年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

神栖市息栖

2017年08月23日 | 福神漬

明治の自由民権運動福島事件で唯一の福島県人以外の被告人花香恭次郎の経歴を再度確認している。

 明治6年に花香恭次郎を支援していた鉄道関係に仕事を得ていた旧幕臣長井昌言が新橋横浜の鉄道開業を見届けて死去した。この時期花香も横浜で仕事をしていた。多分庇護者の長井が不在となったあと茨城県神栖市息栖で農業に従事したと言う。しかし都会の生活になじみ、文明開化の先端とも言える横浜の空気を吸ったものはまだ江戸の名残を残している茨城に満足しなかったようで、東京で新聞記者となった。この仕事を得たのは旧大垣戸田藩の親族の支援があったと思われる。特に横浜高島嘉右衛門の親族でもある戸田欽堂の支援があったとことが想像できる。

 明治東京の繁華街であった神田須田町で絵草子屋だった原胤昭が福島事件の浮世絵を無料配布したため、投獄された。絵は小林清親で文案は原胤昭だった。原と戸田欽堂は築地居留地にあったキリスト教会仲間だった。

 多くの小林清親本には団団珍聞のことを書いているのに長井昌言が早く死去しているので文献が無く、福島事件浮世絵は単なる憤りとしか描いていない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長沢鼎(かなえ)のこと | トップ | 小林清親本から »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。