これから・・・ 2

毎日がこれから なんです。庭に咲く花を中心に、
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大人の遠足 とかさや散歩

2017-06-18 12:22:35 | 馬場先生の野外講座



三富新田を歩くー開拓地割と多福寺周辺

とかさや散歩の埼玉編です。
三富新田は元禄時代に武蔵野台地に拓かれた広大な新田集落で
開拓地割の景観を今に伝えていました。(6月17日)

元禄7年(1694)長年争いを繰り返してきた北武蔵野の土地は
幕府評定所の判断で川越藩の領土であることが認められました
これにより当時の川越藩主柳沢吉保は新田開発を推進し
吉保の命を受けた筆頭家老、曽根権太夫らの家臣によって
開発が行われた。
開発が始まってから二年後の元禄9年(1696)5月に検地が行われ
上富、中富、下富の3ケ村に区切り新しい村々が出来上ったのが
三富新田です。
短冊状の細長い農地が地割の決め方でした。
厳しい自然条件を克服するための知恵が詰まっています。

馬場先生のプリントより抜粋しました。

私達は所沢駅より上福岡行きのバスに乗り上富で下車。
けやき並木を少し歩くと石灯篭と三富開拓地割遺跡碑があった。



けやき並木道
開拓当時の道幅そのままの六間道で両側には開拓当時からの
住民の子孫たちの住居が並び、農園、茶園なだを営んでいる。



旧島田家住宅
三富地区最古の民家住宅です。



三富開拓地割遺跡之碑が庭にあった。入口脇には井戸も復元されていた。




古民具や生活道具などが多数展示されていて
庭先にはさつまの苗床もあった。



短冊形に開拓された景観が道沿いからも見える。







かっては農民の生活に必要不可欠だった雑木林の道。



短冊状の景観が色濃く保つエリアを歩く…





午後は臨済宗多福寺を訪ねる。
柳沢吉保が三富新田開拓入植農民の菩提寺として
元禄9年(1696)建立した
広大な雑木林を境内にもつ多福寺惣門。



山門



山門より本堂。



三富開拓の由来を刻んだ鐘楼。



元禄時代に掘られた井戸
深さ70尺位(21~27メートル位)と云う深掘井戸。



武蔵野地蔵像
多福寺境内にある。木宮地蔵ともいい、三富開拓以前から
「富の地蔵様」として親しまれ広く地域の人々の信仰を集めてきた。



境内には新田特産のサツマイモの栽培を普及させた青木昆陽を称える
「甘藷先生頌徳碑」が建つ。

開拓農民の知恵と努力によって成し遂げられた
開発当時の屋敷地、耕地、雑木林の地割りが
今も残され歴史的な景観となっていた。 
道の傍らの鎮守様も往時の名残を見せていました。

来月は教室での講義になります。
恒例になっているお食事会も楽しみです。
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