後世への記録
環状7号線に通ずる
バス通りの拡張工事が急ピッチ
完成予想図
大工事のため、工事人より見物客の方が大勢だ。
橋の組み立て工事を追うことにした。
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今日のメモ
道路拡張の・・・・話が出てから30年余
この地に越してきたのは、およそ30年前。
その頃は田圃があり田植え行われ、かえるも鳴いていた。
我が家の裏の交差点では、毎晩のように大きな交通事故が発生し
魔の交差点でした。
ここも信号機が設置され安全交差点に変わった。
越してきた当時から既に道路拡張工事の話が聞かされた。、
あれから30余年長い年月を経て本格的に始まったのが2年前、いま急ピッチで進んでいる。橋梁工事も大型機械が入り見物客も多い。
変わりいく道路環境、住宅の様子、街並を
画像に収めておきたいと思い始めたが、どのように
残していったらよいのか中々難しい。
身近に見たことがないのでどのように変化するのか推測も出来ませんが、念願の改修工事、完成が待たれますね。
先日行ったら、なつかしい店や建物がすっかりなくなっていて、写真に撮っておくべきでした。
それにしても30年の歳月とは・・・
ハンドルネームの秘話とても面白く拝見しました。
「縄文」と秩父は色々ありましたが、遥か、いにしえの想いを深く呼び覚ましてくれます。あの地が海だったことまで・・・
拡張工事が30年ぶりに進行中との事
いい結果になる様で宜しかったですね。
環7がそちらに行っているのですね。
北区在住の時は環7が横を走っていました。
懐かしい言葉に出会いました。
こちらも196号線のバイパス工事が進んでいて
先日2つ目のトンネルが開通し目出度く4車線になりました。
いまこの地が、千変万化して、しかもいまこの地に立って「全く異なった、昔の世界を想像するからだろう・・・」
どんこさん
心配も、苦悩も、反対も色々あるものです。
橋が出来ることは、それなりに道路が拡張され、それに伴う悲喜こもごもがあるわけです。
30余年という年月が如実に物語っているのでしょう。
おーちゃん
東京・大田区は縄文人の原点です。ずいぶん変わったでしょう。東京に出てきて柳行李1つで住み着いたのが大田区池上でした。
当時池上線蒲田駅は、スギ丸太を素材とした駅舎・ホームでした。行って見たくなりました。
kimamaさん
よくご存知ですね・・・すごいすごい。
秩父が海であったということを知っている方はそう多くはないでしょう。地元の方は別にして。
そうなんです、海だったんです。小・中学校で化石が出るところがあり、そこにカナズチを持って化石発掘をしたことがあります。アンモ貝・・とか。
馬鹿丸出しの縄文人。
本音と建前を使い分ける人がいますが、縄文人は、本音でせまる馬鹿男です。
ハンドルネームも其のぶるいです。
かのこさん
環状7号線についで環状8号線が今あります。8号線を作るころはちょうど東京オリンピックで東京をいたるところ掘り返していました。
、
其れでも工事が始まったから良い方です。
工事予定地に引っ掛かって、家の改修も出来ない、と言う話も良く聞きます。