約を取って行って参りました。

そこで行っているメイクは「骨筋メイク」。

顔に50以上の点を打ち、その点を黒いペンシルを使って結び、
自分の顔の特徴を知ってから、その特徴に合ったメイクの
仕方を教えてくれます。

私は顔の中心に目が寄ってるそうだ。気がつかなかったなぁ。

あと、肌や唇の色をチェックしてカラー診断もしてくれます。
普段は黒やグレーの服が多いんだが、私には似合わない色でした〜。


しっかりベース作りをして、
アイシャドウなんかは結構シンプルに。

化粧品売り場の女の子にやってもらうメイクより、
かなり薄くシンプル。なのに肌が明るく見える。

ベースでメリハリつけて、頬にちゃんとファンデーション乗ってれば、
それだけでも少しは明るく見えるそうで・・・
そんなことすら知らないままここまで生きて来てしまった。

いろいろ習って来ました。

しかし、同じ事を明日の朝、再現出来る気がしな〜い。

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東京ガールズコレクションに行ってみる

2010年03月07日 | イベント&展示
仕事関係でTGCことTokyo Girls Collection へ行ってきました。

初体験。 今年で10年目だそう・・・

TGCは「日本のリアルクローズを世界へ」をテーマにしたファッシイベント。
ファッションショー、服飾販売、アーティストのライブなど盛りだくさん。

ショーでモデルさんが着ている服をその場で携帯から購入もできる。

いつもは代々木体育館で行われているそうだが
会場が工事中で今年は横浜スタジアム!

小雨の降る中、新横浜駅はかわい〜く着飾った女の子たちが・・・。
スタジアムに入ると、そこは女の子の熱気でいっぱい。

記念撮影をしたり、取材を受けたり、出店ブースで並んだり・・・・


アリーナに出ると、スタンディングエリアの十字架型の
長いランウェイのまわりを女の子たちが何重にもとりまいています。

TGCの10年の歴史を紹介したビデオの後、とうとうショーがスタート。

音楽に乗ってモデルさんがランウェイを歩いてきます。

・・・近い!!!

最近観たどのコンサートより、ステージが近い。

ちょっと感激。

最初のブランドはCecil Mcbee ....っておばさんには「何?」って
感じなんだけど、花柄のかわいらしいお洋服のブランドです。

1人目のモデルさんは香里奈さん。 アリーナは一挙に興奮状態に

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ〜〜  かわい〜〜〜〜
ちょーかわい〜〜〜 ヤバイ、ヤバイ
キタキタキタ〜〜〜〜。 ぎゃぁぁぁぁぁ〜 ちょ〜ホソい〜〜〜

・・・・最近の女の子はキレイなモデルさんに熱狂するのね。

しっかし、わかいいしスタイル抜群、
2万人の歓声にモデルさんも気分よさそうです。

山田優さんや日本で有名なモデルさんも多く出演していたし、
ベッキーやひなのちゃん、ほしのあきさんもモデルとして出演。

私は目元が涼しげな兼田カロリナさんという
モデルがとても気に入りました。

2時からはじまり、フィナーレは夜の9時半・・・。

最後には倖田來未さんのライブもあったんだけど
とってもじゃないが最後まで付き合えないと夕方には退散。

体力ありません。

しかし10年も続くイベントだけあってよくできているな〜
感心しちゃった。
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隣の家のおばあちゃん

2010年02月10日 | 思うコト
うちの隣に91歳のおばあちゃんが大きな家にひとりで住んでいます。

もと有名製菓会社の副社長夫人で、幼いときに回覧板を持っていくと
必ずお菓子をくれて、家のお手伝いが大嫌いな私も弟も、
回覧板を持っていくのだけは取り合いになりました。

息子さんと娘さんがひとりずついるのですが、
二人とももう家を出て立派な家庭を築いています。

おばあちゃんには心配だから一緒に住もうと言っているそうですが、
おばあちゃんは旦那さんと過ごした家が大好きだし、
他人と一緒に住むのはいろいろと問題が起こるからと
どうしてもYesといいませんでした。

多少足腰は弱り、耳も遠いけど、頭はしっかりしているし、とってもおしゃれ。
時々ヨロヨロと家にもやってきますが、いつもきちんとした身なりで、
お化粧も欠かしたことはありません。

そのおばあちゃんの家は先日亡くなったうちの父親の部屋と向かいあわせ。

父親はおばあちゃんの家に電気が付いているかをいつも気にしていて、
おばあちゃんはうちの父親の部屋の電気を見て安心するみたいな関係でした。

父親が亡くなり、病院から家に戻ってきた時、
おばあちゃんはわざわざ家まで来てくれました。

父親の前で「私より先にいっちゃうなんて・・・」と悲しがり、
母親がびっくりするぐらい大泣きをしていたそうです。

お通夜のため家から棺を運ぶときも寒い中外で見送ってくれて、
5日に行われた告別式にも付き添いを頼んで来てくれました。

今朝、そのおばあちゃんが家で亡くなっていたのが発見されて
うちにも警察が来た・・・と母親から連絡がありました・・・。

近所の人たちもおばあちゃんを見たのは父の告別式だった5日が最後。

なんだか本当に信じられません・・・。
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長い長い1週間が終わった

2010年02月07日 | 思うコト
父親が亡くなってからの長い1週間が終わり、
初七日法要まで無事済ませる事が出来ました。

ガタイがよく頑強だった父親の骨は相当立派でした。

「高級外車が買える!」と自慢(?)だったインプラントも出てきて、
火葬場の人の「これはインプラントです・・・」の説明に親族の子供たちが興味津々。

お正月の旅行で父親が、
「宇宙飛行士になりたい」と言う子供に

「知りたいって気持ちを"好奇心"って言うんだ。
好奇心を忘れちゃダメだよ。好奇心があればいろいろな事を知りたくなって、
その事をどんどん勉強したくなるからね。」と言っていたのを思い出し、

「ほら、おじさんは骨になっても"好奇心"のレッスンしてくれてるよ〜」と
笑いも起こりました。


野山が好きだった父なので、葬儀屋さんに骨壷に骨を入れる前に
少し分けてもらって撒きたいと言うと、
「う〜ん。分骨は手続きが必要だし、撒ける場所も決まってるし・・・」って。

・・・ルールがあり葬儀屋さんは「いいですよ、いいですよ」とは言えないのだろう。


人間は死んだら土に還るとはいえ、
すべてを暗い墓の中に入れちゃうのは忍びないなぁ・・・と思っていたら、

父親が半ばで手を離し最期まで気にしていた仕事の仲間から
4月の完成式の時に骨を少し砂丘に還したいとのお話があった。

また父親の友人で井上靖氏の小説『氷壁』の主人公のモデルになった方から、
上高地にみんなで決めた樹があるので、その根元にも少し撒きたいと。

本当にうれしい限りです。

たくさんの花にかこまれ、
大勢の友人に惜しまれながら旅だった父親は幸せです。


信心深い伯母は「骨なんかワケたらよくないのよ〜〜!!」と言っていましたが・・・

納骨式の前までに骨壷から少しずつ骨と灰を取りだしちゃいます
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湯灌の儀

2010年02月03日 | コト
2月2日に「湯灌の儀」を行い父親が布団からお棺に移りました。

北海道の伯母によると北海道では「湯灌の儀」は大切な儀式の一つで
親族がほとんど集まるという話だったが、 関東...少なくとも
我が家周辺ではあまり知られた儀式ではなかった。

でも最近は「おくりびと」の影響かこちらでもこの儀式を行う人が増えたようです。

身体を洗い清め洗髪して髭を剃り、白装束に着替え旅の支度を整えてから、
死化粧をしてお棺に納める儀式です。

病院に入ってから一回もお風呂に入れなかったので、
最後のお風呂に入れてあげようとこの儀式を行うことにしました。

午後1時に準備がはじまり大きなバスタブが部屋に運び込まれ、
しばらくして準備が整い儀式がはじまりました。

父の身体を洗い、父の頭を洗い、髭を剃り髪型を整え、
白装束に着替えて旅支度。

化粧の匂い嫌いだったからいやがってるねぇ・・・なんて話ながら、
最後にきれいに化粧をしてもらってお棺に。

こうやってちょっとずつ自分の中でも区切りをつけて、
最後のお別れの準備をして行くんだろうなぁ・・・
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雪の夜.... 何の光??

2010年02月02日 | 思うコト
2月1日は夜から久しぶりの雪。 都心でも雪が降り積もりました。

夜、帰宅したら庭にも雪が積もっていたので、
12時が過ぎた頃、暗闇の中、庭に出て雪の写真を撮ってみました。

見ごとに何も映っていません・・・真っ暗で。

でも・・・その中の1枚に、

こんな光の線が入ってる写真が・・・


その光の線の先には、
土曜日に亡くなって病院から戻って来た父親が寝ている部屋があるのです・・・

そしてこの写真を撮った2月2日は私の誕生日です。
私が生まれた日も雪でした。

こんな事はただの偶然なんだろうけど、
父親がまだそのあたりを漂っているんだな・・・って。

まだお通夜も終わってないんだもんね。
父親の新しい名前は「禅樹院地徳冨耀居士」になりました。


今日は湯灌の儀です。
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ブルームーン

2010年01月31日 | 思うコト
1月30日はブルームーン。 いい月です。

一か月に2回満月になる月がまれにあって、
その2回目の満月の事をブルームーンって呼ぶんだって。

幸運の前兆らしいです。 

そんな日に父親が亡くなりました。享年73歳。

もともとせっかちな性格だったけど、
末期肝臓がんの告知を受けて、諦めて覚悟を決めるのも、
死ぬのも速かったね。


最後の数週間を思い出すためのメモ。

堂ヶ島でお正月に父親と最後に見た夕陽。

夕陽は沈んだ直後の空がおもしろく変化する事がある。
でも沈むまで分からない。「今日は無理みたいだな」


堂ヶ島からの帰りに寄った静岡の最南端、石廊崎で父親が最後に観ていた風景。


カメラで撮影していた。
この辺りの風景が最後に撮った写真になる。



その石廊崎で見た早咲きのさくら。

「今年は桜は無理かな」って言ってたけど、ちゃんと1月に見れてたじゃん。


ソテツに実がなっている。めずらしいよ。



学生の頃、下田にある大学の施設の臨海実験センターにはしょっちゅう通った。
建物ほとんど変わっていないなぁ。


最後に「美味しい」と言って食べた食事。

石廊崎の帰りに寄ったレストランで。

隣接しているショップでさんまの一夜干しを購入。
結局食べられず。



1月16日土曜日入院。 末期肝臓がんとの告知。

最後に自分で書いた言葉
「Edit sheet カット表がかいてあるもの “鳥取砂丘はどこから”」


自治会の公園愛護委員長だった父親が最後まで気にしていた
公園の花壇「今期中にパンジーを買って植えて。」

私は都合が合わず、自治会の人と弟が120株植えました。
あんまりうまく植わってないね・・・センスないかも。


1月23日土曜日。
昔の仕事で撮影したマリモの写真の話をし「本当に好きな事をやった」と笑う。 
私が見た父親の最後の笑顔。


1月27日水曜日、後方支援病院に転院。
昏睡状態に。


そして30日土曜日
最後になった食事と薬。


朝から息が荒かった。
3時頃、しばらくの間、呼吸が止まりそうな状態に陥る。

弟がまだ来ていなかったので身体を揺さぶりながら
「もう少し待って!」と叫ぶとまた息を吹き返してくれた。


弟が到着後、家族でしばらく見守る。

最期の時、
「お父さんほんとうにありがとうね。」という言葉と、
一昨年、去年と続けざまに亡くなった我が家のネコ2匹に向こうで
「よろしくね」という言葉に頷いた。

4時13分死亡。

そしてやっと帰宅する。

お父さんお疲れ様でした。
数週間だったけどほんとうに大変だったね。


追っかける目標を見失った気分です。 

本当に残念。

今日はこれから父の横で寝ることにします。
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色が無い

2010年01月20日 | 思うコト
お正月に行った伊豆旅行で、
父親が撮った写真の現像が出来た。


母がその写真を父親に見せたら、「カラーなのか?」と。 

写真を撮るのも仕事。
書斎に一番多く残っているのは、写真のネガ。

几帳面に分類されています。


「もう色も分からなくなっちゃった・・・」と母が泣いていました。


昨日からモルヒネの投与が始まった。
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いつか来ること

2010年01月17日 | 思うコト
去年の秋頃からなんとなく体調を崩し調子が悪かった父親。
10月ごろから大好きなお酒も飲まなくなり寝てばかりだった。

倦怠感があり胸のあたりに違和感を感じると言って、
やっと近所の胃腸系内科で内視鏡検査を受けたのは年末の26日。
食道がんと診断された。

食道がんは比較的初期段階のようだと、
年明けに築地のがんセンターで精密検査を受ける事になった。

年末を挟んでいることもあり、検査日は1月18日。

父親は仕事も残ってるし、お正月は親戚と伊豆旅行の予定もあり、
そのくらい時間が空いた方が都合がいいと言っていた。

でもそれから数日で目に見えて弱って来た。
初期のがんとは思えないほどの衰弱振りだった。

お正月の旅行から帰って来てからその衰弱はますますひどくなる。

腰回りに鈍痛があり、どうしようもない倦怠感に襲われる
食事もまともに出来ない。

18日まで待たないで近所の他の病院でとりあえず診てもらおうと言っても、
既にがんセンターに予約が入ってるし、仕事があるからと行こうとしない。

でも今年に入ってから、これは黄疸?と思うほど顔や身体が黄色く
原因は食道がんではないのではないか?と家族も思い、

本人も食道がんは大したことはないと思うが、
どこか内臓がおかしい気がすると言っていた。

一日中ボーとし、部屋からもほとんど出てこなくなった。

それでも病院に行こうと言うと「仕事、仕事」と言う父親に業を煮やし、
母親が「みんなが黄疸じゃないか?って言っているよ。医者に行こう」と説得。

さすがに本人もダルさに耐えられなかったようで、
とうとう15日に食道がんを診断した医者に母親と行った。

そして先生に黄疸が出ていると、手術は出来ない。
普通の精密検査なら地元の病院でも出来るし、すぐに予約を取れる。
検査は地元で受けて、手術のときにがんセンターに移ればいいと説得され、
承諾。

地元の大学病院で16日に精密検査を受けることになった。

15日、医者から帰宅後、母親が父親に内緒で仕事関係の仲間に電話。

「体調が悪いと聞いていたから、たまたま近くまで来たので・・・」ということで、
様子を見に家に来てくれました。

父親は映像編集の仕事に携わっている。
今年の4月に終了予定のプロジェクトを去年の春ごろからしていた。

期限がまだ先だったので、映像の編集作業は4本中まだ1本しか仕上がっていなく、
2本目はやりかけ、後は手つかず状態。

仕事仲間の後は任せて治療に専念して欲しいという言葉に、
「ではやりかけの2本目は仕上げてしまうので後はよろしくお願いします。」と
ようやく途中で手放す決心をしたようだ。

チオビタドリンクを飲んでその夜遅くまで仕事をし、
未完成だった2本目を仕上げたとの事。

でもその後、バリっという衝撃が右腹に走り、
激痛で一睡もできなかったらしい。

15日朝、検査に行くのにも、痛みでなかなか動けず、
家からたった8分の距離が歩けず、やっとの思いでタクシーに乗って
やっとのことで駅にある病院へ。

朝から検査が始まり、
11時頃母から「肝臓か胆石かまず黄疸の原因を確認中」とメールが入る。

その後、12時44分に再びメールがあり、
「驚かないで!入院が決まりました。非常に悪く治療が出来ないそうです。
何かすぐに急変があってもおかしくないそうです。」と。

原因は肝臓がんでした。

「がっかりさせるような事を言うようですが・・・」で始まった先生の話を、
父も一緒に聞いたとのこと。

既に末期。

がんが肝臓中を埋め尽くしていて真黒。手術は不可能。
後はどうにか痛みを取る緩和治療しか出来ない状態との事。

黄疸は体中を黄色くし、腹水も溜まっていて、
いつ発作が起こってもおかしくない状態。

激しい痛みを取るようにケアして行きますが、
そのうち頭が朦朧として普通に話せなくなります。
誰か会っておきたい人がいたら、今のうちに呼んでおくように。

先生に「よくここまで我慢出来た」と驚かれたようです。

話を終え、「もういいですか?」という先生に、
父は「はい。分かりました」と短く答えたそうです。


その後病院に行った私に、
「もう覚悟は出来ている。思い残すことはやりかけの仕事と、
公園の花壇にパンジーを植えていないことだけだ」と言う。


父親は定年退職後、会社の上司が起こした会社で1年に1本ずつぐらい、
映像の仕事をしていた。 

今朝病院で、まだダビングが終わっていなかった2本目のテープの処理方法を聞き、
完成した2本のテープとエディットシートを昼からお見舞いに来るという
父の仕事仲間に渡す事になった。
父を見舞った後に、必要な資料を持っていきたいというので、
家に来ていただいた。

父の部屋で、今回のプロジェクトのために父親が書いていた取材ノート。
細かい几帳面な字でぎっしり書き込まれたそのノートを見て元上司が

「これはすごい。彼は昔から本当に緻密に仕事をするんですよ。科学者だからね。
だから、今回も自分の体のデータを見てすぐに納得が出来たんでしょう。
毎日過去を清算して生きているから、思い残すことがないと言えるんだと思うよ。」

父親は生物が専攻で、出版社の映像局で教育関連の映像を作る仕事に携わっていた。

大学教授になりたかったけど、農家の六男坊で、親に迷惑をかけるのが嫌で、
大学院に行きたいと言えなかったと聞いたことがある。

あまり家で仕事の話はしない・・・というか、
もともとあまりしゃべった記憶がないので詳細は分からないが、
何度か自分で企画制作した教育映像で文部大臣賞ももらったこともあったそうだ。

仕事が大好きで、家族は顧みない昔のサラリーマンオヤジ。

何日も家に帰って来ず、母親が会社に電話をして初めて
出張で山に籠ってる事を知るなんてのは日常茶飯事。

北海道に出張中に生死をさ迷うほどの大やけどをした時も、
「会社の保険で全部やってもらえるから、誰も来るな!」と一喝。

結局2か月間北海道の病院に入院して帰って来た。
もちろん家族は誰も一度も見舞いに行かなかった。

あまりに仕事中心の父だったので、そんなに一生懸命になれる
出版社というのはきっと途轍もなく魅力的な職場なのだろうと幼心に思った。

その思いはずーっと続いており、
編集ではないが30代半ばで私も出版社に転職。

自分では父が喜んでくれるんじゃ?と思っていたが、

「お前は出版社で何をするんだ? 仕事!仕事!と言って
結局結婚しなかった女性を何人も知っている。お前は結婚をする気がないのか?」と
拍子抜けな・・・でもはじめて親らしき事を言われた事があった。

まだ自分が結婚出来てない事が、
私が父に対してしてあげられなかった事の唯一最大の心残りです。


父は引退後は元上司が起こした映像編集プロダクションで
国立公園関係の映像の仕事をときどきしながら、

その他は登山や国立公園をめぐる旅行三昧。
年に数度の国内旅行と、1回に海外旅行がルーティーン。

国内の百名山もすべて登り、海外はエベレスト、キリマンジェロ、チベット、
アラスカに・・・去年は念願だったカムチャッカにも行った。

現在73歳と7カ月。

あきらめた事もあったんだろう。

でも大半は自分が好きで、やりたいと思った事をやって来た。

自分の子供に愛情を降り注ぐような普通の父親ではなかったけど、
自然を愛する心は繊細で、植物に対する溢れる好奇心を持ち知識も深い。

本心は分からないし、みんなに余計な気遣いをさせないようにかも知れないけど、
激しい痛みの中でも、弱音は一切吐かず、
「覚悟は出来ている。思い残すことはない」と言葉で言い切れる
強い精神力を作り上げた父親を私はとても好きだし尊敬しています。

父の書斎も既にきれいに片付いている。
無類の整理魔。 掃除が大好きでなんでも必要がなくなったらすべて捨ててしまう。

昨日病院に行った時、1月に入ってから部屋を片付けたと言っていた。
いつもに増してすっきりしている書斎。

何か個人的な思い出につながるようなものはキレイさっぱりすべて処分されている。
父はそういう人間だ。

信じたくないけど、こうやって誰かとの別れはいつか必ず来るのでしょう。

うちの庭には私と同じ年の桜の木がある。私が産まれたときに父が苗を植えた桜です。
今年も来年も再来年も父がこの桜の花を観れれはいいと思う。


自治会の公園愛護委員長をやっている父の今期最後の仕事。
指令を受け、来週の週末は公園にパンジーを植えに行きます
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2010年の目標

2010年01月11日 | コト
毎年、目標を立ててはみるがあまり実行出来ない。
なので今年はシンプルに


■その1:体脂肪率を-3%

もっと楽に走れるように下半身の筋肉を増やしたい


■その2:再度禁煙

せっかく2年止めてたのに、半年ほど前に復活。
だから禁煙再チャレンジ


■その3:勉強

何か1つテーマを決めて勉強する(つもり


■その4:決めない

他人の気持を自分で判断することをしないように努力する。


■その5:飲まれない

これが一番の難題。 酒に飲まれない努力。

以上
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第11回 谷川真理 ハーフマラソン

2010年01月11日 | ランニング
1月10日の日曜日。
雲ひとつない快晴の中、久々のハーフマラソンに参加です。
またまた練習してないのに無謀なチャレンジ。

大会は谷川真理さんと走るハーフマラソン。
荒川沿いのフラットなコースを走ります。

年末に来ていたゼッケンとチップを紛失した私は、
手数料1800円を支払い手書きのゼッケンで参加です。
社会人としてなっちゃねぇ〜状態です。

でも参加出来てよかった?? 参加できなかった方がよかったかも

谷川さんも出るからか、さすがの参加者数〜。

1万数千人が参加とか・・・。

人数が多いので、参加者は青、ピンク、黄色と3チームにゼッケンで色分け。
さらにコースは上流に向かって走るAコースと下流に向かって走るBコース。
参加者は6つに分類されてそれぞれが10分間隔でスタートします。

私はピンクゼッケンのBコース。
10時10分のスタートです。

スタート前は、後で飲むビールが楽しみだ〜なんて思ってたけど、
スタートして10分で後悔。

まったくなんでまた出ちゃったんだろう。

最初の5kmは28分ぐらい。最近の皇居1周のペースと同じぐらいで走る。
5kmを23分台で走れたあの日がうそのようだ・・・・


そして8kmを過ぎる頃にはすでに足腰に来る。

呼吸は正常だが、とにかく足腰がガクガク。
脳裏に骨盤がバラバラになるイメージが浮かんじゃうぐらい
足腰に来てしまった。

筋力ねぇ〜な〜・・・
とにかく何も考えるのを止めて、ただ脚を前に出すことのみに集中・・・

いつもハーフのレースでも何か食べるものを持って走るが、
今回は久々だったのでそんなことも忘れていて、丸腰で参加。

18kmを過ぎた頃に完全にエネルギー切れを起こしてしまった。
近くを走る女の子の持っていたジェルを思わず奪ってしまいたくなる・・・。

給水所でアミノバイタルを飲みなんとかゴール。
2時間7分でした 
でも2時間20分ぐらいかかるかと思っていたので意外。


着替えて帰る頃には、最後の黄色グループの人たちも続々ゴール。

中には青やピンクゼッケンの方々も。

しっかし毎度のことながら、練習しないとハーフはキツイ。


ゴールの後は赤羽駅で焼き肉。


続けて2時間コースでカラオケ シメは赤羽駅で蕎麦・・・。
そして家に帰って超爆睡と週末を満喫したのでした。


なんかレースが練習になっちゃってる。
こんなに辛いのによく出るよなぁ。
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1月08日(金)のつぶやき

2010年01月09日 | つぶやき
00:04 from Keitai Web
今月号の「VERY」キャッチコピーは「イケダンのとなりに私がいる」。電車の中吊り。それをジーッと見てた男性がおもむろにメールをしだした。奥さんにかしらね?イケダン=イケてるダンナだよね…多分?
00:20 from Keitai Web
私に「やっぱり家族が大切だから」なんて、家族しか大切にしているようにしか見えない人には言われたくないな…。ひねくれてますけど。 大切なものはいっぱいある。優劣をつけるのは難しい。今日は父の顔を見なかったなー。
00:44 from Keitai Web
小さいお札がないから十円と五十円をかき集めタクる。なんだか支払いが楽しみ〜。
00:53 from Keitai Web
やはり怪訝な顔をしていたー。 今日はハシゴ。
by tuyu223 on Twitter
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1月07日(木)のつぶやき

2010年01月08日 | つぶやき
19:54 from web
世界的指揮者の小澤征爾さん(74)が7日、東京都内で会見を開き、食道がん....。 初期のようでよかったです。
22:37 from TwitterCounter
twitter って足跡機能があるのね〜。 なんかそんな気はしていたが・・・。
23:52 from Keitai Web
今日は去年からのばしにのばした健康診断でバリューム。お腹の調子わるいっす。電車が来たわー。
by tuyu223 on Twitter
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