ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

門戸天神社

2010-06-04 05:00:00 | 大阪にて
目的の門戸厄神ではないだろうと思っても、ここまで来たら頂上を目指さねばなりません。いくら参詣の人が少ないといっても、万が一にも正解だったら自分は何をしておったという後悔の念に苛まれますし、行けば行ったでブログのネタにもなる筈です。

             

階段を登り終えると左奥に1枚目の写真の鳥居、右側に2番目の写真の標柱が見えます。こちら側はおまけみたいな気もするけど、まずは最初に見学です。

             

保存会の案内板を見ると、西宮市内で2番目に古い鳥居と書かれていますが、古いのは1番目の写真の鳥居ではなくて、2番目の標柱でしょうね。標柱も鳥居の仲間なのかも知れませんが、あからさまに鳥居と決め付けて2番目に古いと自慢するのはどうかと思うのですが・・・それなら1番古い標柱とした方が正確かも知れません。

でも大正13年の文字が見えるのですが、そんなに古いとは思えないのですが。

             

また、“自然石を祀った天神宮があり、自然石崇拝の名残がある”って、これも妙な文です。石は皆自然のものであるし、祀ってある石には人間が施したと思われる長方形の穴があります。それを自然石崇拝と呼んでいいものなのか、そもそも自然石崇拝という言葉自体が聞き慣れない、何も崇拝してきたのは石だけではなく、岩や滝や山や川であり、自然そのものだったのではありませんかね。

             

こうやって案内板を設置していただくのは、初めて来た者にとっては参考になって助かるのですが、詳しい考証もせずして(しているのかも知れませんが)、何も知らない私でもホンマかいなと納得できかねる内容では、いただけません。

             

確かに狛犬の前には砂盛があり、私は神社に砂盛の有無を見てきたわけでもないので、珍しいものなんやと、気付かされた次第です。
思い浮かべてみても、確かにこういった砂盛があったような記憶はありません。

                  

拝殿の左から奥へと巡っていくと、ここの杜にも大樹がありました。でもこの樹はクスノキではなかったように思います。ここは高台になっていて、樹木が鬱蒼としていて下界は見えないのですが、周囲を歩いていると元の天神宮の標柱に戻ってしまいました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (香苗)
2010-12-15 11:33:03
一枚目の写真のところに建っていた鳥居が市内で
二番目に古い鳥居だったはずですが、震災で倒れて
新しくなったはずです。
説明板が書き直されてないのでややこしくなってるのでしょうね。
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なるほど (香苗さんへ)
2010-12-17 08:09:49
そういう意味だったのですか。
経緯を知らない人間にとっても解るように、鳥居を建て替えたら説明版も書き換えていただかないと、要らぬ詮索をしてしまいました。

香苗さんのブログも見せてもらったけど、私と同じような場所も載せておられ、親近感を覚えるけど、やはり住民は詳しいですね。私は仕事で阪神間を歩いているだけ、ロクに調べもしないで、思ったことを綴っています。
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