海外公演向けは分かりやすいのか

チェルフィッチュ「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」/KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ/12月18日(木)夜観劇
コンビニエンス・ストアを舞台に、そこで働く男女と、指導に来る本部スタッフと、買い物客が登場。コンビニという業態、品ぞろえ、ここで働く人々の意識と社会的な評価、スタッフと客との関係などが、作者の岡田利規独特の、バイアスの掛かった目で表現される。
一番に感じたことは、ずいぶん分かりやすい。なぜか。その一番の理由は、手や体をクネクネさせたりして、意味不明な動きをするのだが、それがキャラクターを補強する動きだと感じられたからだ。いつもは、なぜ、こんな動きをするんだろう、何を意味しているのだろう、とずっと考えさせられる。ところが今回は「ああ、この動き、この人物が、心の中に、何か不安定なものを抱えていることの表現として、受け取っておけばいいのでは」と最初から思えて、そのまま見ていたら、せりふもいつもよりすんなり入ってきた。
これまでだと、まず、リアルに演技する俳優が出てきて、見た目や話し方などで、個性の強さというアクの強さを感じさせる。そこで十分インパクトがあって、いろいろ想像力を刺激される。そのうちに、さらに、リアルではない手や腰などの動きを始める。だから、役のキャラと意味不明な動きを別々に解釈しようとしてしまい、付いていきにくくなる。今回の出演者は、手などの奇妙な動きを、キャラづくりの一部としてはっきり意識しているようにも見えた。
この作品は、世界9カ国15都市で公演してきたもの。海外の観客に見せる、ということを意識した時、こういう分かりやすさへと向かったのだろうか。音楽をずっと流し続けるので、初めは気になったが、「海外向け」となれば、何となく許せた。ことしの秋、チェルフィッチュがヨーロッパで受けている、と聞いた時、向こうの人にどこが受けているのだろう、などと頭に浮かんだ不安が、この舞台を見たことでかなり薄らいだ。
(写真は、会場の神奈川芸術劇場のロビーを外から撮影。この日、神奈川県が誇る水源、宮ケ瀬湖から来たモミの木のツリーが飾られていた)
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予想外と言うか期待以上と言うか

劇団鳥獣戯画〈モダン歌舞伎『好色五人女』〉/本多劇場/2013年4月20日(土)夜観劇
宣伝チラシに「伝説の名作が15年ぶりにニューバージョンで登場」とあるが、私が初めて見たのは15年前より、さらに何年か前だ。看板女優の石丸有里子が、「好色五人女」に出てくる5人の女、全て1人で演じたこと、石丸の魅力全開だったことは、何となく覚えている。当時は「モダン歌舞伎」ではなく「歌舞伎ミュージカル」と銘打っていて、歌舞伎の面白いところを抜き出して、現代の音楽とダンスと組み合わせ、何でもありの小劇場演劇らしさでまとめた作品、という印象だった。
その後、再演を重ねたりしていたが、最近やらないので、さすがに石丸にはもう無理なのかな、と思っていた。最近は、実年齢に近いおばさん役に加えて、おばあさんや、地味な衣裳の男役をやったりして、かつての「歌舞伎ミュージカルの花形」の影も形もないような舞台ばかりだ。例外はロングランの『三人でシェイクスピア』という翻訳喜劇で、出ずっぱりで奮闘するのだが、これでも、おばさん丸出しという印象だ。
今回の『好色五人女』は「ニューバージョン」とあるから、石丸は、5人全部演じないかもしれないな、それもしかたないのかな、と思っていた。ところがどっこい。全て石丸が演じた。
この舞台は、八百屋お七の恋物語を、一人語り風に演じながら、その間に、他の4人の話をはめ込んでいる。だから、お七、お夏、お七、おさん、お七…というふうに、早替わりだけでもすごい数だ。5役の演じ分けも楽しい。はじける10代のお七から、男の心理をお見通しのおせんまで。それで、もちろん歌も踊りも。お七の濡れ場かと思っていたら、モダンダンス的なタイツと短パン(ブルマ)姿で踊り出すシーンもあった。さすがに、タイツ姿だと中年のおばさん体型があらわになるのだが、演技ですら恥ずかしさを出さない。最初から最後まで、1人で5人演ずるのが当たり前、という感じでどんどん引っ張っていった。
脇を取り巻く演技陣も頑張っていた。「さすが、いつもながら鳥獣戯画は、チームワークもいいし、一人一人工夫して奮闘するから、安心して楽しめるな」と思えた。しかし、石丸が5人をやらなかったら、ここまで楽しめるかな、という疑問も残った。
テンポよくどんどん進んだとはいえ、さすがにたっぷりあった。やれやれ、そろそろ大詰め。石丸も疲れただろう、と思ったところで、石丸のお七の人形振り。人形振りとは、操り人形のように見える踊りをするもので、筋肉をかなり使う。体力的に大変ではあるが、日本舞踊で、お七の人形振りの踊りは有名なので、こちらの舞台でも、やはり、この趣向があったほうがいい、というものだ。「石丸有里子1人5役で奮闘」という評価の上にハナマルを加えるような場面だ。しかも、鳥獣戯画ならではの人形振りの面白さがあって、単なる「おまけ」ではなかった。
終演後、知り合いの女優が見に来てたので「どうして見にきたの?」と尋ねたら、「見ておいたほうがいいよ、と勧められたから」という。そして「あの主役の女の子、頑張っているね。いくつかしら?」と聞くから「50歳は過ぎていますよ」と答えたら、目を丸くしていた。
(写真は終演後、劇場の前に立てかけられた『好色五人女』のポスター。後ろの京王井の頭線の高架の周りは工事中)
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ライブ空間ならではのバレエ

音楽劇団紫人会・第五回公演 第1部ソング&ダンス『ふるさと』、第2部オリジナル音楽劇『空蝉~土は十年、空は十日~』/サンフォニックスホール/12月4日(日)昼観劇
サンフォニックスホールは、横浜アリーナの建物の一角にある、着席200の小ホール(写真はホールの観客出入り口の前。新横浜駅前の大通りに面している)。舞台の天井の高さはあまりなく、演劇よりも、明らかにコンサート向きだ。
オリジナル音楽劇は、樹医を目指す女性が、庭の木の下にあるアリの巣に入り込み、アリたちや、もうすぐ成虫になるセミの幼虫、木の精の老女と交流する。擬人化した生き物と人間が絡む話を通して、自然とか環境について考えさせる、という、いわば市民ミュージカルの定番のような内容だ。出演者も人数は少ないものの、子どもから中高年まで幅広い年齢層で、全体的に「ミニ市民ミュージカル」のような感じだ。
それより印象に残ったのは前半、ソング&ダンスの何曲か。「竹田の子守唄」から始まって「ふるさと」で終わるのだが、「グリーンスリーブス」といった海外の歌や最近の歌もあり、それにバレエやタップなどのダンスがつく。
紫人会の主宰、紫歩は歌とダンスの教室をしていて、その生徒や同じところで教室を開いているバレエ教室の生徒らも出ている。主なバレエ・ダンサーのプロフィールを見ると、皆、そこそこキャリアがある。しかしアップテンポの曲に合わせて切れのよい踊りを見せる、という場面はなく(ステージがライブハウス程度だから、第一に物理的に無理)、スローテンポで、手をゆっくりしなやかに伸ばしたり、かかとでそっと立ったりして、少しの間、ポーズを取り、またゆっくりと動く、といった踊りが主だった。
沖縄民謡テイストの「イラヨイ月夜浜」と、讃美歌「アメージング グレイス」に合わせたバレエは、そうしたゆったりの踊り(「舞い」と言うべきか)が曲とよく合っていた。
バレエというと、天井の高く広々とした大空間で踊られるもの、というイメージがあり、こういう小空間でバレエが魅力的に見えるのは、ダンサーが間近に見られるせいなのか、とも思った。しかしテンポよくリズミカルに動き回るだけがバレエではないだろう。ゆっくりした振りにも、バレエの魅力はある。密度の濃いライブ空間で、クラシックよりも親しみやすい曲とともに、そうした踊りをまじまじと見たことで、バレエのもう一つの味に触れられたのだ、と気が付いた。
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「できてよかった」と思えたのは

神奈川芸術劇場オープニングラインナップ
こけら落とし公演 NIPPON文学シリーズ『金閣寺』/2月3日夜観劇
プロードウェイ・ミュージカル『太平洋序曲』/6月20日夜観劇
プロードウェイ・ミュージカル『スウィーニートッド』/7月9日夜観劇
いずれも神奈川芸術劇場ホール(写真は同ホール正面玄関。オープニングラインナップのNIPPON文学シリーズを紹介しているが、この企画の半分は大震災で中止になった)
KAAT(カート)こと神奈川芸術劇場で、芸術監督宮本亜門の作品が1月から7月にかけ、3作掛けられた。
第1弾の『金閣寺』は三島由紀夫の名作『金閣寺』を脚色したもの、ということなのだろうが、カナダ生まれの作家セルジュ・ラモットが翻案したものを常田景子(英米語脚本の翻訳家として有名だが、もとは女優)が訳したものを、映画の脚本を手掛けている伊東ちひろが下敷きにして、今回の脚本に仕立てた、らしい。
この舞台で見せたのは、三島の世界と言えるだろうが、三島の言葉があふれだすような世界ではなく、耳触りのいいせりふを拾って、分かりやすいように整えて、3時間のドラマに仕立てた、と思われる。見終わった印象は「口当たりがよい芝居」、つまり、味わいやすいというところだ。この劇場の芸術監督で、この舞台の演出家である宮本亜門が、この劇場のこけら落としとして、それなりに力を注いで(キャスティングやスタッフ選びも含めた仕事全体に)つくった舞台、とは感じた。

『太平洋序曲』は宮本が「東洋人演出家として初めてブロードウェイでロングラン公演を打った」というもので、宮本の代表作の一つと言える。鎖国していた日本に黒船が来航して、時の権力者を揺るがし、社会にどんな影響をもたらしたか、という内容だから、「開国交渉の地」横浜で、自ら芸術監督を務める劇場のオープニング記念にはもってこい、と言えなくもない。
ただし、この作品には横浜は出てこない。開国交渉は浦賀だった、ということで話が進んでいる。横浜は2年前「開港150年」を迎え、横浜での交渉により日米和親条約が締結されたので、「開国の地」でもある、ということを全国にアピールしよう、とイベントも「開国博」と名付けたほどだ。そのまちで、「開国したのは浦賀」というミュージカルをやった。
この劇場は神奈川県立だから、「開国交渉は神奈川の地」という事実が書き込まれている、ということを強調することで、逆に上演の意義は大きい、という考え方なのだろうか。こういう時には「神奈川」を前面に出しているのに、「横浜の劇場」という言葉も使う。「横浜」の方が分かりやすく、受けもいいからだろうが、横浜の市民が誇りにしている「開国の地」という部分を蔑ろにする作品を、「横浜の劇場」で上演したことに疑問が残る。
この作品は、老中阿部正弘が将軍になる、という、小学校の歴史教育(と言うか、日本人の常識)を真っ向から無視する内容も含まれているので、「歴史的にあそこが違う、ここは変」などと指摘するのはナンセンス、とも言える。それでも、開港150年を迎えるために「横浜の歴史研究」といったものがブームになり、その余韻がまだ消え切っていない時期なので、すっきりしないものはどうしても残る。
そこへ行くと歴史の専門家は割り切りがいい。当日プログラムに、横浜開港資料館の副館長の西川武臣氏と宮本との対談が載っている。もちろん、対談内容全てを収録しているわけではないが、横浜の歴史を、開港期だけでなく、その前後についても知り尽くし、それを語る膨大な史料も確認している人が、プログラムに登場して、作品の解説に協力している。
そういう姿勢の理由が、「この舞台作品は歴史家から見ても意義がある」と認めたから、であるはずはない。これまで歴史を描いた、とされる小説、映画、テレビ、教科書などを見て、それらの中の歴史的事実との違うところをうんざりするほど見てきたので、「歴史の事柄は全て、つくり手の都合のいいように変えられて、当たり前」と開き直っているからではないか。そうだとすると、私のように、「いくら虚構とは言え、ここやあそこが史実と違うのはいかがなものか」などと言うのは、歴史に関しては「ずぶの素人」ということになる。
演劇の専門家としても、結局は、スティーヴン・ソンドハイムの音楽の魅力、田山涼成ら個性的で味があり、しかも実力のある俳優の多用といった部分だけを見て、評価するしかないのかもしれない。

『スウィーニー・トッド』もソンドハイムの作曲で、聴き心地のよいものから、かなり複雑に変化する調べまで、さまざまなメロディーが混ざり合う。物語は、復讐に燃える男スウィーニー・トッド(市村正親)と、その男と結託する女ミセス・ラヴェット(大竹しのぶ)が登場する。トッドは、復讐相手ではない人まで次々と殺し、ミセス・ラヴェットはその死体をあっけらかんと処理して、その肉をパイに詰めて売ってしまう。殺人に対する乾いた感覚が、歌舞伎の鶴屋南北の世界を思わせる。
この作品はホリプロの企画制作で、青山劇場を皮切りに全国を回したもので、KAATでは土日に3ステージやっただけだ。ストーリー的には記念公演向きではない。だが、世界的に有名なミュージカルで、その魅力の一つであるソンドハイムの音楽を、オーケストラピットでの生演奏で聴かせながら、日本のミュージカル俳優の頂点のような市村と、「天才」とか「大物」といった言葉からもはみ出そうな大女優の大竹が出演する、といった「本格的ミュージカル」がこの劇場に掛かった、という実績は「記念公演」として数えないともったいない。
音楽と演技陣が引き立つ仕上がりには、宮本が、再演ということもあって気負わずにつくったのだろう、ということが察せられた。KAATが、本格派の脚本、音楽、演出、俳優による作品を、特別なこともしなくても、その魅力を不満を感じさせずに見せることのできる劇場だ、ということもはっきりした。
この3本目を見て初めて、「横浜(神奈川県の中心という意味も含めて)にこの劇場ができてよかった」と素直に思えた。ただし、こういう作品を、今回のような2日間ではなく、2週間とか1カ月といった長い期間、上演できる(それでペイする)ようにならないと「この劇場に与えられた役割を果たすようになった」とは言えないだろう。まだ先は長いようだ。
帰りに、20代後半か30代ぐらいの夫妻が、劇場から自転車で帰っていく姿を見た。自転車で来たのだから、間違いなく地元民だ。こういう客層が増えてほしいものだ。
(下の写真は同ホールの客席。昨年8月の開館式の際撮影)
    
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「分かりやすさ」がよい方向へ

山下幼稚宴 クリスマス・ミュージカルコメディ『ミラクルエンジェル』、ミュージカルコメディ『君に天使を』/相鉄本多劇場/12月18日(土)夕・夜観劇
東京で旗揚げしたオリジナル・ミュージカル集団の山下幼稚宴は、2008年から相鉄本多劇場のクリスマス・シーズンを定位置にしている。今回は、過去に上演した作品を交互に上演した。どちらも、若い男が突然、なぞのカルチャーセンターに連れてこられ、奇妙な講師たちの授業を受けるうちに、自分の抱える問題に気付かされたりする、という展開は共通している。タイトルから分かる通り、なぞの講師たちは天使、という設定だ。(写真は天使のイメージ)
『ミラクルエンジェル』は前に見た。なぞの講師たちが、それぞれアピール度の高い衣装や態度で登場し、歌って踊って笑わせて、というエンターテイメントな特色が印象で、小劇場集団(毎回、あちこちから俳優を集めていて、プロデュース集団的な側面もあるようだ)としての一定のレベルを保っていると感じた。ただ、ストーリーが少しつかみにくいな、と感じた。ほかの作品も見たことがあって、この集団はつくり手が「何か訳分からなかったけれど、面白くて楽しかったね」と感じてもらえればいい、という姿勢なのだろうか、とも思った。
しかし今回、2本とも、話が分かりやすかった。実は同じ設定であるだけでなく、『君に天使を』で恋人同士だった男女が、その後結婚して、生まれた子どもが成長した時に起きるドラマが『ミラクルエンジェル』というつながりもあった。私は、先に『ミラクルエンジェル』を見て、2度見たことで全体像がよく分かったので、『君に天使を』も理解しやすかったのだろうか、とも考えた。
しかし、終演後、メンバーで作曲担当の山下大輔と話したら、「分かりやすくなったことで、自分たちのやりたいことに近づいた」と言っていた。やはり「分かりやすくなった」のは確かだったのだ。
「分かりやすい」と一言で言ってもいろいろある。また、「分かりにくい」部分をつくることで観客を引き付ける表現方法もある。つまり、「分かりやすくなる」ことが、マイナスに働くこともある。
山下幼稚宴の場合の「分かりやすさ」は、物語の全体をつかみやすくした、というところにあると思う。つまり「歌と踊りで楽しませ、笑いの要素もあり、作品全体で言いたいこともしっかり理解できる」という方向性が鮮明になった、ということだ。説明ぜりふがダラダラ、というのではない。ちょっとぶっ飛んだり、ミステリー風なところもあるので、「分かりやすさ」がいい方向で加わった、と言えよう。
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全員で踊っても1人1人よく見える

鶴見区民ミュージカル『鶴見線が走る街』/横浜市鶴見公会堂/10月2日(土)夜観劇
公募の出演者によるミュージカルで、小学生中心に40人弱が出演した。募集は50名なので定員割れである。しかし、ダンスの場面で全員登場しても、1人1人が伸び伸びと手足を動かしているのがよく見えるなど、舞台の広さなどにちょうどよい人数ではないか、と感じた。
物語は、小学6年生の女子4人が、小学校最後の夏休みに、地元の短くて味のある鶴見線を「ぶらり途中停車の旅」という趣向で巡ってみよう、という話になる。その後のエピソードとしては、ある駅で出会った高齢の男女に昔のことを聞いたり、「ナイトウォーク」と称して夜、訪れた神社でほこらを整理したら、そのお礼に、キツネの精霊みたいな存在が、高価なものの入ったバッグを拾わせてくれる、などの出来事がある。
〈写真の「国道駅」は鶴見線の駅の一つで、国道15号線と交差するところにある。ただしこの舞台では特に取り上げられなかった〉
全体の物語の構成も、エピソードの展開もシンプルだ。上演時間は約1時間20分だった。味付けの歌と踊りは、元気さが一番の魅力で、かわいくて踊りも上手な、いわばけん引役の女子小学生の存在が次の魅力、と感じられた。
装置は木のベンチ1個、あとはホリゾント幕の色などで変化を付ける程度だ。衣装も、キツネの精霊以外はふだん着だ。
原作は、ほかの区民ミュージカルも手掛けている貝塚吉風が書き、劇団ブランコの山田容弘が脚色・演出した。上演に至るまでに「様々な困難に遭い、ぎりぎり公演にこぎつけた感がある」と演出の山田がプログラムに書いている。そういう経緯も、あっさり味の舞台に多少、影響しているようだ。
この公演の前、昼には港北区民ミュージカル『フランベ2~かくも賑やかな人々~』(横浜市港北公会堂=下の写真)を見た。こちらは架空の商店街にあるフレンチ・レストランを中心とした物語だ。出演者は「小学生(2~6年)20名、中学生10名、高校生2名、社会人(22~68歳)18名、総勢50名」だ。上演時間は休憩15分を含めて2時間40分ほどだった。
作・演出は、昨年の『フランベ1』と同じ内田潤一郎だ。昨年も舞台はレストランだったが、前回は家族の物語で、今回はレストランと係わりのある商店街の人々が活躍する。それでも中心はレストランで、シェフの家族のドラマも丁寧に見せた。最後、フランスに旅立つシェフと、見送る妻や娘たちが、心のつながりを確かめながらしっとりと歌う場面はよかった。しかし全体は「賑やかな」歌が多かった。
内容も、『鶴見線の走る街』と比べると、人数は多くて、それぞれの見せ場が作られ、話も盛りだくさんという感じで、「こってり味」だった。同じお金(999円)を払うなら、味が濃い方がいい、という人もいると思うが、私は、区民ミュージカルには珍しいあっさり味の方に、1票、入れたくなった。
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場を食わないところが社長の味

劇団鳥獣戯画『ダンシング・オールドでい・クラブ3』/相鉄本多劇場/9月19日(日)昼観劇
北海道のある村にあるアメリカン・バーを舞台に、ジューク・ボックスから流れる懐かしいポップスなどをふんだんに織り込んだミュージカル・シリーズの第3弾だ。
おとなしそうでこだわりのあるマスター、常連の「じいさん」「ばあさん」、店を乗っ取ろうとする不動産屋の女性ボスと社員などが、前2作に引き続いてのレギュラーだ。今回は、北海道に巡業に来た、旅回りの一座の座長と座員が絡んでくる。
その一座の座長、本多一之丞を演ずるのは、本多劇場グループの代表でもある本多一夫だ。流山児祥が起こした高齢者劇団パラダイス一座での活躍が有名だが、そのほかにもあちこち引っ張りだこで、今年はこの舞台で4作目とか。
この舞台では、シリーズのゲスト出演であり、せりふの多い役はちょっと…、ということもあるそうで、物語に大きく絡んでくることはなかった。それでも、バーに来て、芝居のさわりを披露したり、ソロで歌ったりして、見せ場を背負った。
しかし、バーの常連たちや若い座員と並ぶと、どうしても存在感が薄くなる。ひとりで場を食ったりしないで、大勢の場面ではちょっと引く、といったいわば謙虚なところが、本多社長の味とも言える。
本多社長にとって、自分のもっている劇場で、これまで出演していないのは、ここ相鉄本多劇場だけだった。だからこの公演は相鉄本多劇場初出演、本多グループ劇場全制覇、という記念すべき舞台となった。実は2007年1月に、横浜SAAC主催のトーク・セミナーの講師として、本多社長がこの劇場の「登場」した(司会は私が務めた)ことはあるが、「出演」に入るものではなかった。
この劇場を本拠に横浜の演劇界の活性化を図る横浜SAACのメンバーである私にとって、今回の本多社長の出演はうれしいことだ。ただ、中心メンバー(作・演出・振付も手掛けるちねんまさふみ、中心女優の石丸有里子ほか)らが演ずる強烈な印象の「じいさん、ばあさん」や、パワフルに踊りまくる若い俳優(一番元気なのは、知念・石丸夫妻の娘でもある18歳のユニコ)がゾロゾロ出てくるこの作品で、「初出演、全制覇」を祝いたくなかったな、という気も少しした。
それだけに、数分間だけだったが、楽屋のシーンは貴重だった。本多一之丞一座で、出演者が足りないから、と出演させたバーのマスターが、舞台で大失態をやらかす。その報告を聞いた座長が「まず幕を下ろしなさい。後は私が何とかするから」と言いながら舞台衣装の着物に急いで着替えて、あわてもせず堂々と舞台に出ていく、という場面だ。
着物は、大衆演劇界の大物、沢竜二から借りたもので、「竜二」の名が入っていた。座員役の俳優に手伝ってもらって着物を着て、最後に高価そうな織物の帯をきゅっと締めた。そうして一瞬、正面を切った姿はかっこよかった。もう少し目立つような照明が当たれば、なおよかっただろう。
〈写真は、相鉄本多劇場や映画館が入っているビルの2階。映画の上映案内と並んだ、公演案内の可動式看板に「ダンシング・オールドでい・クラブ3」のチラシが張ってある〉
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締まった内容にぶれない目

劇団印象-indian elephant-『匂衣(におい)~The blind and the dog~/下北沢・シアター711/4月16日(金)夜観劇
主演は韓国の小劇場演劇界で活躍中の女優べク・ソヌ。役は、韓国から日本に来て2年ほどで、今、日本で売れない役者をしている、という設定で、劇中ではほとんど、日本語のせりふを話す。実際は今回、稽古のために来日、日本語も来日前はほとんどできず、日本に滞在する中で、基本的な会話は何とかできるようになった、という。日本語のせりふは、平仮名の読みは独学で勉強してきたので、自分で読んで丸暗記した、とのことだ。
それだけでも大したものだが、演技もすごい。特に、目の動きがしっかりしていて、目の動きがおかしくなってキャラクターがぶれる、といったことがない。だから、安心して表情を追っていられる。
彼女の演ずる女優は、目の見えない娘(大人)に愛犬の死を知らせたくないので、愛犬の役をしてほしい、という母親の無理な頼み(報酬はあるが)を受けて、その娘と奇妙な交流をする。最後、娘は愛犬の死を認め、この女優は、恋人が去っていったことを受け入れる。作・演出の鈴木アツトの作品としては締まっていると感じた。
ベク・ソヌは幕開き、この母娘の家を訪ね、居間に通されて、一人で待つ間、部屋の中を見て回る。それだけで、目力(ぢから)というか目の使い方のうまさに引き付けられた。韓流ドラマの演技と根っこは同じなのだろうか、などと考えてしまった。
(写真は、別の日のシアター711の入り口付近)
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住人を特定しないドールハウス風

庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』/にしすがも創造舎/2009年12月11日(金)夜観劇
会場のにしすがも創造舎(写真)の体育館(写真右)は文字通り、元は体育館、つまり天井の高い、だだっ広い空間だ。その半分を客席に、残り半分を舞台空間にして、白い2階建てビルを出現させた。観客にはその断面を見せる形で、上には広い部屋とバルコニーを設け、下は4部屋に仕切った。
各部屋にいろいろな人物が登場して、広い部屋では手術をしたり、何かの番組制作会議をする、などの場面を、下の小部屋では事件を捜査する男2人、不動産屋と物件を探す女2人、エロティックなことを中心に互いの身の上を話す女2人、江戸時代の人物のような男2人、などのやりとりをこま切れに見せていく。同じ人物の場面には各場面につながりがあるが、全体を貫くような流れはない。ちょっとなぞめいた人々の姿のコラージュ、といった感じもする。それぞれの会話は丹念につくられていて、短いながら引き込んでいく。
白い建物と小部屋に置かれたベッドなどから、ビルを病院と受け取り、さまざまな人物は、妄想などの症状が現われている患者、と見ることもできる。1階の上手端の部屋で、捜査員2人が、ここが駐車場で、どうのうこうの、とやりとりする場面が何回か演じられ、最後に本物の車が置かれる。この2人を、妄想をもとに話している患者、ととらえて見ていけば、幕切れで、妄想と現実が交錯する面白さなどが得られるだろう。
一方、見た目から察する場所とは全く異なる場所を舞台にしたドラマを見せる、という趣向ととらえることもできる。場所の雰囲気と演じられる内容が異なることから生まれるもので、楽しませる、といったことだ。2階の広い部屋を、家族団らんのためのリビングか、と思って見ていると、そこで手術が始まる、というのは怖くもあり、滑稽でもある。
ドールハウスをモチーフにしたようなドラマ、という印象もあった。ただし、ドールハウスを、そこに住む人の家族構成やキャラクターなどを決めた上で、デザインされた家のミニチュア、と定義すれば、このドラマには当てはまらない。そうではなく、白い2階建てビルのドールハウス風ミニチュアをつくり、その中に好き勝手につくった人物を置いていき、動かして、楽しむ、といった遊び方をした結果、こんなドラマが出来上がったのではないか、と思ったのだ。
なぜ、そう思ったかと言うと、作・演出のタニノクロウは以前、脚本をつくる前に、まず空間を考え、そのミニチュアをつくり、どういうふうに役者を動かそうか、考えるのが好き、と言っていたからだ。しかも、今回の終演後に話した時には「それぞれの部屋に意味を持たせたくなかった」という。空間に意味付けをしなかった結果として、空間にとらわれずにキャラクターと物語を量産した、ということなら、私が思ったことに近かったのかもしれない。
一つの場面が終わると、地響きのような音が一瞬、体育館全体を震わせるように聴こえ、それと同時に暗転、という音響効果も印象的だ。隣に座っていた若い女性の観客は、終演後、この大音響は嫌だった、と連れの女性に話していたが、確かに不快感を覚えるぐらいの音だ。体育館という空間を、装置だけでなく、音響でも生かしたと言える。この音響についてタニノは、雨が降って湿度が変われば、音響も変わるので、毎日、セッティングしなければならない、と苦労を明かした。
元風琴工房の笹野鈴々音が、この舞台でペニノに初出演した。この1カ月半前には、劇団印象-indian elephant-の『父産』で、アクティブで、婚約者の男にガンガン指示を出す、気の強い女を演じたが、こちらではがらりと変わって、天使のようなキャラクターで登場した。この役にタニノは、1人の少女に、希望をもたせるように、静かに優しく語らせた。そのせりふを笹野は、『父産』の元気な女を演じた時には使わなかった、透明感のある声で聴かせた。その言葉と声のマッチングが成功して、この場面に深みをもたらした。
笹野いわく「人間ではないもの、という感じで演じている」と。その役づくりがうまくはまったことから、笹野はこの手の役が得意だと言えそうだ。
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「柱が好き」の言葉に納得

TPT72『血の婚礼』/BankART Studio NYK/NYKホール/10月9日(金)夜観劇
原作はスペインの劇詩人ガルシア・ロルカ。練り上げた台本と、チームワークの良さを感じさせる演技などで、日本人にも味わいやすい作品に仕上げている。
装置は朝倉摂。この10月、この会場と同じBankART Studio NYKで、朝倉の舞台美術のワークショップも開催、さらに近くのギャラリーで朝倉の絵画展も開かれた。「朝倉摂スペシャル」の一環といったところもあるこの公演では、伸び伸びとしたタッチの馬の絵を壁に巡らして、乾いた大地の広がるスペインの風土を感じさせた。愛憎、恨みなどの濃い感情が絡んだドラマにとって、馬の姿から感じられる自然の美しさ、動物の温かみ、その一方で他人を寄せ付けない気高さなどが、ある面、強烈な悲劇の緩衝剤のような働きをしていた。
舞台美術には、朝倉のオリジナルでないものも活躍した。空間の中央部を支える円柱だ。このホールは、かつて日本郵船の倉庫などに使われていた建物を利用したもので、天井は高いのだが、部屋を広く使おうとすると、太い柱が空間の中に残ってしまうのだ。このホールで、今まで3度ほど芝居を見たことがあり、展覧会の時にも来たことがあるが、この柱を目立たせた、というか、美しい存在として利用したのを見たのは、初めてのような気がする。
終演後、ホールに接するトイレに入ったら、目の前の壁に柱が半分、飛び出していた(下の写真)。舞台では、この、古代ギリシア・ローマ建築風の縦模様の柱を際立たせただけで、石の建物が並ぶヨーロッパの雰囲気がホールに広がり、観客を劇の世界にうまく引き入れた。
演出の門井均に、この空間の感想を尋ねたら「ベニサンでも柱があって好きだった。この柱も好きです。またここでやりたい」と話した。
上の写真は終演後、ホール(左)を出たところ。正面奥に見えるのは、みなとみらいのビル群。右手には運河がある。
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