月齢進行表

~aki's diary~

美味しい記憶

2018-03-22 22:05:08 | 日記

小学生の時、母が椎間板ヘルニアの治療のために、週1回片道2時間かけて治療院に通っていたことがありました。
私は子供のくせに、肩こりやら腰痛やらが日常的にあったので(笑)、母に同行して一緒に治療をしてもらっていました。

評判の良い治療院だったので全国からたくさんの人が治療に来ていて、朝6時にはすでに行列ができるような状況。
待ち時間が3~4時間になることもザラで、治療院通いは1日がかりでした。

そんなこんなで帰りが遅くなったある日、外で夕ご飯を食べて帰ろうということになり、目についたとんかつ屋さんにふらっと入りました。
年季の入った大衆食堂っぽい店でしたが、ガラッと引き戸を開けた瞬間「しまった」と思いました。
日曜の夕食時なのに、お客さんはゼロ。
50代ぐらいかと思われる店主は無愛想。
その予想通り、私たちが入って来たのを一瞥した後は、それまで見ていた店内のテレビをまた見続けて、注文はこちらが呼ぶまで取りに来ないという有様。
とんかつ定食を2つ注文した後も、「もしかして、今、お肉屋さんに豚肉買いに行ってるのかも?」と冗談を言ってしまうぐらい待たされ、今日の夕食の失敗を確信した頃、とんかつ定食は出て来ました。
 
ところが、です。
とんかつは、美味しかったのです。
そこそこ美味しかった、のではなく、それまで食べたことのある、どのとんかつよりも美味しかったのです。
粉のように細かいパン粉で薄く仕上げた衣、ソースも味噌も要らないぐらいしっかりした塩味。
塩だけじゃ物足りないよね、と思わせない、絶妙な胡椒の効き具合。
一口食べた瞬間、思わず母と顔を見合わせたことを覚えています。

確かあの時は、母と喧嘩をしたか何かで、あまり楽しい気分ではなかったような記憶です。
喧嘩してなかったとしても、お互い体のどこかに痛みがあって治療に通ってたわけですから、絶好調ではなかったことは明らかです。
でも、そんなことより、不思議と「とんかつが美味しかった」ということしか、ちゃんと覚えていません。
あの時食べたとんかつが美味しくなかったら、多分、とんかつ屋さんに入ったこと自体、忘れていたんじゃないかと思います。

面白いな。
とんかつが美味しかったおかげで、その周辺の記憶があるんだよね。
美味しいって、最強なのかも。

そんなことを急に思い出した今日。
どうしても、とんかつが食べたくなって…(笑)
塩と胡椒でしっかり下味をつけて、パン粉はすり鉢で擦って細かくして。
あの時食べたとんかつの味はもう思い出せないけど、美味しいとんかつだったので満足です。

 

あっという間に3月も後半。
今年は1月にも満月が2回ありましたが、3月も満月が2回あります。
3月、二度目の満月は31日。
その頃は、桜が咲いてるかな?


占い

2018-01-01 21:51:01 | 日記

2018年になりました。
昨年6月に父が亡くなり、喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただいております。

そんなわけで、大晦日も遊び歩くことなく実家で家族と食事をし、甥っ子と一緒に「笑ってはいけないSP」を観ながらゴロゴロし、そうこうしてるうちにうたた寝してしまい、23:55に起こされて年越しそばを食べるという、割と地味な年越しをいたしました。

 

新年になると「今年の運勢」なんてのが新聞の特別版に載ってきたりします。
良かったり悪かったりで、一喜一憂するのもお正月の風物詩。
ま、そんなことも2月になるかならないかのうちに忘れてしまう人がほとんどでしょうが(笑)

占いとは、天体の運行や自然の摂理から、各人がどんなポジションにいるかを読み解いたもの。
「良い年」というのは、普段よりも努力が報われやすいポジションにいるという意味らしいです。
時々、年末近くなると「今年はいい年だって言われてたけど、大したことなかった」みたいなことを言う人がいますが、何もしなくても棚からぼた餅が落ちてくるわけではなく、それなりの努力をしなければ良いことも起こらないわけで…
つまり占いが外れた訳ではなく、自身が自然の在り方から外れてた、ということ。

「今年は悪い年だ」と言われると、起こりうる難を避けるように気をつけるのに、「今年は良い年だ」と言われると、良い事が起こるよう努力をするのではなく、「良い年」という星回りに胡座をかいてしまう気がします。
良い年も、努力・行動あってのものなんですよね。
神社のおみくじの「大吉」に、割と厳しめのコメントが書いてあるのも、もしかしたらそのせいなのかも。
良い星回りの時ほど気を引き締めよ、と。

 

昨年が私にとってどんな年だったかというと、すごく良かった訳でもないし、めっちゃくちゃ悪かった感じもしません。一昨年やその前は「いい年だった!」みたいな気分で新年を迎えたのですが、そういうスッキリ感がなかったのが昨年。
それでも頑張っていなかったわけではないので、その頑張りが「良い年」が巡ってきた時に実を結ぶと思って、今年も地道に頑張ります。

 

明日は今年最初の満月。
そして、スーパームーン。
そしてそして、今月は31日に2度目の満月、つまり「ブルームーン」があります。
そんなことを思うだけで、ちょっとワクワクする元日の夜です。


液体の体積

2017-12-25 15:41:28 | 日記

Merry Christmas!

先日とある方から、以前私のブログを楽しみに読んでいた、みたいなことを言っていただけたので、とっても久しぶりに投稿してみました(笑)

 

「早起きは三文の得」ということわざがあります。
一般的には『早起きして時間を有効に使えば良いことがある』といった意味に理解されていますが、私の聞いたお話は違います。

 

昔、いろいろな売買が升の量り売りでされていた頃、いつも早起きして仕入れに行く油商人がいました。
夏のような気候の良い日だけでなく、冬の寒さが厳しい朝も、暗いうちから起きて油を仕入れに行くのです。
それは なぜか?
液体は、温度が高いと膨張し、逆に低いと収縮します。それを知っていた商人は、朝まだ気温が低いうちに、収縮した状態の油を升で測って仕入れ、日が高くなった昼間に膨張した状態で升売りするのです。そうすると、収縮した油が膨張してかさが増えるので、仕入れた量より少し余分に売ることができ、その差額が「三文」ぐらいになるというわけです。


なるほどー、と思うのですが、この話にはまだ続きがあります。

商人はその三文を自分の儲けにするのではなく、その分を値引きして、お客さんに安く油を売っていたのです。
街では「あそこの油売りは他より安い」と評判になり、商売は繁盛するわけですが、それは他でもない、商人の「早起き」の賜物である、と、そんなお話です。

だから、正しくは「早起きは三文の徳」と書くのだとか。

知恵は私利私欲のためでなく、利他のために使う。
今も仕事の基本は同じなんだろうなぁ、と思います。

 

ついでに、液体の体積の話をもう少し。

水は1cc=1gですが、これももちろん水温で変動します。
ccとgがイコールになるのは、水温が4℃の時なのだとか。
4℃とは、基準が基準として機能する、一番ナチュラルな温度。

萎縮せず、虚勢を張らず、そのままの自分。
それは、水でいうなら4℃。
なんか、いい感じ。

 

今年も、あと少しで終わり。
飾り立てず、引っ込みすぎず「4℃」の自分でいられただろうか?
来年も「4℃」の自分で生きていきたいと思います。

 

1週間前の18日は、今年最後の新月でした。
明日は上弦の月。
次の満月は、来年1月2日。


2017・Changing

2017-01-01 19:25:00 | 日記・エッセイ・コラム


2017年になりました。
2016年はライブの機会をたくさん頂いただけでなく、CDのレコーディングもあり、新しい人や場所との繋がりも増え、いい1年を過ごすことができました。
本当にありがとうございました。
ひとりで生きているわけではない、ということを、折に触れ感じる2016年でした。
 
そして、2017年。
昨年12月に参加した易学のセミナーで聞いた話ですが、私の星回りは今年「変化・変革」の年なのだそうです。
大きな変化であれ小さな変化であれ、それが良く見えるものでも悪く見えるものでも、とにかく「変化」を取ることが運気を上げるのだそうです。
 
どちらにするか迷ったら、今までやってきたやり方とは違う方を選ぶ。
リスキーでなかなか勇気の要る選択だなぁ、と思います。
でも、「今までのやり方ではダメなんだろうなぁ」という、行き詰まりのようなものを感じていた2016年後半だったので、ちょうどそういう時期に来ているのかもしれません。
 
どうやら私は、勢いで何でもやってしまう人に見えるようなのですが、実際はあれこれ考えるタチです。
度胸ないなーと思うこともよくあります。
今年は、そういう自分から離れてみる年のようです。
うーん、やっぱり勇気要るなぁ。
いつもより幾分ジタバタするであろう今年の私を、どうかあたたかく見守って、よろしければ応援してください。

1年の最後に「面白い1年だったな」と言えたら、きっと最高に幸せ。

暦の年明けよりも一足早く、12月29日に新月を迎えた月齢。
今日は四日月の夜。
よく晴れて星も綺麗です。
 

 
今年最初の満月まで、あと11日。


テトリス

2016-11-28 19:39:46 | 日記

超ひさしぶりのブログ。
まぁ、Facebookはこまめに更新しているので、生存確認はなされていると思いますが…

10月初旬からずっと慌ただしい日が続いていて、11月に入ってからは特に精神的にキツいなぁと感じていました。
外に出て稼働するスケジュールもさることながら、考えて形にしなければいけないことが山ほどあって、考える必要があることって、どれぐらい時間がかかるかが読めないのが厳しいなぁ、と。
それでも締め切りはやってくるのですから、常にギリギリのところに立たされているような危機感を抱えての毎日でした。

焦りや慌ただしさの渦中にいると、そんな日が永遠に続くような気になってしまうのですが、当然そんなことはなく。
それも徐々に軽くなっていくのではなく、ある日を境に急に大きな荷物が1個消えるような瞬間があって、ちょうど今日がそんな感じだったかなぁ、と思います。

営業がすこぶるニガテな私は、スケジュールの9割ぐらいが依頼されたものです。
自分で決めて予定を埋めていくのではなく、頂いた仕事を受けるためにスケジュールをやりくりする。
「私の生活ってテトリスみたいなんですよねー。あー、上からちょっと曲がったヤツが降ってきたけど、あれをキャッチするためになんとかしなきゃー、みたいな感じ」
と言って笑われたことがあったけど、まじめな話、そんな感じ。

でも、そう思うと、この慌ただしさもありがたい頂きものなわけで、これがなくなったら私の存在価値はなくなったも同じ。
忙しさを忌み嫌ってはバチが当たりますね。 

もうすぐ12月。
街はクリスマスに向けて華やかさを増して、私の好きな季節がやってきます。
今日は1日まったりとさせてもらったので、明日からまたボチボチと頑張ります。
さ、今年はあと何回ブログ更新できるかな?(笑) 

明日は新月。