tsuyoshi miyazawaの出来事

強君のページ

趣味の大先輩からの贈り物

2017-07-14 14:40:54 | 日記
 半年ほど前に『さぶさぶいぼ』が出る機械をいただいた大先輩から軽トラで遊びにおいでと言われ急いで出かけた。手土産に庭にあるブルーベリーを摘んで出かけた。先輩の家に着くや『邪魔でじゃまでいけないので持って行ってくれないか』とのことである、早い話かたずけて欲しと言う先輩の優しさでもあるが、積まれた段ボール箱にはBC-342NとかアンリツRX、FT-401、BC-611などと書いてあり前回のBC-390Aほどではないが結構な物である。先輩は昔むかし1952年の頃のCQ誌を取り出し懐かしそうに見ていたが、『これも持って行くかい』と聞いたので『とっておいてください』と言うとゴミの日に出すようなことを言うので『私がいただいていきます』といただいてきた。そうして先輩は無線室の畳に座り、米軍放出の無線機GRC-6のダイアルを回しながら『これもその内・・ちゃんの所に行くよなあ』と寂しそうに言った、私は何故か『そんな事言わないでくださいよ』と言うのが生一杯だった。奥様がお茶の用意が出来たとのことでお茶をいただきながら昔からの無線の話等で話が尽きなかった。家に帰り段ボール箱を開けると先輩らしく機器が緩衝材にくるまれた綺麗な機械があった、一応預かったという意味で写真撮影をし、FBに投稿となった。預かったCQ誌は今から65年も前の雑誌で中を覗くと、アマチュア無線黎明期の人達の生き生きとした文章がおどっている。当時もCMのページがあり、現在も活躍している会社、そのような会社あったのと聞きたくなる会社もあり、何処にその分岐点があったのか知りたい。米軍の戦需機材の大放出があり、それに伴い秋葉原の隆盛があり、電子部品を買い入れる中学生の写真が「ライフ」の表紙を飾り、日本は将来電子立国となると書かれていて事実そのとおりとなった。手前味噌で言うと、現在のアマチュア無線の衰退、高中学生でアマチュア無線は死語となっている現実をみると、現在の混迷する電子機器製造現場も同列に見える。その原因は、生まれた時から色付きのテレビがあり、携帯電話で遠くの人と話すのは当たり前で、それらを『なぜ』『どうして』と言う目で見れなくなっているからだと思うが。今更何をいっても仕方がないが、小学校からの学校教育に期待をしたい。これは古希を過ぎた老いぼれの希望でもある。
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