◇入学の前後:昭和30年代、目指した北海道大学に入学できた。入試
会場で依頼しておいた電報「桜咲く」が届き、家族共々、喜んだ。
予備校は無い頃なので自学自習。眠気を誘う暖房は止め、ゼロ度以下
部屋で毛布などに包まり、凌ぐ日が続いた。入試当日は親父さんの世
話で会社関係のクラブに宿泊。初日の朝、鼻血が出ると云”accident”
に見舞われたが、二日に亘る試験を何とか凌いだ。当時、国立大学は
一期校と二期校にまたがり受験できたが、二期目の大学の入試には、
欠席した。
出典:4travel.jp(キャンパスに遺る旧学舎)
◇学生生活の一端:大学の学生寮に申込んだが、入れず、札幌市の南
に下宿をする事になった。そこから路面電車に乗り登校。初めの内
は、大学の角帽を被り通学したが、周囲の人たちの視線が気になり
出典:ja.wikipedia.org
だし、被るのを止めた。教養学部の頃は、上図のような学舎で講義
を聴講したり、キャンパスのある楡の木陰で過ごしたり、図書館で
過ごしたりした。その後、下宿は大学の近く移り、学生食堂などで
食事する生活スタイルへと移って行った。厳冬(10℃以下)中、目や
鼻を手袋をした手で覆い、通学した事が懐かしく思い出される。工
学部・電気工学科に移行した後は少人数制のクラス編成となり、科
目の内容が専門化し、興味も増した。当方には初めての英語版教科
書を使う教授も居て、世界と繋がった感覚だった。