へたれなーす、時々修行日和

――心にうつりゆくよしなしごとを、気ままに綴ります。

それでもお腹は、空く。

2016-10-16 | 日々是好日
の職場では、2ヶ月に1人、
多いときで月に2~3人くらい、お看取りをする。

自身、かんごふさんになってからを考えると、
もう覚えてないくらいの人数を看取ってきた。

業界用語では“ステる”。
sterben(ステルベン)、ドイツ語で“死”。
ナースの間では、“当たる”とも言う。
不思議なもので、一度“当たり”始めると連続して“当たる”。
つまり勤務で来る度にお看取りをする、と言う意味。
業界あるあるで、これが続くと同僚から“あなたツイてるわ”、
と言われるようになる。

軽率な感じが、する。
はこの言葉たちが余り好きではない。
それだけ、慣れなければならない、慣らされてしまう、
そして慣れていってしまう。
でも、手順に慣れても慣れてはいけないと思っている。
考えることをやめてはいけないことだと思っている。

にとってのお看取りについては、
好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか、
そんな感覚は全くない。

先日も1人、旅立たれた。
以前から厳しい感じではあったけれど、まだ大丈夫な様子だった。
でもが夜勤してるとき、急に心電図の波形がおかしくなった。
おかしくなった瞬間を見たので直ぐに駆け付けたけれど、
呼吸が止まって、心拍数が0になるまで10分程度、あっという間のことだった。

そして今夜、先程1人旅立たれた。
この方もあっという間だった。
そう、は今、前述の“ツイている”と言われる状態なのだ。

色んな人の旅立ち方を見てきたけれど、
いつもは、“これでよかったのか”という思いに強く駆られる。
1世紀近くを生きて、最期をこんな病院で入院生活を送り、
必要だからと点滴やらなんやら痛い思いをしたままで、
安らかとは言えない最期を迎えた。
できることがまだあった筈なのに、

と思いながらは、不要になった点滴の針を抜く。
流していた酸素を止めて、緑のマスクを外す。
骨と皮のやせ細った体を拭き、浴衣に着替えさせ、死化粧をする。
所謂“死後の処置”を、淡々とこなす。

ご飯が美味しいと笑っていた顔はもう、笑わない。
家に帰りたいと泣いていた目にはもう、涙はない。
吸引の処置を嫌がり激昂し、熱を帯びた全身はもう、冷たい。
そこだけ時が止まってしまったように見える。

遺された家族、特に嗚咽するキーパーソンに声をかけその背中を摩るときに、
ぎりっと胸の奥が軋む。
にもまだ、涙は残されていたことを実感する瞬間である。

そうこうしていると連絡していた葬儀屋さんが来て、
空っぽになった抜け殻が引き取られていく。
たちは黒く染まった雨の中、黒い車が見えなくなるまで最敬礼をする。


そしていつもの業務に流され、その日の勤務が終了すると、
お腹が空いたの緩んだ頭に、美味しいものが浮かぶ。


嗚呼情けなし。
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