越佐の海峡blog

越後と佐渡の海峡日記

スノビズム

2007年06月04日 | Weblog


アレクサンドル・コジェーヴは1959年日本を訪れ、死後編集された「ヘーゲル読解入門」のなかで印象を語っている。


ポスト歴史の日本の文明は「アメリカ的生活様式」正反対の道を進んだ。おそらく、日本には語の「ヨーロッパ的」あるいは「歴史的」意味での〈宗教〉も〈道徳〉も〈政治〉もないであろう。しかし生のままのスノビズムがそこでは、「自然的」もしくは「動物的」所与を否定する規律を生み出していたのだ。

これは、その効力において、日本や他の国々において、歴史的行動から生まれたそれ、すなわち戦争と革命の闘争や強制労働から生まれた規律をはるかに凌駕していた。

執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」内容を全て失った価値に基づき、現に生きている。

このようなわけで、究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビズムにより、全く無償の自殺を行うことができる。この自殺は、社会的政治的な内容を持った歴史的価値に基づいて遂行される闘争のなかで冒される生命の危険とは何の関係もない。


いささか皮肉めいた調子だが、彼の眼には何が映っていたのだろうか。おそらく戦争を前にして、受動性や無抵抗のままであった去勢された人々の姿が強く印象にあったのではないか。この去勢において、人は「畜殺場で正気に返って観念する臆病者の羊」に変身してしまったのである。人は既に動物に戻っていたのだ。

50年が過ぎたいま、彼は日本をどう表現するのだろう。おそらくこう言うだろう。何も変っていない、と。



最新の画像もっと見る