前にも書いたが、いま『論座』が面白い。
そこに掲載されている意見に私が与するかどうかは別問題として興味深い記事が多くある。
いや、別問題というより、自分の意見と異なった意見が載っているからこそ興味深く読める。
勿論、中には読むに値しないものもあるがそれも含めて楽しい。
先月号(四月号)は「グッとくる左翼」という特集が組まれていた。
曰く、今まで貧困層は右に傾いていたが、愛国心じゃハラが膨れないことに気づいて左傾化している、と。
その代表者に雨宮処凛が挙げられ、雨宮氏自身の記事の掲載されていた。
雨宮処凛といえば、かつて右翼系パンクバンドのボーカルとして活躍していた人で、実際に右翼団体にも所属していたこともあり、「ミニスカ右翼」などと呼ばれサブカル界では以前から有名だった。
今ではすっかり左傾化して去年の七月から「週刊金曜日」で書評委員をつとめている。
最近では主に若年層の貧困問題について様々な活動をしているようだ。
雨宮氏の記事の内容も貧困問題に関するもので私は大変共感しながら読んだ。
ところで、私は前々から疑問に思っていたことがあった。
雨宮処凛は果たして本当に右翼だったのだろうか、というものだ。
というのも、雨宮さんが右翼バンドをやっていた当時から私には到底右翼に見えなかったからだ。
どうも、ファッションでやっているようにしか見えなかった。
右翼団体に所属していたことすらもファッションにしか見えなかった。
私はこの答えに浅羽通明・著『右翼と左翼』を読んだ時、偶然出くわした。
少し長くなるが引用する。
『生き地獄天国』(太田出版)という書があります。女流作家雨宮処凛がその青春の彷徨を綴った自伝エッセイで、(略)
アtピーといじめに苦しめられ、両親には優等生であることを強要された少女時代から、ビジュアル・バンドのグルービー、リストカット、自殺未遂を経て、美大浪人、人形アーティスト死亡で上京、「ガロ」系マンガ、オウム信者、パフォーマー、バックパッカーがうじゃうじゃたむろする中央線のいわゆるサブカル文化へ浸り、バンドを組み、そして右翼闘士に。
そんな半生記のなかに「私にとっては、右翼も左翼も死体写真集もサブカルチャーだったからだ」という一文がありました。
(略)
他人との折り合いの悪さや肥大した自意識から、居場所を狭め承認欲求を抱えてアイデンティティを模索する若者はいつの時代もいます。
(略)
雨宮のごとき少年少女は日々生れ、自らが自らである証を実感したくて、サブカルチャーを追い、さらには新宗教カルトや過激で異形な政治活動にも魅惑されてゆくでしょう。
浅羽氏の分析に思わず膝を打った。
ファッション右翼というよりは居場所を求めた結果、右翼になったといった方が正しいようだ。
じつは『論座』の記事にもこう書いてあった。
私が右翼にいた理由はさまざまだがフリーターだったこととの関連はあまりにも大きい。第一に、フリーターはどこにも属していない。属したくても属せない。(略)
たった一人、社会から切り離されて浮遊していた私は、どこかに属したくて仕方なかった。
また、なぜ所属した先が右翼団体だったかという理由については、
不安定で貧乏だった私は、国内に自分以下の比較対象がなかった。だからこそ、第三世界の惨状と、貧乏な上にどうやら未来もない自分の境遇を照らし合わせては、日々「日本に生まれた私は幸せだ!」と自分に言い聞かせていた。自分について幸運だと思えることが、「日本に生れた日本人であること」しかなかったのだから仕方がない。
と書いてあった。
貧乏であるがゆえの不安と不満が右翼思想と結びついたのだろう。
貧乏は場合によって右翼とも左翼とも結びつく。
雨宮さんの場合は右翼思想と結びついた良い例だ。
じっさい、「とにかく自分が生きていきづらいこの社会について、考えたかったのだ。その意味では、右翼でも左翼でもよかった。」と書かれてあった。
やはり、どちらでも良かったのだ。
しかし、左翼の言葉は高学歴で難解だったから右翼の方がわかりやすかったとのことらしい(笑)
さて、話が長くなったのでまとめよう。
結局、雨宮さんが本当の意味で右翼だったのか、という問には自身の「私にとっては、右翼も左翼も死体写真集もサブカルチャーだったからだ」という一文にその答えを見いだす事ができる。
居場所を求める若者はサブカルに走りやすい。
そして、いまの若者にとっては右翼も左翼もサブカルの一種なのだろう。
そう考えると、右翼漫談師・鳥肌実がサブカル好きな若者の間で絶大な人気を誇っている事もうなずける。
もっとも、鳥肌さんはノンポリだし、人気の理由はあのイカレっぷりにもあるのかもしれないが。
右翼思想、左翼思想がサブカルとしてでしか認知されていないとするならばそれはもはや右翼・左翼思想の敗北だろう。
これは所謂、ネットウヨクやネットサヨクの問題とは別の問題を孕んでいる気がする。
この点はまた別の機会に書きたいと思う。
最後に。
左翼だろうが右翼だろうが、いま雨宮さんは貧困問題を真剣に考え本気で取り組んでいる。
私は心から応援したいと思う。
あび卯月は雨宮処凛を応援しています。
そこに掲載されている意見に私が与するかどうかは別問題として興味深い記事が多くある。
いや、別問題というより、自分の意見と異なった意見が載っているからこそ興味深く読める。
勿論、中には読むに値しないものもあるがそれも含めて楽しい。
先月号(四月号)は「グッとくる左翼」という特集が組まれていた。
曰く、今まで貧困層は右に傾いていたが、愛国心じゃハラが膨れないことに気づいて左傾化している、と。
その代表者に雨宮処凛が挙げられ、雨宮氏自身の記事の掲載されていた。
雨宮処凛といえば、かつて右翼系パンクバンドのボーカルとして活躍していた人で、実際に右翼団体にも所属していたこともあり、「ミニスカ右翼」などと呼ばれサブカル界では以前から有名だった。
今ではすっかり左傾化して去年の七月から「週刊金曜日」で書評委員をつとめている。
最近では主に若年層の貧困問題について様々な活動をしているようだ。
雨宮氏の記事の内容も貧困問題に関するもので私は大変共感しながら読んだ。
ところで、私は前々から疑問に思っていたことがあった。
雨宮処凛は果たして本当に右翼だったのだろうか、というものだ。
というのも、雨宮さんが右翼バンドをやっていた当時から私には到底右翼に見えなかったからだ。
どうも、ファッションでやっているようにしか見えなかった。
右翼団体に所属していたことすらもファッションにしか見えなかった。
私はこの答えに浅羽通明・著『右翼と左翼』を読んだ時、偶然出くわした。
少し長くなるが引用する。
『生き地獄天国』(太田出版)という書があります。女流作家雨宮処凛がその青春の彷徨を綴った自伝エッセイで、(略)
アtピーといじめに苦しめられ、両親には優等生であることを強要された少女時代から、ビジュアル・バンドのグルービー、リストカット、自殺未遂を経て、美大浪人、人形アーティスト死亡で上京、「ガロ」系マンガ、オウム信者、パフォーマー、バックパッカーがうじゃうじゃたむろする中央線のいわゆるサブカル文化へ浸り、バンドを組み、そして右翼闘士に。
そんな半生記のなかに「私にとっては、右翼も左翼も死体写真集もサブカルチャーだったからだ」という一文がありました。
(略)
他人との折り合いの悪さや肥大した自意識から、居場所を狭め承認欲求を抱えてアイデンティティを模索する若者はいつの時代もいます。
(略)
雨宮のごとき少年少女は日々生れ、自らが自らである証を実感したくて、サブカルチャーを追い、さらには新宗教カルトや過激で異形な政治活動にも魅惑されてゆくでしょう。
浅羽氏の分析に思わず膝を打った。
ファッション右翼というよりは居場所を求めた結果、右翼になったといった方が正しいようだ。
じつは『論座』の記事にもこう書いてあった。
私が右翼にいた理由はさまざまだがフリーターだったこととの関連はあまりにも大きい。第一に、フリーターはどこにも属していない。属したくても属せない。(略)
たった一人、社会から切り離されて浮遊していた私は、どこかに属したくて仕方なかった。
また、なぜ所属した先が右翼団体だったかという理由については、
不安定で貧乏だった私は、国内に自分以下の比較対象がなかった。だからこそ、第三世界の惨状と、貧乏な上にどうやら未来もない自分の境遇を照らし合わせては、日々「日本に生まれた私は幸せだ!」と自分に言い聞かせていた。自分について幸運だと思えることが、「日本に生れた日本人であること」しかなかったのだから仕方がない。
と書いてあった。
貧乏であるがゆえの不安と不満が右翼思想と結びついたのだろう。
貧乏は場合によって右翼とも左翼とも結びつく。
雨宮さんの場合は右翼思想と結びついた良い例だ。
じっさい、「とにかく自分が生きていきづらいこの社会について、考えたかったのだ。その意味では、右翼でも左翼でもよかった。」と書かれてあった。
やはり、どちらでも良かったのだ。
しかし、左翼の言葉は高学歴で難解だったから右翼の方がわかりやすかったとのことらしい(笑)
さて、話が長くなったのでまとめよう。
結局、雨宮さんが本当の意味で右翼だったのか、という問には自身の「私にとっては、右翼も左翼も死体写真集もサブカルチャーだったからだ」という一文にその答えを見いだす事ができる。
居場所を求める若者はサブカルに走りやすい。
そして、いまの若者にとっては右翼も左翼もサブカルの一種なのだろう。
そう考えると、右翼漫談師・鳥肌実がサブカル好きな若者の間で絶大な人気を誇っている事もうなずける。
もっとも、鳥肌さんはノンポリだし、人気の理由はあのイカレっぷりにもあるのかもしれないが。
右翼思想、左翼思想がサブカルとしてでしか認知されていないとするならばそれはもはや右翼・左翼思想の敗北だろう。
これは所謂、ネットウヨクやネットサヨクの問題とは別の問題を孕んでいる気がする。
この点はまた別の機会に書きたいと思う。
最後に。
左翼だろうが右翼だろうが、いま雨宮さんは貧困問題を真剣に考え本気で取り組んでいる。
私は心から応援したいと思う。
あび卯月は雨宮処凛を応援しています。
自分は「一般的」には「右翼」でしょうが、「ウヨク」のように気取ったりとか街宣車で君が代ガンガン鳴らす「右翼」のようなみっともないことはしませんね。
愛国心をガス抜きに使いたくは無いですから。
(ウヨク、サヨクは問題外ですが)
早い話がどちらともビジョンがない。
ま、その話は別の機会に譲るとして、チキソさんは右翼なのでしょうか。
アメリカあたりではむしろ中道左派くらいだと思いますよ。
まぁ、一般的には私もひっくるめて右翼(もしくはウヨク)にされるのでしょうが(笑)
http://seiji.yahoo.co.jp/feature/toitsuchiho07/position/index.html
の政治ポジションテストを受けたら、
http://seiji.yahoo.co.jp/feature/toitsuchiho07/position/kekka.html?px=4&py=7
な結果になりました。
どうやら保守的で右派でも左派でもないようです(笑)
私の結果は以下の通りです。
http://seiji.yahoo.co.jp/feature/toitsuchiho07/position/kekka.html?px=2&py=7
私は国家社会主義者ということかな?(笑)
ただ無駄な公共事業は行うべきだと思いません。
「轉向」してそんな活動を續けてゐたとは知らなかつた。
さういへば「鳥肌実」も僕には既に懐かしく響くんですがまだ活動してゐるんですか。サブカルは消耗が激しいですね。
あびさんの仰るやうに左右の對立なんてとつくの昔にサブカルチャーに飲み込まれたんでせうね。
もはや右翼左翼の對立なんてプロレス團體の對立と同じやうなもので眞劍な顔をしてゐるのは当事者と周圍のオタクだけです。
サブカルは本来ある文化を相對化すべき役割を持つものですが、日本には相對化されるべき絶對的な文化と云へるものは存在しないから、いまやあらゆるものがサブカルです。
だから自分探しする若者は思想でなく趣味嗜好でどこにでも居場所を見つけるでせう。
簡單にいふと日本は「好き嫌ひ」しかない國なんだと思ひます。これは退窟ですよ(笑)。
いや世界的にもさうなつてゐる氣配がします。
でも人間はさうした相對的世界には耐へられないから、そろそろシオランのいふ「地球敵規模の独裁者」を皆で待望することになつて…と夢想が膨らみます。
いや最近何を見ても退窟なもので(笑)。
さうですか!
私も一度右翼時代の雨宮処凛を見てみたかった(笑)
しかし、パンクは遠藤ミチロウのやうに左翼の方が良質(?)のバンドが多いですね。
もつとも、最近のパンクはほとんどすべて青春パンクになつてしまひましたが。
>さういへば「鳥肌実」も僕には既に懐かしく響くんですがまだ活動してゐるんですか。
多分、まだ活動してゐると思ひます。
実は私の妹が一度、鳥肌実のライブに行つた事があります(笑)
>もはや右翼左翼の對立なんてプロレス團體の對立と同じやうなもので眞劍な顔をしてゐるのは当事者と周圍のオタクだけです。
仰る通りです。
一般国民は全く蚊帳の外ですものね。
高校の時、ある教師が「右翼と左翼の違いがわかる者?」と問ふた時、私を含めクラスに二人くらゐしたいませんでした。
いまや、大学でも似たやうなものでせう。
>サブカルは本来ある文化を相對化すべき役割を持つものですが、日本には相對化されるべき絶對的な文化と云へるものは存在しないから、いまやあらゆるものがサブカルです。
なるほど、いつもながら鋭い御指摘です。
私は以前、サブカルとは何か?と問はれて、その定義を「あらゆる文化の中で公に認められてゐないもの」「教科書に載せられるかどうかを考へるとわかりやすい」などと答へたことがあります。
が、これはちよつと、曖昧な定義で本質論から逃げてゐます(笑)
例えば漫画はかつてサブカルでしたが、今やメインカルチャーになつてしまつた。
そして、漫画の中にもサブカル漫画とさうでないものが出来た。
・・・考へてみるとサブカルとは何なのかわからなくなつてきました(笑)
>でも人間はさうした相對的世界には耐へられないから、そろそろシオランのいふ「地球敵規模の独裁者」を皆で待望することになつて…と夢想が膨らみます。
梅澤さんに限らず、人はどこかで独裁者の登場を熱望してゐるのかもしれませんね。
北歐洲は理想の国家を誕生させたとおもう。
アイスランド、ノルウェイ、デンマーク
◎女子偏重であり、男性を軽視するきらいがある。これは創価公明でも同じことが言えるが、こいつらのせいでフェミニストが付け上がったり、女子の利己・保身主義化を蔓延させているようなものでしかない。
◎故・昭和天皇をやたらと悪者扱いにしたりする
◎情緒も無く、何事についても杓子定規で判断し、実情を無視したりする(これが原因で、警察を含んだ官僚連中を付け上がらせたりするようなもの)。
◎破防法について非協力的であり、こいつらの所為でオウム教団を完全に潰すに至らなかった。
◎報道規制について非協力的であり、故にメディア・フレンジーとか風評被害もエスカレートしたりする。
武断的な右翼系と違って、左派系は謀略的なところがあるので、右派以上に性質が悪く、報復感情の火を消せずに居ます。