イーハトーブ岩手の渓流と森便り

釣りバカ権ぞーが、岩手の渓流フライフィッシングや三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。

仮設商店街は、原則「2年限り」

2012年02月13日 | 被災地から
あの日から、遅れに遅れてようやく整いつつある仮設商店街や
仮設飲食店街だが・・・・
釜石や大船渡、宮古市田老、野田村などでは、
最初の仮設のオープンが昨年暮れの12月だった。

そして、陸前高田ではようやく3月下旬に仮設商店街が開業見込みだという。
しかも、その仮設商店街&飲食店街は、
「原則2年限り」だと聞いて驚いた。

いったい2年間の仮設営業で、何ができるというのか?!
新たに別の場所に自分の店を構えて再開するにしても・・・
たった2年間で、その資金を蓄えられると思っているのだろうか?

役所では「あくまでも原則です」というけれど、
それならば、5年以内とか、最長10年までとか、
そんなふうに柔らかい縛りにならないものだろうか・・・

原則2年は、その他にも「災害エフエム放送局」も同様で、
一番早くから放送を開始した宮古災害FMの場合は、
3月20日で放送開始から1年を迎えるので、
来年3月からはコミュニティ放送局に変わる準備をし始めているが、
3月29日から放送を開始した大船渡災害FMや
4月11日から放送を開始した釜石災害FMは、
来年の災害FMとしての免許が切れた後のことは、まだ未定だ。

昨年の暮れに開局した「陸前高田災害FM」は、まだ始まったばかりだが
いずれはその後について、考えなければならない事になるだろう。

原則2年の詳しい理由をいつかその筋の方から説明を仰ぎたいと思う。

写真は、昨年暮れに開業した釜石の「呑ん兵衛横丁」仮設飲食店街。
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雪の陸前高田

2012年02月08日 | 被災地から
報告が遅くなったが、先週末の土曜日、陸前高田に行ってきた。
先週の大雪で、内陸奥州市内の道路という道路は、大変な状況だったので、
沿岸までの難所である種山峠は避けて、一関市大東町から陸前高田の矢作に
抜けるルートを選んだ。
しかし、比較的雪の少ないルートにもかかわらず、ところどころで圧雪凍結!
奥州市から陸前高田まで、2時間弱も掛ってしまった。

とはいえ、まぁ無事に陸前高田に到着したが・・・・
大東町大原から矢作に向かう国道343号線に、車がほとんど走っていない!
土曜日のお昼だというのに・・・・僕の車の前後に一台も車が走っていない!!
対向車は何台かすれ違うものの、高田に向かう車が無い。
週末は、復旧関係の方々もボランティアの方々も休みなんだろうか?
秋頃までは、土日であろうと陸前高田へ向かう397号線も343号線も
ひっきりなしに車が走り、遅い車の後ろには長い車列が出来ていたのだが・・・・

その日の取材先は、和菓子店「小泉屋」の店主・熊谷薫さんと奥さんの和子さん。
昨年暮れの12月から、避難している作業小屋の脇に自前で工房を建てて
営業を再開している。
この熊谷さんが凄いのは、以前から地震のたびに避難する習慣があったことだ。

市街地の店から離れた高台に「畑」を所有していて、
時間があるとこの畑で、野菜などを育てていた。
そして、その畑作業のための「作業小屋」を、これまた手作りで建てていた。
畑作業が一段落すると、その作業小屋のストーブで湯を沸かしお茶を飲む・・・
という日常を送っていて、
以前から地震があると、奥さんと連れ立ってこの小屋に避難していたそうだ。

あの日も近所の方々は、避難する気配もながったが、大きな地震だったので、
まずはいつもどおり小屋に避難した。
ストーブに火をおこしてしばらくすると・・・・・
近所の家がすぐ目の前まで流れてきたという。
その瞬間、自分たちの店も終わった・・・と感じたそうだ。

それからしばらく仮設店舗の完成を待っていたが、
いつまでたっても仮設ができない状況が続き、お盆を過ぎても、
秋になっても全く埒が明かないので、狭いながらも自前で工房を建てて
和菓子店「小泉屋」の営業を再開している。

※詳しくは、2月17日放送のFM岩手「三陸きぼう海岸」で!
 radiko復興支援プロジェクトで放送
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波板のサーフショップ「Kサーフ」釜石仮設店舗

2012年02月01日 | 被災地から
一昨日の30日に二週間ぶりに釜石に出掛けた。
浪板海岸でサーフショップ「Kサーフ」を経営していたご夫婦が、
震災後、ネット上で被災状況を報告したり、復旧の進捗状況について
意見を述べたりしてくれていたのをよく見ていた。

特に震災後の海岸清掃を呼び掛け、
多くの方々が清掃活動に参加していた記事では
自分自身が参加できなかったことがとても悔やまれた。
Kサーフが呼びかけた「ビーチクリーン」活動は、
震災前からの恒例行事だったのだが、
震災後は改めて重要な活動だと思い知った。

そのKサーフが、昨年暮れの12月10日に、
晴れて釜石市の青葉仮設商店街で営業を再開した。
ということで、いつかは訪れたたいと思っていたところ、
釜石市公聴広報課の三浦さんからお呼びが掛ったので、
これ幸いとばかりに、アポ無で大変失礼とは思ったが、
飛び込みで取材に伺った。

突然のお願いにも関わらず、奥さんである杉本利江子さんは
快くインタビューに応じていただき、震災後の状況やら
震災後の「ビーチクリーン」活動についてお話を伺った。
その模様は、2月10日(金)放送のFM岩手「三陸きぼう海岸」で!

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大船渡屋台村

2012年01月25日 | 被災地から
写真は、震災直後さかんに映像でも流された大船渡市大船渡町の
大船渡グランドホテル&マイヤ大船渡店・・・。
そして、瓦礫が撤去された旧繁華街・・・・。

この風景のど真ん中に、昨年暮れの12月20日に、
「大船渡屋台村」が開業した。
運営するのは、大船渡屋台村有限責任協同組合。
その理事長の及川雄右(ゆうすけ)さんから話を聞いてきた。
(その模様は、2月3日午後2時45分〜放送の「三陸きぼう海岸」で。)

屋台村には、寿司店からお好み焼き屋、ラーメン店からスナックまで、
20店舗が入店している。
この年末年始は、屋台村の完成を待ち望んでいた市民で
大変な賑わいだったという。
ようやく屋台村が出来て、「これで大手を振って飲みに行ける」
という雰囲気ができたらしい。

驚いた事に、この組合の理事長である及川さんをはじめ、
6人の組合幹部は、誰一人出展していない。
あくまでも屋台村の運営だけを担当している。
もちろん家賃などは無料なので、組合にはほとんど収入は無い。
それでも、様々な支援を仰ぎながら、ボランティア精神で運営しているという。
頭が下がる。

次回は、宿泊場所を確保した上で、この屋台村で彼と一緒に
飲みたいと思った。

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ブログをFacebookに・・・

2012年01月19日 | 被災地から
Fcacebookに参加したのは、一年以上も前からなのだが・・・
使い方が、まったくわからず、ただただ友達達のコメントやニュースを
眺めているだけだった。
しかし、見ているだけでは情報発信にもならないと思い、
改めて積極的な参加を試みた・・・のが、昨日の事。

以前から展開している自分のブログをリンクする方法をネットで探し、
ようやくリンクまではこぎつけたが・・・・さて・・・
これからどんな風に使っていけばいいんだろう???

まぁ、とりあえずは日々のブログの更新をこまめにやっていくしかないんだろうな。
情報機器産業の役員をやっている友人が話していたが・・・・
「情報を発信する場所に、情報は集まる!」という事らしい。
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ふるさと元気隊「盛岡さんさFM」

2012年01月18日 | ラジオの話
一昨年の10月から、FM岩手の新しい試みとして放送されている
「ふるさと元気隊」は、これまで県内の5ヶ所の支局を置き、
各市町の様々な情報を紹介する1時間程度の生放送を毎週実施してきた。
そこに昨年10月から新たに盛岡支局が開局し、
現在は、6支局で番組を制作し放送している。

僕は、僭越ながらこの「ふるさと元気隊」プロジェクトのアドバイザーなる
肩書きを頂き、八幡平市局以外の5支局の開局から指導に携わってきた。
いわゆる「国の緊急雇用」政策を活用した試みで、
全国のJFN系の民放FM局に先駆けて実施ている。

先日、北海道へ出張した際にAirG(FM北海道)の営業担当に聞いたところ
北海道でもこの方式で3ヶ所の支局から放送をしているとか・・・
北海道は広いので、今後も支局は増えるだろう、と話していた。

ただ・・・各支局のスタッフは、全員が岩手出身者ではない。
メインのMCは、むしろ県外出身者の方が目立つ。
まぁ、基本的なアナウンサーとしてのスキルが必要となれば、
首都圏から・・・というのも仕方のないことだ。

ということで、写真の盛岡支局「さんさFM」の5名のスタッフは、
メインMC&アシスタントは、首都圏からの採用で、
3名が岩手県内からの採用。
放送開始から、4ヶ月が過ぎようとしているが、
そろそろ岩手&盛岡に慣れてもらわなければ・・・・

岩手の放送人で「姫神」を知らないというのは・・・・如何なものか・・・・


ここで、再度のお願いです。

釜石災害エフエム放送では、情報管理(テキストや音声データなど)の
ためのPCが一人1台は必要な状況になってきました。
スタジオには、昨年夏に神戸のコミュニティ放送局から支援物資として
贈られたノートPCが2台あるのですが・・・これが常にフル稼働状態。
1台は、ミキサー&ディレクターの専用にならざるおえず、
もう1台を3人のアナウンススタッフが交代で使っている有様です。

釜石市の職員も、震災後は支援物資のPCを使っている状態で、
とても行政サイドにPCの供給をお願いできる状況にありません。

もしも出来る事ならば、
彼らにノートPCを2台ご支援頂けないでしょうか?
中古でも、1台ずつでも結構です。
どうかよろしくお願いします。

連絡先は、
〒026-0031
釜石市鈴子町2-1
サンフィッシュ釜石2F FM岩手釜石支局内
かまいし災害エフエム

メールアドレス:kamasai860@gmail.com
FAX  0193−55−4202
※電話はありません。
担当:猪又、三浦
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山田湾に養殖棚が少しずつ・・・

2012年01月17日 | 被災地から
震災前には、この山田湾内は牡蠣やホタテやワカメの養殖棚で埋め尽くされていた。
それが全て流され、「山田の牡蠣くん」を製造販売していた佐々木さんはじめ、
多くの養殖に携わる漁師の方々は途方にくれたという・・・

その山田湾に少しずつではあるけれど、ひとつ、ふたつと
養殖棚が復活している。
また、奇跡的に被災を逃れた牡蠣の養殖棚の牡蠣を使って
山田町名物の牡蠣小屋も期間限定で営業を再開してる。

津波と火災でほとんどの建物が無くなった山田町内でも
逆境に立ち向かうように飲食店や商店が、
仮設店舗を構え営業を再開し始めている。

浸水エリアの土地活用や高台移転などの課題は、何一つ決っていないが、
日々の生活のために人々は、以前店があった場所にプレハブを建て
営業を再開している。
本当に頭が下がる。

今週末は、年明けはじめて陸前高田に取材に行く予定だが・・・・
高田はいま、どうなっているのだろう?
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釜石災害FMからご支援のお願い

2012年01月12日 | 被災地から
写真は、先週訪れた大槌町の旧市街地。
手前を流れるのは大槌川。この季節はまだ魚のライズもない。
この手前には、先月ようやく営業を再開した大槌唯一のSC「マスト」がある。
しかし、その後方を見渡せばこの有様・・・
復旧はこれからだ。

さて、表題のお願いだが・・・・
釜石災害エフエムは、釜石市が免許を申請し、
臨時職員とボランティア・スタッフで運営されている。
放送機材は、FM岩手が東京FMの協力を受けて支援している。
また、アナウンサーの指導には僭越ながら僕と僕の番組パートナーである
元IBCアナの樋田由美子さんがあたってきた。
震災から10ヵ月、放送開始から9ヶ月が経過し、
スタッフのスキルも上がり、放送内容も充実してきた。

ところが、スキルが上がるにつれて情報管理(テキストや音声データなど)の
ためのPCが一人1台は必要な状況になってきた。
スタジオには、昨年夏に神戸のコミュニティ放送局から支援物資として
贈られたノートPCが2台あるのだが・・・これが常にフル稼働状態。
1台は、ミキサー&ディレクターの専用にならざるおえず、
もう1台を3人のアナウンススタッフが交代で使っている有様だ。

釜石市の職員も、震災後は支援物資のPCを使っている状態で、
とても行政サイドにPCの供給をお願いできる状況に無いらしい。

もしも出来る事ならば、
彼らにノートPCを2台ご支援頂けないだろうか?
中古でも、1台ずつでも結構です。
どうかよろしくお願いします。

連絡先は、
〒026-0031
釜石市鈴子町2-1
サンフィッシュ釜石2F FM岩手釜石支局内

メールアドレス:kamasai860@gmail.com
FAX  0193−55−4202
※電話はありません。
担当:猪又、三浦
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今年最初の沿岸取材

2012年01月09日 | 被災地から
FM岩手「三陸きぼう海岸」の取材で、年が明けて初めて沿岸へ出掛けた。
1月7日(土)朝8時、奥州市江刺は大変な雪で、路面は圧雪凍結状態。
5日には大雪がふり、一日で20cmほど積もった。
その上に前夜からの雪で、道路は大変な状態だった。

国道107号に出ても道路は、真っ白!!
遠野市宮守付近でようやく道路に黒い部分が見えてきた。
それでも走る車は、ノロノロ運転。
遠野バイパスでようやく普通の速度で走れるようになったが、
時計を見れば、10時を過ぎている。いつもの倍の時間が掛った。

そして、釜石へ続く仙人道路へ入ると・・・・
道路は濡れているが、雪はほとんど無い。
やがて、釜石市内へ入ると・・・・全く雪が無い!さすが沿岸。
国道45号は、普段どおりの快適ドライブだ。

最初の取材は、大槌町吉里吉里の生鮮食品移動販売のベニマル商店さん。
とてもよいお話をお聴きした。
詳細は、13日放送の「三陸きぼう海岸」で。

※radiko復興支援プロジェクトで、14時45分〜

その後、釜石災害エフエムの三浦笑ちゃんと猪又翔太君のインタビュー。
これまで、大船渡災害FMも宮古災害FMも取材してきたのに
足元の釜石災害FMは、まだ紹介していなかったことに気付き、
急遽今回のインタビューとなった。
こちらは、1月20日の放送予定。

その後、釜石市営体育館近くの三重食堂でラーメンの昼食。
ここは、テレビ岩手「夢見るピノキオ」のプロデューサーで釜石出身の
野田Pから「釜石で一番」とお墨付きの名店。
はじめて食べたが、ここのラーメンは絶品だ。

釜石を午後2時頃に出発し、快適に遠野まで走ったが、
その先の我が家までは、猛烈な吹雪で超ノロノロ運転。
ときどきホワイトアウト状態で、前の車がブレーキを掛け捲るので
本当にドキドキだった。

1月もまだ上旬、雪の季節はまだまだ続く。
雪かきもこれからが本番だな〜。
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セネガルの大統領選挙にあの人が・・・

2012年01月05日 | 釣り師の独り言
アフリカ大陸のセネガルの大統領選挙が、今年行なわれるという。
ほう、そうか・・・と新聞を眺めていたら・・・
なんと!
あのアフリカン・ロック・ヒーローのユッスー・ンドゥールが、
出馬表明だと!!!
心底驚いた。

確かに、虐げられた人々の心の叫びをメッセージにして
歌い続けてきた愛すべきロックンローラーだ。
僕も20代の頃に、彼の歌を聴いてとりこにされた一人でもある。

忘れもしない22年前。タワレコだったか、HMVだったか・・・
ワールドミュージックの試聴コーナーで彼に出逢い、そして泣いた。
以来、彼の大ファンになった。
僕のラジオ番組では、少なくても半年に一度は必ず彼の曲を紹介してきた。
もちろん、ただ僕が好きだから、というだけではなく
彼はブラミーを受賞している世界的なアーティストでもある。

なにはともあれ、彼の決意に敬意を表し、番組で彼の楽曲も紹介したい。

ユッスーがセネガルの大統領選挙にでる・・・・そんな時代になったのか・・・
翻って、もし、ボブ・マーレイが生きていたなら・・・
今頃ジャマイカの大統領になっていても、なんら不支持は無いな。
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空の笑顔

2012年01月04日 | 被災地から
昨年、映像関係の仕事をしている友人から借りた写真。
この写真を見た瞬間思わず「空が笑ってる」とつぶやいた。
こんな瞬間ってあるんだね。
この写真をいつブログに載せようか・・・と考えていたのだが・・・
やっぱり「復興元年」の幕開けに相応しいと考え載せました。
(改めて阿部さんありがとう)

12月中旬に野田村、久慈方面に番組取材で行って来た。
野田村では「仮設商店街」がようやく開業し、その1号店として再開した
鮮魚店の「小野商店」の小野建夫さんからとんでもない話を聞いた。

3.11のあの日、小野さんは二戸駅発1時頃の新幹線に乗り東京に向かっていた。
2時46分、小野さんを乗せた新幹線は福島県内のトンネルの中で被災し、
なんと22時間もの間、新幹線はトンネルの中に閉じ込められた。
その後、まる一日かけてようやく救出された小野さんたちは、
近くの高校の体育館に避難した。
その避難先の体育館で小野さんがTVで見たのは・・・・
福島第一原発の水素爆発の瞬間だったという・・・。
その後、小野さんがほうほうのていで野田村に戻ったのは、
5日後の3月16日。
見渡す限りの瓦礫の荒野に涙も出なかったと言う。

そんな小野さんの店、野田村仮設商店街「小野商店」は、鮮魚店だ。
取材当日も活きの良いマサバが並んでいたので、シメサバ用に2本購入。
刺身でもいけるほどに鮮度が良かった。
久慈方面に行かれる方は、是非「小野商店」に寄ってみてほしい。

更新を滞っていた期間の話は、これからも続けます。
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復興元年の幕開け

2012年01月03日 | 被災地から
更新がかなり滞り、11月下旬から一ヶ月以上も経ち、
ついに2012年になりました。
誠に申し訳ありません。

友人、知人の方々には、言い訳のように賀状をお送りしましたが、
ブログをご覧の方々には、言い訳のしようもございません。
師走ゆえのトホホな諸事情をお察し下さい。

とはいえ、時は刻々と過ぎ、2012年「復興元年」を迎えました。
権ぞーも環境やらシステムやらをリセットして、
ブログを中心に再出発してまいります。
よろしくお願い致します。

取り急ぎ、お詫びと再開宣言を申し上げます。
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第15回北海道・北東北四道県知事サミット

2011年11月25日 | 被災地から
11月18日(金)、北海道苫小牧のホテルニドムを開場に
今年も、四道県知事サミットが開催された。
この4人の知事さんが集まるときに、毎年恒例のJFN系列の
民放FM4局共同制作のラジオ番組「Beyond the Border」が
制作されてきた。

例年なら、このサミット本番終了後に、別室を特設スタジオにして
ワイワイと和やかに収録するのだが・・・
今年は、終了後に時間が取れない知事さんばかりで、仕方なくではあるが、
サミット本番の発言を中心に番組を制作する事になった。

というわけで、前夜のフェリーで朝の7時に苫小牧フェリーターミナルに着き、
その後すぐさまホテル・ニドムまで・・・。なんと車で20分程度。
AirG(FM北海道)のスタッフとの集合時間、10時まで2時間も待つ。

全てが終了したのが4時半で、僕が会場を出たのは午後5時。
さてそれからが長かった。
帰りのフェリーは、深夜24時苫小牧発。
電車なら、その時間までどこかで酒でも飲んでいれば良いのだが、
あいにく車移動なので酒も飲めない。
苫小牧市内を回りながら、お手頃系のすし屋で晩飯を頂き、
その後は、土産物屋で酒肴を求め、とりあえずフェリー埠頭で酒盛りを決め込んだ。

24時出船とはいえ、23時頃には乗船が始まり、
早速展望室に寝場所を決めて、そこでまた一人で酒盛りをして、
消灯時間には、寝袋にもぐりこんだ。
寝袋だけでは心もとなかったので、いつものキャンプ同様に
長座布団を下に敷いて寝たので、2等室でも快適だった。

翌朝、7時半に八戸港に着き、その脚で陸奥湊駅前の朝市に立ち寄り
刺身で朝食を頂き、自宅へのお土産を買い求めた。
流石に陸奥湊の朝市は、安い!美味い!活きが良い!!!

しかし、この旅の疲れからか、その後3日間風邪でダウンしてしまった。
まだ、全快には至っていない・・・。トホホな話だ。
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明日の夜から北海道

2011年11月16日 | 被災地から
毎年恒例の北海道・北東北四道県知事サミットが
11月18日に北海道の苫小牧で開催される。
そこで、毎年そのサミット後に知事さん達がフリートークする
ラジオ番組を制作し放送してきた。
「Beyond the Border」というタイトルの番組で、
AirG(FM北海道)FM青森、FM秋田、FM岩手の4局の共同制作。
で、毎回僕がディレクターを仰せつかっている。

今回は、17日の夜、八戸発のフェリーで苫小牧に18日の朝に入り、
本番終了後の18日の深夜に苫小牧発のフェリーに乗って19日早朝八戸着。
というすべて「フェリー泊」の出張だ。
ラジオ受難の時代を象徴するような過酷な制作現場でしょ。
まぁ、北海道へのフェリー移動はいつもの事なので、僕は平気ですが・・・

今回の四道県知事サミットのテーマは「東日本大震災からの復興」だから
4人の知事さんから前向きなお話が聞ければ、それで充分だと思ってる。
有名な苫小牧のホテル・ニドムが会場だそうなので、
そこを見学するだけでもいいか・・・という感じの呑気な出張。
今月は少々スケジュールがタイトなので、
ちょっとした息抜きの旅、というつもりで行ってくるよ。


そうそう
ゆんぼさん、さなちゅんサン、Gの高橋さん
コメントを頂きながら愛想無しですみません。
今後ともよろしくです。
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中国江蘇省演芸集団被災者チャリティ岩手公演 無事終了

2011年11月14日 | 被災地から
又しても報告が遅くなったが、
11月10日、被災地岩手の県都「盛岡」の市民文化ホールで
表記のイベントが行なわれ、僭越ながらイベント制作も手掛ける僕も
舞台周りの担当を仰せつかった。

この公演は、中国江蘇省演芸集団のご厚意で、
東日本大震災の被災者を支援するため、
収益の全てを被災地に寄付することを目的とした催しで、
中国江蘇省演芸集団から40名が来日して行われたものだ。

当初、チャリティとはいえ「中国の伝統芸能」的なイベントで
集客できるのか・・・と実行委員会内部でも懸念はあったが、
ふたをけて・・・ビックリ仰天!
当日は、中国江蘇省演芸集団の舞台を見たいと集まった人たちでいっぱいになった。

「東日本大震災で苦しむ被災者支援のためのチャリティ公演ができないか」との
中国のみなさんの申し出に、
「ありがとう、共に被災者のために」と100を超える団体と120名を超える
岩手の有志達が市民レベルで実行委員会をつくり立ち上がった。
そして6か月取り組んできた結果が、ここに結集した。
僕も微力ながら専門分野という事でステージ運営に協力させて頂いた。
開場時間が迫るまで熱心に続けられるリハーサルをなんとか時間内で納め、
開場した瞬間、なだれを打って入場する人の流れは、当分忘れられない。

有料イベントではビッグネームのアーティスト以外大量動員の難しい岩手県で、
1500席のホールをいっぱいにするイベントは並の努力ではありえないことだ。
実行委員会のメンバーの努力と中国江蘇省演芸集団の熱意があればこそ
実現したイベントで、久々に達成感を感じたイベントだった。

従って、当初は義捐金目標額を「50万円」程度としていたが、
なんと約150万円もの義捐金を贈れる事になった。
出来る事なら、このようなイベントを継続的に重ねていく事が
望ましいと思うのだが・・・・
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