康の新たな旅

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熊本城の修復は進む

2017年09月27日 | 
9月熊25日、今回は老人クラブの研修旅行 加藤神社から本城の修復状態を眺める。地震から1年半、工事本格化。

被災し大きく傷ついた熊本城では、ようやく本格的な復旧工事が始まりつつある。熊本市は全体の復旧に20年かかると言われている。




加藤神社は熊本城の見える素晴らしいロケーション、県外からも申込みは多いそうです。
震災で熊本城は修復中でも、治しにも耐えた神社では神聖な雰囲気の中、神前結婚式は人生の門出にふさわしくも見える。。
 









菊陽町馬場楠の白川取水口から熊本市の東海学園前駅近くまで続く約12.4kmの農業用水路で現在でも多くの田畑に水を供給しています。
、加藤清正の肥後統治時代(慶長13 年(1608)ごろ)に築造されたと伝えられています。その後、鹿子木量平(1753-1841)の著書により、馬場楠井手築造に関する時代や鼻ぐりの構造の通説が広まりました。 堰(せき)・・・水をせき止める目的で河川や湖沼などに設けられる構造物で、農業用水路(井手)などへの取水を容易にしたりする役割を持っています。

文化財概要(鼻ぐり)
馬場楠井手の菊陽区間(曲手・辛川区)に設置された人工の構造物。水を通すトンネル状の溝穴で当初は80 箇所があったそうですが、現在24 箇所を残すのみとなっています。
 水力を利用して溜まった土砂を排出させる仕組みとされ、この穴の形が牛の鼻輪(はなわ)を通す穴(もしくは鼻輪本体)に似ているところが「鼻ぐり」名称の由来とされています。


皇円大菩薩様は、皇円上人様のことで、1073年、藤原重兼公の長男として、ここ熊本県玉名市築地に御誕生。幼くして比叡山で修行された皇円上人は学徳に秀で、日本三大歴史書の1つ「扶桑略記(ふそうりゃっき)」を編述されました。
 皇円大菩薩様ご入定800年御遠忌を記念して、昭和53年に「奥之院」が建立されました。
 奥之院は、人々の願いを叶える為に修行する僧侶や、僧侶を志す人達の修行道場として建立されましたが、現在では、『一願成就』『厄払い』のお寺として、年間30万人の方々がお参りされております






大梵鐘「飛龍の鐘(ひりゅうのかね)」の大きさは、直径9尺5寸(2.88m)、重さ1万貫(37.5t)、高さ15尺(4.55m)で、京都の鋳造所から昭和51年に特別にトレーラーで運ばれ、海抜250メートルの小岱山中腹の奥之院まで、6トン以上は通れない山道をつつがなく一夜にして登り運ばれました。
奇跡に近いそのことは「真言密教の念力加護のお蔭」としか思えません。誰言うことなく、空を飛ぶ鐘「飛龍の鐘」と名付けられました。

世界一の梵鐘を撞くには、予約が必要でお昼12時ときまっています。幸運にも代表4名が撞くことができました。初めての経験感動しました:











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