融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の牧師日記

「キリスト者として生きる」

2017年04月21日 | 聖書のお話

「キリスト者として生きる」 マルコによる福音書 16章1~8節

 日曜日の早朝、三人の女性たちはイエスさんの遺体に油を塗ろうとして墓へと向かいました。墓には、重い蓋がしてあるので、中に入れるはずはないと知りつつも、彼女たちはそうせずにはいられませんでした。墓に到着すると、そこに天使がいて、「あの方は復活なさって、ここにはおられない。さあ行って、弟子たちとペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われていた通り、そこでお目にかかれる。」と告げられました。しかし、それを聞いた彼女たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、正気を失い、すぐには誰にも何も伝えることができませんでした。

 親しい人の死は、すぐに受け入れることが難しく、時間がかかるものです。彼女たちは、他の男の弟子たちも含めてあまりにも無力で、その結果、彼女たちはイエスさんを失いました。絶望のどん底にいたのです。イエスさんの死を受け入れることもできないのに、イエスさんの復活をすぐに受け入れることなど到底できないように思います。一方で、ガリラヤで福音が宣べ伝えられたように、身近な隣人にイエスさんの愛の教えを宣べ伝えながら、キリスト者として生きる中でイエスさんの復活を時間をかけて受け入れる道が示されていることは、私たちにとっても恵ではないかと思います。

 

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