新世界旅客鉄道本部

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変化と不変

2017年02月26日 13時51分55秒 | つまらない日常
月1回くらいの頻度で行くラーメン屋さんで、いつも食べているラーメンの味が少し変わったように感じた。
帰り道で僕は考えた。
僕がラーメン屋だったら、たぶん日々「今よりもっとおいしいラーメンを作りたい。もっと人気の出る、売れるラーメンを作りたい。」と思うだろう。
そのために、あれこれ試して、改良に改良を加え続けるだろう。
今日食べたラーメンも店主のそういう情熱からくる変化だったのかなぁとぼんやり考えた。
正直、僕は今日のラーメンに関して「前の方が良かった」という感想をもった。でも、そういう職人の情熱がなければ、生まれてこなかったものも多いような気がする。つけ麺とか、まぜそばとか、豚骨醤油とか、30年前に今みたいに当たり前に普及していただろうか。ラーメンに限らず新しいもの、役に立つもの、人気のものはこうした最前線で悪戦苦闘する職人たちの汗と涙と血で作られてきたんだろう。
そう考えると、こうした変化を陰ながら応援したい気持ちになってくると同時に今後どんな味になっていくのか楽しみでもある。

しかし、一方で、毎日同じ味を提供することって実は勇気がいるというか、すごいことなんじゃないかとも思ってしまった。
それは店なんだから当たり前かも知れないし、毎日味がブレブレな店に行きたいはずはないんだけど、「40年間変わらない味」とか「80年間つぎ足し、つぎ足し」とかそういう店も現実にあって、そういう店の話。東京とか都会は知らないけど、少なくとも僕の住む地域では、そういう店はブームに乗らないだけあって、昼時に列を作ることもなく、どちらかというとひっそりとやっている印象。
見た目や味に懐かしさはあれど、発見や感動は新しいものほどではないかも知れない。それでも頑なに味を守り続け、たった一度のブームさえ起こすことなく、ただひたすら安心と信頼とでも言うべきか、「毎度お馴染み」を与えてくれることのありがたさを感じたことのある人も少なくないだろう。
実際、大学時代、東京に住んでいた頃、地元の古い大衆食堂みたいな店の麻婆丼がどうにも食べたくなり、そのためだけに友達を連れて日帰りで帰郷したことがあった。

変化する店と不変の店のどっちが善で、どっちが悪とか、どっちが正の向きで、どっちが負の向きとか、そういうことじゃないだろうし、食べるだけの僕が勝手なことを言えば、どっちもあって欲しい。でも、たぶんそれらは競合してしまう面も多いような気がする。商売だから仕方ない。
サッカーやラグビーみたいなスポーツに例えるなら、危険を冒して敵陣に切り込み、得点者になろうとする者に対して、最後の砦として先代や自分が守り続け、みんなに親しまれたものを失うまいと守る者がマッチアップする場面。
なんとなく、現代では守備側より攻撃側に勢いがあるような雰囲気を感じる。
たまには守備側にいそうな店を訪ねてみようかと思う。

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