デモクラティックスクール宙(そら)の子どもたちと話すと、人はその大人っぽさにびっくりするかもしれません。
彼らは、自分たちが子どもであるという理由で、勝手に大人に話しかけられたり、命令されたり、怒られたりするいわれのないことを承知しています。
これは、大人に反抗することとは違います。
彼らと話したわけではないですが、私の印象では、彼らは自分が子どもであり、その衣・食・住を親に負っていることを、おそらく既存の学校に通う子供の多くよりも、自覚しています。つまり、じぶんは子どもであり、普通の大人ほどの経験がまだないことを彼らは自覚しているように私は感じています。
ただ同時に、まだ子供なのだから自分は親に養ってもらっており、大人になれば子供の役目を終えるということも今の時点から自覚しているのではないかと、彼らと接していて私は感じています。
彼らは毎日好きなことをしています。ただ好きなことをしています。
ただ好きなことをすること。それを彼らは子供の特権であると自覚しているのではないでしょうか。
彼らの話を聞いていると、自分がお金を稼いでいないこと、自分がお金を持っていないことを気にしていることがわかります。早く大人になりたがっているようにもみえます。
これは、既存の学校に通う子供たちと似ているようで、全く違う点です。
既存の学校に通い、したくもないことを強制的にさせられている子どもは、子どもであることの特権を意識しないまま、ただ年齢だけ大人になっていきます。
子どもであることの特権を意識しないとはどういうことなのか。それはつまり、ただ命令に従うだけの癖を身に着け、自分から動こうとせず、また動かないことを「自分は子供だから」という言い訳ですまそうとするようになることです。
したくもないことを強制されている子どもたちは、大人への不満を言います。でも彼らの口からは、「だから親元を出て自由に生きる」とも「自分はこうする」という言葉も出てきません。「自分はこうしたい」という主張が出てこないのです。
それは、子どもであることの特権を享受していないために、逆説的ですが、やがて自分は大人になるのだということを自覚しにくくなっているのではないでしょうか。
それに対し、子供であることの特権を享受している子どもは、「今は自分は子どもであり、やがて大人になる」ということに自覚的になります。自分の選択でやりたいことをしている彼らは、社会に出てからはきっと自分の判断で自分のすることを選んでいくでしょう。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
都会のサドベリー・スクール
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